第21話 妖界の帝②
烏天狗の領地に辿り着き、大鷲のお兄さんを降りて早々、ハクに小走りで駆け寄ってくる人物がいた。
黒い髪の青年で、凄く美麗な顔つきだ。身なりや所作からも、かなり地位の高い者だということは、妖界のことを何も知らない俺でも、何となくわかる。
「何故、翠雨様がこちらに……」
璃耀が苦々し気な表情を浮かべている。
黒髪の貴人は翠雨と言うらしい。
どうやら、大鷲のお兄さんが言っていた通り、ハクを心配してやってきたのだろう。
ということは、事情聴取に要注意人物が一人増えたということだ。
「白月様。ご無事で本当に良かった。」
「……心配かけてごめんね。でも、仕事は大丈夫?」
ハクは翠雨と思われる貴人の後ろに控える人物に目を向ける。
「白月様の無事を御自身の目で確かめるまで仕事など手に着かぬと仰るので。」
「……ごめんね、
困ったような表情を浮かべる翠雨の側近に、ハクは小さく息を吐きながらそう言った。
それから、翠雨に目を戻す。
「私は大丈夫だから、京と宮中を守っていてくれると助かるんだけど……私もすぐに戻るし。」
「すぐに戻られるのならば、それまでは私もお供いたします。私の居ないときに限って問題ごとに巻き込まれるのでは、落ち着いて仕事もできません。」
翠雨はそう言うと、チラッと璃耀の方に目を向けた。
「蔵人頭殿がもう少ししっかりしてくれさえすれば、このような心配をせずに済むのでしょうが。」
……これだけの衆人環視の元、こんなあからさまに嫌味を言うなんて……
こんな者相手に、俺は、事情聴取を受けなければならないのだろうか……
胃がチクチクと痛む。
そう思っていると、璃耀は能面のような顔のまま口元にだけ笑みを浮かべた。
「組織再編時に、もう少し翠雨様がしっかり各人の確認をしてくださっていたら、起こらなかった問題かもしれませんよ。」
璃耀の表情と声音にゾワっとする。
……翠雨様って、ハクの次に偉いんだよね……? そんなことを言っていいのだろうか……
しかし、翠雨はそれに平然と応じる。
「そのようなこと、私の立場で出来るわけがなかろう。白月様に近づく者の精査くらい、其方ができずにどうする。」
「御自分の配下の確認くらいできずにどうします。」
何だかヒートアップしていきそうでヒヤヒヤする。
誰か止めたほうが良いのでは、と周囲を見渡すと、ハクも皆も、困ったような、呆れたような顔で二人を見ていた。
すぐ近くで、ぼそっと
「またか……」
と小さく呟く宇柳の声が聞こえる。
「……あの、止めなくていいんですか?」
小声で宇柳に聞くと、
「白月様に次ぐ地位に居る御二方だ。止められると思うか?」
と困ったように返された。
「……宇柳さん、事情聴取、大丈夫ですかね……?」
繰り広げられる言葉の応酬を眺めながらそう言ってみたが、宇柳からは曖昧な唸り声しか返ってこなかった。
「白月。」
唐突に別方向から低い声が響いてきて、驚いて振り返ると、烏天狗に囲まれた壮齢の男が俺達の横を通り過ぎ、ハクに歩み寄ろうとしているのが目に入った。
翠雨と璃耀はピタリと口論をやめて、一歩ハクの後ろに下がる。
「首領。こちらの領地にご迷惑をおかけし、申し訳ありません。」
「いや。状況は聞いた。こちらにも不手際のあったことだ。お詫び申し上げる。」
この人が、烏天狗の首領か……
ハクに比べると、随分と威厳がある。
そんなことをぼんやりと考えながら、ふと烏天狗の首領の周囲に目を向けると、以前宇柳と共に居た夜凌の姿が見えた。
向こうもこちらに気づいたのか、驚いたような表情を浮かべる。
ペコリと軽く会釈すると、夜凌もそれに応じてくれた。
「これから事情を知る者に話聞くのだと聞いた。私も同席させてもらいたい。」
首領がそう言うと、璃耀がハクの後ろで首を横に振る。
「少々込み入った話になるやもしれません。少しの間だけで結構です。まずは、白月様に親しい者だけで話させていただけませんか。」
「私が同席することに何か不都合があると申すか。」
璃耀はチラとハクに目を向ける。同じように首領がハクに目を向けると、ハクは小さく首を振る。
「不都合はありません。ただ、少しだけ、気持ちの整理をする時間をください……」
と呟くように言った。
烏天狗の領地の中心部は、大きな崖にたくさんの洞窟が空いた不思議な作りになっていた。
洞窟の一つひとつが住居や施設になっているようで、多くの烏天狗が穴から出たり入ったりしている。
何処だったかは覚えていないが、海外のどこかにこれに似た場所があったような気がする。
俺達は、来たときと同じように、大鷲のお兄さんの背に載せてもらって飛び上がり、崖の上部にある穴に通された。
洞窟の中とは思えないくらい、中は綺麗に整えられていて、美しい絵の描かれた襖が並んでいる。
その奥に、開け放たれた畳敷きの部屋があった。
「どうぞ、こちらをご使用ください。我らは入口近くで警備をいたします。お声掛け頂きましたら、首領をお連れいたします。」
案内してくれた烏天狗は、そう言うと、パタリと襖を閉じて去っていった。
部屋に残されたのは、ハク、翠雨、蝣仁と呼ばれていた翠雨の側近、璃耀、蒼穹、宇柳、和麻に、和麻の予想通り、蒼穹の腹心という藤嵩。更にハクの護衛に凪と桔梗という女性二人がついていた。
ちなみに凪と桔梗の二人は、ハクが戻った時に抱きつかんばかりの勢いで涙目で迎え入れていたので、相当な忠臣なのだろうと勝手に思っている。
ハクを上座に、凪と桔梗が左右背後に控え、それ以外がハクの前、左右に座っていく中、事情を聞かれる、宇柳、和麻、そして俺は、真ん中に揃って座らされた。
宇柳は青い顔をしているし、和麻に至ってはそれ以上に蒼白だ。このまま倒れるのではと心配になる。
かく言う俺も、ずっと胃が痛い。
「もう少し人数を絞っても良いくらいですが……」
璃耀はチラッと翠雨を見て言ったが、翠雨は璃耀を見向きもしない。璃耀はハアと一つ息を吐く。
「宇柳らが白月様と出てきた時に、白月様のご様子がいつもと異なっていたのです。状況整理は烏天狗が居たほうが良いのですが、捕らえられている間に白月様に起こったことを把握しておきたいのです。」
「そこの少年は?」
翠雨が怪訝な表情でこちらを見る。地位の高い者にそんな視線を向けられて身を縮めていると、隣にいた和麻が蒼白な顔のまま、意を決したように声を上げてくれた。
「発言をお許し頂けますか。翠雨様。」
翠雨が頷くと、和麻はチラと俺の方を見たあとに言葉を続ける。
「この少年は白月様と共に捕らえられておりました。地面から牢に入ったのですが、あの……私の本来の姿が恐ろしかったようで、白月様がその……大層怯えていらっしゃって……」
和麻は眉尻を下げ、言いにくそうにハクを見る。
「……ごめんね、和麻……味方だと思わなくて……」
……いや、あれは、味方だと思わなかったから怯えていたわけではないのだろうけど……
和麻もそれはわかっているようで、困ったような笑みをハクに返す。何だか凄くいたたまれない気持ちになる。
「あの……それで、この少年は私から白月様を守ろうとしていたのです。あの場から逃げ出す際にも手を貸してくれました。白月様への害意は恐らくございません。」
自分も上位者に対して緊張しているだろうに、こんな風に守ろうとしてくれる大人がいるのはとても心強い。
俺が和麻に尊敬の念を抱いていると、翠雨が検分するような目をこちらに向けた。
最初の璃耀と同じような目だ。
「其方は何故捕らえられていた?」
翠雨に問われ、コクリとつばを飲み込む。
「……あの……よくわかりません……でも、俺、人界で結界の綻びを閉じる役割を与えられてて、もしかしたらその関係かもと……」
柊士や本家が関係しているんだとすれば、間違ったことは言っていないだろう。
「……結界を閉じる役割? 白月様を捕らえた理由もそれか?」
翠雨が顎に手を当てると、和麻はゆっくり首を横に振る。
「……いえ、もう少し深い理由があるように見受けられました。」
和麻の返答に、璃耀が眉を顰める。
「深い理由とは?」
和麻は一度、眉尻を下げてハクに目を向けた。
当のハクは顔を強張らせている。できたら口に出してほしくないと、そう願っているのかもしれない。
しかし、璃耀はハクの顔を確認した上で尚、
「答えよ。」
と先を促す。
和麻は気遣うような視線をハクに向けたあと、躊躇いがちに口を開いた。
「……敵方のうち、一人が白月様を結と呼び、連れ戻すのだと……結を返せと、申していました。」
「結? それに、返せとは……一体何者だ?」
蒼穹が眉根を寄せて尋ねると、今度は宇柳が口を開く。
「……何者かはわかりませんが、陽の気の使い手であることは確認ができています。実際に陽の気を浴びせられかけたので……」
それに翠雨が唸り声を上げる。
「人界の者ということか?」
「わかりません。ただ、陽の気を使えるとすれば恐らく……何れにせよ、あの者は、白月様を執拗に取り戻そうとしているようでした。」
宇柳も和麻と同じように、気遣うようにハクを見やる。それに釣られるように、皆の視線がハクに向いた。
「白月様にお心あたりは?」
璃耀の言葉に、ハクが俯く。
「……わからない。」
「お心あたりが無いのではなく、わからないのですか?」
ハクはそれに小さく頷く。
「では、結というのは?」
今度は、小さく首を横に振った。
その手が、膝の上でギュッと握られている。
本人は答えたくないし、思い出したくないのだ。
これ以上追求するのはあまりにも可哀想だ。
「あ、あの……ハク……月様は思い出したくないと言っていたんです。これ以上は、、、」
勇気を出してそう言うと、璃耀は厳しい目をこちらに向ける。
「敵を取り逃した以上、攫った者が白月様に執着しているのならば、何者で何が目的なのかを特定せねばならぬ。再び白月様が拐かされるようなことは防がねばならぬのだ。」
「……でも……」
ハクは、俯いたまま口を噤んで動かない。
でも、人界に居たときのことを思い出そうとすると、胸が苦しくなると言っていたのだ。
何がそうさせるのかはわからないけど、あんまり無理やり聞き出すようなことはしないほうがいいと思う。
「……ハク。あのさ、俺が知ってることをこの人達に話して良いなら、俺が説明するから、ハクは少し席を外してたら? ……その、なんか辛そうだし……胸が苦しくなるって……不快になるって言ってたでしょ?」
すると、白月の護衛をしていた女性の一人が不意に屈んで、ハクの肩を包むように両手を置いた。
「白月様、そういたしましょう。随分お辛そうです。少し、お休みしましょう。」
「凪。」
璃耀は咎めるような声を出す。
しかし、凪は眉尻を下げて、ゆっくり首を横に振った。
「璃耀様。お気持ちはわかりますが、これほどお辛そうなご様子は見ていられません。どうか、少しお時間をください。……さあ、白月様。」
凪は、そう言うと、ハクに席を立つように促す。
しかし、ハクは先程と同じようにその場に俯いて座したまま動こうとしない。
「……奏太は、結が誰か知ってるって言ったよね。」
不意に、ハクが口を開く。
「うん……言ったけど……」
そう答えると、ハクは握りしめていた手をそっと開いて見つめたあと、覚悟を決めたように、俺の方に目を向けた。
「……このまま説明して。私も聞きたい。」
凪は気遣うような視線をハクに向ける。
「白月様、しかし……」
「このままモヤモヤを抱えていられないの。聞いたら少しはスッキリするかもしれない。」
……本当にそうだろうか。
俺も大したことを知っているわけじゃない。余計にモヤモヤを募らせるだけになるかもしれない。
それに、あれ程まで、結のことに拒否反応を示していたのに、本当に大丈夫なのだろうか……
「……大丈夫なの?」
そう問いかけると、ハクは心中を押し殺すように、小さく笑顔を作ってこちらにむけた。
「うん。大丈夫じゃなくなったら、席を外すよ。奏太の知ってること、聞かせて。」
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