第155話 妖界の使者①
聡に手紙を届けてもらったあとの妖界側の動きは早かった。
事件の翌朝早々に聡が動いてくれたのだが、妖界の朝廷に仕えている宇柳から、その日の昼に名指しで俺宛に面会依頼が入った。理由は伏せられていたが、翠雨の書状を一緒に持ってきていたために無下に断るわけにもいかず、柊士の不在にどうすべきかと粟路を通して俺に相談があったのだ。
当主不在の状態。普通ならば断っても仕方がない状況ではあるけれど、呼びつけたのは俺自身だ。粟路には詳細をぼやかしながら、宇柳を受け入れてもらえるようにお願いした。一刻も早く話をして、ハクを体に戻してもらった方が良い。
粟路から粟路自身と他の武官や文官の同席を求められたものの、ハクのことをあまり広げたくない。面会理由が明確に述べられていなかった事を良いことに、内密の話かもしれないからと苦しい言い訳をしつつ、俺の護衛役と汐の同席にとどめてもらった。
念の為、何かあったときに備えて巽には扉の外で待機してもらうことにし、亘は休ませたままにしておく。宇柳との話し合いで、亘の傷口に塩を塗るようなことになるのは避けたかった。
「お久しぶりです。宇柳さん。」
「奏太様、御無沙汰しております。」
宇柳に丁寧に頭を下げられるのは未だに慣れない。
それに、部屋にいるのは俺と宇柳、汐と椿だけだ。気を使うような顔ぶれではない。
「宇柳さん、あまり
今までの小僧扱いに戻っても良いと伝えると、宇柳はゆっくり首を横に振った。
「そういう訳には参りません。私は態度を使い分けられるほど器用ではありませんし、何処かでボロが出て璃耀様に叱られるのは避けたいですから。」
そう言うと、フルリと小さく体を震わせた。あちらはあちらで色々あるらしい。
「それで、頂いた文についてですが。」
宇柳の言葉に俺はコクリと頷く。
指輪をいれるような小さな箱に布を敷き詰めたその上で、オレンジ色の光の灯った水晶玉が、キラリと電気の明かりを反射させる
スッとそれを差し出すと、宇柳はマジマジと水晶玉を見つめた。
「……この中に白月様が?」
「はい。状況からも話した感じからも、本人で間違いないと思います。」
「話ができるのですか?」
宇柳は水晶玉を見つめながら目を瞬く。
「直接話せるわけじゃなくて、通訳が必要なんですけど……」
「では、通訳を通せば私もお話できますか?」
物理的には可能だ。ただ、忠をあんまり表に出すのも可哀想だし、ハクとの会話の直後、忠が微妙な顔で水晶玉を見つめて何も言わなくなったのも気になっていた。
あんな話を聞かされていては無理もないだろう。ただでさえ緊張状態だっただろうに、完全にゴタゴタに巻き込んでしまっているのだから。その上、妖界の朝廷の者の前にまで出すのは流石に躊躇われた。
「里に属さない妖が通訳なんです。粗相があるかもしれないし……」
「私に態度を崩せと仰った方が、そのような事を気にされるのですか? 私も元は庶民ですし、お気になさらず。」
「……でも………」
「それとも、私の前にその者を連れてくることに何か不都合が?」
宇柳の表情が少しだけ険しくなる。俺をじっと見るその目には、誤魔化しは許さないという意思が明確に現れていた。
「主上の御命に関わることに、万が一があっては困るのです。」
宇柳の真剣な声に俺はうっと息を呑んだ。
聡に託した手紙だけで、妖界側に全ての情報を伝えられたわけじゃない。人界での騒動にハクが巻き込まれたこと、それによってハクの魂と別の者の魂が入れ替わってしまっていること、水晶玉の呪物を使ってハクの魂を取り返したこと、それを今、俺達が持っていること、だからハクの体を大事に扱ったうえでハクの魂を取りに来るか、こちらの通行を許可してほしいこと。伝えられたのは、大まかに言うとこれくらいだ。
疑念を持たれていても仕方がない。ただ、それでも宇柳がここに来たのは、きっと……
「……そちらで、ハクが目を覚ましたんですか?」
「……ええ。」
宇柳の目が、こちらを探るように鋭く細められた。
「翠雨様も璃耀様も、あちらにいるのは白月様では無いと御判断されています。事情を詳細にお聞かせ願います。その上で、水晶玉にいらっしゃる方が白月様であるかどうかを確かめさせて頂きたい。」
向こうのハクが目覚めて中身がハクじゃないことに気づかなければ、俺の手紙なんて到底信じられるような内容じゃないだろう。きっと、何が起こっているのかが不透明な中、妖界側も半信半疑なのだ。
……流石に、忠が可哀想だなんて、言っている場合じゃないか……
「……わかりました。汐、巽に忠を呼んで来てって伝えて。」
「はい。」
汐はスッと立ち上がってドアに向かい巽に託ける。ドアの隙間から巽が了承したのを確認して、俺は宇柳に視線を戻し背筋正した。
「それじゃあ、通訳が来るまで、今の段階まででわかった事を説明させてください。」
妖界側にはきちんと状況を把握してもらい、俺の話を信用してもらう必要がある。ハクの体を処分されては困るし、正しい手順で水晶玉を使って元の体に戻してもらわないとならないからだ。
変に隠して疑われたり、話の辻褄があわなくなったりしないように、自分が把握できていることを、一部を除いてそのまま伝えた。
結の父親と結本人と亘が湊に恨まれていたところから、その湊が鬼の血を使って周囲の妖や複数の鬼を操っていた可能性があること、水晶玉の力、祭りでハクの魂と鬼の魂が入れ替えられた可能性が高いこと。俺が捕らえられた話とハクの魂が入っていたであろう鬼の話もした。
でも、亘のことはあえて伝えなかった。わざわざ言う必要もない。鬼がハクである可能性を聞かされたから、元の体に戻す為に水晶玉を使って魂を取り出した、と誤魔化した。
「妖界にあるハクの体は無事なんですよね?」
「はい。翠雨様も璃耀様も随分お怒りでしたし、偽物と確定したら速やかに処分となっていてもおかしくありませんでした。本当に、文を頂いていて良かったです。」
宇柳のその言葉に、俺はホッと息を吐いた。危うく、ハクが戻る体が無くなるところだったのだから。
「良かったです。ホントに。」
「ええ。あの御二方や私はもちろん、皆が白月様をお慕いしています。あの方を失うわけにはいきませんから。それに、白月様の不在は陽の気を必要とする妖界全体にとっても危機になりますし。」
「……妖界全体の……危機……?」
不意に発せられた宇柳の言葉に、俺はピタリと動きを止めた。
「ええ。妖界の結界は、白月様の陽の気によって保たれています。あの方を失えば、いずれ、白月様が帝位につかれる前のような混乱が起こるでしょう。我らには、あの方の御力が不可欠なのです。」
……ハクの力……つまり、陽の気を使える力が、妖界には必要、ということだ。
俺は額に手を当てた。
むしろ、何故今まで気づかなかったのだろう。
妖界の結界はハクによって維持されている。それが不在になるのだ。将来的な事を考えれば、その穴埋めが必要になるはずだ。
「……もし、妖界に陽の気の使い手が不在になったら……」
ポツリと呟いた俺の言葉にハッと顔を上げて反応したのは汐だった。
「……まさか、そこまで見越して白月様を……?」
「……あ、あの……どういう事です?」
椿が戸惑うように俺と汐を見比べる。宇柳もよくわからないと言うように、続く言葉をじっと待っていた。
「……人界の不手際によって陰と陽の気を使う方を失うのです。妖界の危機とあらば、我らはもう一度、守り手様を妖界へお送りすることになっていたかもしれません。そして、柊士様はすでに日向の御当主。…………お送りするとすれば…………奏太様に…………」
すぐ近くで椿が息を呑んだのが聞こえた。汐はゆっくりと目を伏せる。
たまたま手元に水晶玉があったから、ハクの魂をすくい上げられた。でも、本来ハクは死んでいたはずなのだ。しかも、亘の手によって。その場合、妖界側の選択肢は偽のハクの処刑か、偽とわかっていながら帝と仰ぐかのどちらかになる。でもそんなこと、翠雨や璃耀が受け入れないことぐらい、俺でもわかる。
いや、俺が行ったところで受け入れてもらえるかは怪しいけど……
「汐、ハクが転換の儀を受けたとき、亘と汐がついていたって言ってたけど、そういう決まりがあるの?」
「…………転換の儀に同席できるのは、日向の御当主と二貴族家の御当主です。そして、儀式を遂行するのは…………その護衛役と案内役です。」
汐の声が震える。ハクの時のことを思い出してしまったのだろうか……
「…………私には、もう、主を……あちらにお送りすることはできません……」
「ごめん、汐。思い出させて。俺は行かないよ。汐と亘にそんなこと、二度とさせない。」
今の汐の様子を見ていればわかる。以前、結の最期を語った時の亘の様子を思い出せばわかる。転換の儀を経て主を送るということは、主を一度殺すということだ。
結の時には、それでも瀕死の結を救うという意味合いがあった。でも今度俺があちらに行くことになれば、健康な状態から、そのためだけに一度死に追いやられる事になる。
『次は、亘から奏太を奪う』
ハクの言葉が蘇り、俺は唇を噛んだ。これもまた、恐らく湊の筋書きなのだ。
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