第22話 妖界の帝③
「では、其方が知っている事を話してもらおう。」
翠雨が低い声で言う。その場はピンと張り詰めたような空気だ。
俺は小さく息を吸い込んで吐き出した。
「……俺も、全部を知っているわけじゃありません。分かる範囲でしかお話できないですけど、それでもいいですか?」
「少しでも手掛かりがほしい。話せ。」
璃耀にそう促され、コクリと頷く。
「じゃあ、順を追って話しますね。」
そう断ってから、俺は、夏のキャンプで絢香が妖界に誘拐され、そこで蛙から恨みを買ったことから話を始めた。
それから半年もたった今頃、その蛙の仲間が人界へ俺を探しに来て、たくさんの蛙に追い立てられるように陽の泉から妖界に逃げて来た。
妖界に来たはいいが、陽の泉の前で何故か幼い頃から知っている遼が待ち構えていて毒のようなものを飲まされ、牢に閉じ込められた。
そして、そこでハクに会った。
さらに、最初は考えもしなかったことだったが、その遼が、ハクに対して結とよび、人界に連れ帰ろうとしていることを知った。
「俺を捕らえた遼ちゃんとは、ここしばらくは会っていませんでした。
結ちゃんの方は、遼ちゃんと同じ年頃の俺の従姉で、多分、遼ちゃんとの仲は良かったと思います。
ただ、結ちゃんは一年半くらい前、夏の終わり頃に亡くなったと聞いていました。
遼ちゃんは、結ちゃんの葬儀で大暴れしたと聞いたので、その時から何かがあったのかもしれません。」
「……一年半前……」
ハクが眉根を寄せて、思い出すように呟く。
「ちょうど、陽の泉で白月様に初めてお会いしたのがその頃です。」
翠雨の言葉に、璃耀は顎に手を当てる。
「先程、陽の泉は、人界に繋がっていると、白月様は仰いましたね。」
「時期も場所もちょうど合うということですか……」
蒼穹も考えを巡らすようにそう言った。
「結が白月様だったとして、遼というのは何故、取り戻そうとしているのだ?」
「……それはわかりません。俺も二人のことをそれ程知っている訳ではないので……ただ、俺やもう一人、人界に結界の綻びを閉じる役割を持った従兄がいるんですけど、名指しで、許さないからな、と言われました。何か関係があるのかも……」
「其方がその者からも恨みを買っているということか?」
「俺、というより、従兄も含めた俺達を、という感じでした。でも、俺には心当たりがないんです。会ったのも数年ぶりですし……」
俺が首を捻っていると、不意に翠雨が、
「……結を取り戻したい理由と同じかもしれんな……」
と呟いた。
「同じ、とは?」
璃耀は怪訝な顔を翠雨に向ける。
しかし、翠雨はチラとハクに目を向けたあと、小さく首を横に振った。
「いや。今はやめておこう。他に気づいたことは?」
翠雨は話を逸らすように、俺に先を促す。
璃耀は未だにじっと翠雨を見ているし、俺も続きが気になるのだが、まだ、伝えておいた方が良いことがある。
俺の立場では追求なんてできないし、ひとまず情報提供に徹しよう。
「……あとは、いくつかの思惑が重なり合っているようにも見えました。」
「思惑?」
「はい。蛙達は俺や俺の友だちに恨みがありました。
遼ちゃんは理由はわからないけど、俺や従兄に同じように恨みがあるようです。
さらに、遼ちゃんは結ちゃんを取り戻したくて、妖界での居場所が無くなれば戻ってくるのかと聞いていました。
それに、犬の面の人は、驟雨という人を裏切った報いを京にいる人達に受けさせると言っていました。」
「……兄上を裏切った報い……?」
翠雨が考えるように呟くと、璃耀がハアと息を吐いた。
「真の帝不在の間、帝になりかわって治めていた者です。粗方何らかの処分をしたつもりでしたが、秘かに信奉していた者が残っていたとしてもおかしくありません。」
前の帝が翠雨の兄だったとは驚きだが、政変の恨みを晴らそうとしているということなら、あの犬の面の男の話にも頷ける。
……というか、前の帝の弟が、今の朝廷のNO.2というのは、大丈夫なんだろうか……
「白月様が拐かされた時の状況はどうだったのだ。複数の者が関わった可能性が高いとは聞いたが。」
「それは、私から御説明します。」
蒼穹が翠雨の方に体の向きを僅かに変える。
蒼穹曰く、牢の中でハクに教えてもらっていた通り、この烏天狗の領地でトランプ大会の準備をしていたらしい。
以前、ハクが別の大会を開催したことがあったそうなのだが、それに倣って、大会参加者の募集要項を決めていっていたそうだ。
……以前も大会を開催してたのか……と呆れなくもなかったが、いったんそこはスルーしておく。
作業は、募集要項決めの他にも、不正が起こらないようトランプの規格を決めたり、募集要項が決まったら貼り出せるようなポスターを作ったり、開催場所の選定や配置決めをしたりと、各々がいくつかの部屋に跨って作業していたようだ。
それを、ハクや首領が巡回しながら進捗状況を確認していたそうなのだが、ある一箇所で、烏天狗と朝廷の者の間で諍いが起きた。
璃耀と凪が当日のハクの警備について確認したいことがあると、呼び出されている僅かな隙の出来事だった。
諍いはハクの目の前だったこともあり周囲が慌てて止めに入り、その間に諍いの事情を説明するとハクはその場にいた一人に呼ばれたそうだ。
もちろん、その時は桔梗ともう一名、別の近衛兵も着いていた。
しかし、諍いを止めきれなかった部屋の中では、だんだんと騒ぎが大きくなって乱闘状態にまで発展。
ハクにまで被害が及びそうになり、それを守ろうと桔梗ともう一名の近衛兵が一時的に動いたタイミングを狙って、ハクが連れ去られたのだそうだ。
しかも、烏天狗の領地の造り上、空を飛べれば、幻妖宮ほど逃げ出すには苦労しないらしい。
……何だか、まるで全てがハクを連れ出すために連動していたようにすら思える。
「疑わしい者は、烏天狗の兵によって別室に隔離されていますが、その前に姿を消した者もいます。」
蒼穹の最後の言葉に、翠雨もまた、唸り声をあげた。
その後、大して謎は解決しないまま、部屋に烏天狗の首領が呼ばれ、結と遼の話には触れずに、先の政変の残党による企てである可能性が高いと説明された。
俺は部屋の隅で和麻に隠れるように座り、妖界の偉い人たちの話を聞いていた。
……一体いつになったら帰れるんだろう……
事後処理や今後の対応など、喧々諤々話し合いが進み、何かあれば相互に協力し合うことで決着が着いた頃には、すっかり夜になっていた。
「……ごめんね、明日には帰れるようにするから……」
話し合いが終わると、ハクは疲れたように俺の前に座る。
「きっと、人界の人たちは心配してるよね。早く帰らせてあげられたらいいんだけど、こんな時間だし、奏太が攫われたことを考えると陽の泉は危ないし……」
自分の方が大変だろうに、俺のことを心配してくれるハクに、早く帰りたい、なんて言える訳が無い。
「俺は大丈夫。きっと何とかなるよ。」
俺は笑顔でハクに応じる。
大丈夫じゃないかもしれないが、陽の泉が何処にあるのかもわからない以上、自分だけでどうにかできる問題でもないし。
「それならいいんだけど……
一応、今日は、和麻と同じ部屋に泊まらせてもらってね。少しでも知っている者と居たほうがいいでしょ? 宇柳は夜の間に一度京に帰るって言うし、私の部屋でもいいかなって思ったんだけど……」
「白月様。」
ハクの背後から、物凄く怖い声が響いてくる。
「この通り、ダメって言われちゃったから……」
ハクは困ったように眉尻を下げる。
「お……女の子の部屋に泊めてもらうなんて、とんでもない! 俺はどこでだって寝られるから、あんまり気にしないで!」
実際問題そうなのだが、それ以上に、ハクを守ろうとする璃耀の圧が凄くてとても怖い。
ちょっと怒られちゃった、みたいな言い方をハクはしているが、背後からこちらに向けられる視線の鋭さにハクは気付いているのだろうか……
俺が慌てて断ると、璃耀は少しだけ圧を緩めて小さく息を吐いた。
結局、和麻と、先程乗せてくれた大鷲のお兄さんと同じ部屋に通された。
食べ物と水も用意してもらえ、ようやくほっと息をつく。
大鷲のお兄さんは
「あの……こんなこと聞いては失礼かもしれなんですが、白月様の次に偉い人が翠雨様なんですよね?大丈夫なんですか、その……前の帝の弟なんですよね?」
と思い切って聞いてみると、
「白月様が帝位に就けるよう裏で最も尽力され、強固にそれを推し進めたのは、他でもない翠雨様御自身だ。兄弟だからなんだ。あの方は、白月様と共に常に妖界の安定を願っていらっしゃる。心配せずとも大丈夫だ。」
と、青嗣は声を上げて笑った。
それから、青嗣と和麻が前の政変で何があったのかを、ハクの大活躍を交えてキラキラとした目で語ってくれた。
話を聞くに、ハクは帝位に就くまでに本当に大変な目にあったんだな、としみじみ思う。
何も知らされないまま、以前の記憶もないまま妖界に来て、ハクの排除を目論んだ先帝から処刑されかけ、逃げた先で烏天狗に捕らえられ、説得の末協力を取り付け、新帝派の軍を率いて鬼界の綻びを塞いで周り、先帝の企みで鬼が放たれた京を守り、幻妖宮に立てこもった先帝を捕らえた。
更に、帝位についてからは、破壊された京の立て直しに尽力したらしい。
ちょっと聞いただけでは理解が追いつかないくらい波乱だらけだ。
その中で、翠雨と璃耀はハクが妖界に来て間もない頃からハクを守り、ずっと支え続けていたのだそうだ。
ただ、それ以上に伝わって来たのは、和麻と青嗣のハクに対する熱量だった。
「凄いですね……お二人の白月様への熱量が……」
と少し引き気味に二人に言うと、二人は顔を見合わせてから、
「皆、こんなものだぞ。」
と首を傾げた。
ハクにはこのレベルの信者がたくさんいるのか……と少し遠い目になる。
先程の璃耀の目も怖かったが、ハクに対しては、あまり不用意なことはすべきでないな、と俺は改めて気を引き締めた。
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