第8話 夏の思い出③

 それは、ほんの一瞬の出来事だった。


絢香あやか!」

「いったい何なんだよ!」


 俺と潤也じゅんやが叫ぶと、うしおは、ひらりとこちらに下りてくる。


「あの足輪は恐らく朝廷の使いです。何故介入してきたのかは分かりませんが話の通じぬ相手ではないはずです。私が参りますから、奏太そうた様方はわたり大蝦蟇おおがまがえるの相手をしている間に、他の蝦蟇の制圧を」

「は? 朝廷?」

 

 そう言われて見上げると、確かに上空に留まる男の足首には、金属っぽい足輪が篝火かがりびに照らされ光っている。


「御説明はあとにしましょう」

 

 汐はそれだけ言うと再びひらりとはねひるがえし、絢香を抱えたまま上空に留まる男のもとに向かって行った。

 上空の男は何をするでもなく、絢香を抱えたまま戦況を見極めるように沼地を見下ろしているだけだ。

 少なくとも、蝦蟇がまがえるの仲間というわけでは無さそうだ。


 それならば、あちらは汐に任せ、まずは自分達の目の前に迫る奴らをどうにかするのを優先したほうが良いだろう。


 俺は再びパチンと手を合わせ、こちらが乱入者に気を取られているうちに隙をついて向かって来ようとする蝦蟇がまがえるたちに掌を向ける。

 頭に浮かぶ祝詞のりとに合わせて声に出していくと、目の前の蝦蟇たちは先程までと同様にギャっと悲鳴を上げて次々と白い光に焼かれて倒れていった。潤也もまた、先程と同様に短刀を振り回して倒していく。たった二人で、複数の蝦蟇を相手にしなくてはならないが、ようの気があやかしに対して無双状態なので、こちらが優位な状態だ。


 ただ、欠点がないわけではない。

 

「これ、力を使い過ぎると疲れて動けなくなる……多分、しばらく一歩も動けない」


 どうにも立っていられなくて、俺はその場にしゃがみ込んだ。向かってくる蝦蟇は殆んど一掃したので、あとは残党を処理するだけだ。

 

「座ってろよ。あとはあの大将戦だけだろ」


 潤也も次々と飛びかかってくる蝦蟇達の退治に慣れてきたのだろう。あれだけの数に対応していればそうなるのかもしれないが、最初に悲鳴を上げていたのが嘘のように、残った蝦蟇を小刀で切りつけながらクイッと亘達の方をあごで示した。


 絢香を気にして、蝦蟇がまがえるのボスと睨み合ったままだった亘は、いつもの機敏さを取り戻していてだいぶ優勢に戦っているように見える。


「それから、あっちの説得だな」


 俺は上空の汐を見上げる。

 すると、こちらに気づいたのだろう。汐がふわりと舞ったかと思うと、絢香を抱えた男を連れてこちらに降りてきた。



「この娘は其方そなたらの連れだそうだな」


 地面に降り立った男がそう言うと、潤也と俺はコクリと頷く。それを確認すると、男は小さく頷いてから、気を失ったままの絢香を横抱きのまま潤也に渡した。

 潤也は少しだけふらつきながら、しっかり絢香を抱える。


「潤也、絢香は?」

「……大丈夫。寝てるだけみたいだ」


 俺と潤也はホッと息を吐き出した。


「あの、絢香を助けてくださって、ありがとうございました」

「礼には及ばぬ。ただ通り掛かっただけだからな」


 男がそう言うと、不意にもう一つ、少し離れた木立を揺らして別の影がバサバサと羽ばたきながら降りてくる。

 山伏やまぶしの格好に錫杖しゃくじょうを持った、黒い嘴くちばし黒い翼の生き物だ。


「……烏天狗からすてんぐ……?」


 潤也が隣でぼそっと呟いた。


宇柳うりゅう殿、先を急がなくて良いのか? 上役殿が我らの山でお待ちであろう」


 烏天狗は、先程まで絢香を抱えていた男に声をかける。


「それはそうですが、あの方の事です。このような者共を放置するほうが叱られます。少々お付き合いいただけませんか、夜凌やりょう殿」

「そちらが良いのであれば、我が方は問題無いが……。」


 夜凌と呼ばれた烏天狗は、不審な目でこちらを眺める。


「しかし、陽の気の使い手というのは、そちらにとっては重要な存在では? 下手に関われば、朝廷に敵対することになりかねぬ。首領も妙なことに巻き込まれるのはおいといになるのだが」


 烏天狗の鋭い目に晒され、俺は体を固くし、潤也はギュッと絢香を抱える手に力を込める。

 しかし、すぐに宇柳と呼ばれた朝廷の使いが、乾いたような笑い声をあげた。


「いえ、そこの蝶が言うには、この者どもは、人界からやってきたようなのです」

「なんと。では、人ということか」

「ええ。人にとって、陰の気は毒になるといいます。妙なことに巻き込まれぬよう、結界の綻びまで送っていってやろうかと。夜凌殿の言うとおり、陽の気の使い手がふらふらしていると、妙な問題を招きかねませんし」

「……まあ、確かにそれは避けた方が良いのだろうな」


 夜凌は納得したような声音で頷く。

 夜凌の検分するような目線にドキドキしながら様子をうかがっていたが、どうやら無事に人界へ帰してもらえるらしい。


 不意に、宇柳が亘達の方に目を向ける。


「ああ、ちょうどあちらも決着がついたようですね」


 同じ方向に目を向けると、亘が先程の沼の蝦蟇がまがえると同様に、ロープで蝦蟇達のボスを木に括り付けているところだった。


「あれらはどうするおつもりか」

「どうもしません。ただ、陽の気の使い手の妙な噂を立てられぬよう、対策は取ったほうが良いかもしれませんね」


 宇柳は顎に手を当てたまましばらく考えると、眉根を寄せた。


「気は進みませんが、こちらのことも翠雨すいう様にご報告して、対応をご判断頂くことにします」


 翠雨が誰かは知らないが、きっと宇柳の上司かなにかだろう。どうやら、蝦蟇がまがえる達の始末も妖界側でなんとかしてくれるらしい。


 蝦蟇がまがえるのボスをガチガチに木にくくり付けた亘は、スイっとこちらに降り立つと、首を傾げて宇柳と夜凌に目を向け、側を舞う汐に声をかける。


「どうやら助けて頂いたようだが、こちらの方々は?」

「朝廷の使いの方と、烏天狗の方よ」

「……それはまた、奇妙な組み合わせですな」


 亘は僅かに眉根を寄せる。


 朝廷の者と烏天狗は奇妙な組み合わせなんだ……。


 それにしても、このあやかし世界は、いったいどういう構造になっているのだろうか。

 朝廷があるということは、天皇のような存在がいるということだろうか。

 それに、烏天狗の首領だ。

 朝廷とは別に、領地を治める武将がいるような、戦国時代みたいなかんじなのだろうか……


「ねえ、亘、妖界ってどういう仕組みになってるの? 人界じんかいみたいに天皇がいるの?」


 思ったままに疑問を口にすると、亘は思い出すように視線を少しだけ上にあげる。


「人界はいろいろ仕組みが変わるので、比較するにもどうにも今の仕組みを思い出せないのですが、妖界は基本は帝と朝廷が治める場所です。その中で烏天狗のように、自治領を持つ種がいくつかあって、そういった土地は完全に別の主権の元に動いています」

「ああ、だから珍しい組み合わせって言ったんだ」

「ええ、互いに干渉し合うことは、あまりありませんから」


しかし、亘の言葉に夜凌が眉をひそめる。


「……本当にそうなら良いのだが」


 こちらの会話を遮るように夜凌が宇柳を睨む。


「どうもここ数十年、朝廷からの横槍が多い。今上きんじょうは我らを配下に加えようと企てておいでのようだな、宇柳殿」


 その視線に、宇柳はあからさまに狼狽うろたえる。


「い……いえ……今の主上しゅじょうのお考えは、私には分かりかねますが……」

「それに、さっさと帝位交代を図れれば良いものを、この世の結界が不安定な時に、陽の気の使い手を受け入れるのではなく処刑したと言うではないか。柴川しばかわの者は、この妖界をどうされようとお考えか」

「……それは……あの……」


 宇柳は何とも歯切れ悪く返事をする。


 何だか、雲行きが怪しくなってきた。

 よくわからないが、妖界が安定していない状態なのは会話から何となく伝わってくる。というか、なんだかキナ臭い。そして、敵対関係とまでは言わないが、宇柳と夜凌の関係性も微妙なようだ。


 しかし、それよりも気になるのは亘の反応だ。


「……陽の気の使い手が処刑された……?」


 目を見開き、唖然とした様子でぼそりと呟く。

 一体どうしたのかと汐を見上げるが、汐は一言も発せず、ただその場でふわふわと舞うだけだ。


「……宇柳殿、陽の気の使い手が処刑されたとは、一体どういうことです? 今妖界に居るべき陽の気の使い手は、あの方しか居ないはずです。我らが送り出したはずのあの方が、妖界に来てすぐに処刑されたと仰るのか」


 その言葉に、宇柳はまじまじと亘を見つめる。


「……あの方をこちらに遣わしたのは其方そなたらだったか」


 亘はぐっと眉根を寄せる。その手に力が込められ、ふるふると小刻みに震わせている。


「我らは、断腸の思いであの方を見送ったのです。それが、一年も立たずに処刑とは、あんまりではありませんか! あのような思いをさせてでも、こちらでこそお幸せになるのだと信じて送り出したのに!」

「亘、落ち着いて。奏太様の前よ」


 亘は汐の声にハッとしたように俺に視線を向けると、ぐっと堪えるように口をつぐむ。


 ただ、俺には話の流れがよくわからないままだ。


 宇柳は宇柳で、答えにきゅうしたように、責立てるような夜凌と亘の視線にたじろいでいる。

 しばらくの間、両者に困り果てたような視線を交互に向けていたが、遂には観念したように、ハアと息を吐き出した。


「……人界の者ならまだしも、烏天狗に知られたとあらば、罰が更に上乗せされそうだが……致し方あるまい……」


 そう言うと、どう話すべきか迷うように視線を宙に向けながら、言葉を続けた。


「現時点では柴川の長子、驟雨しゅうう様が帝位に就かれ、烏天狗の領地を含めて御自分が帝位についたまま妖界全土をまとめようとされている。その中で、本来帝位に就くべく遣わされた御方が邪魔となり処刑を企てた、というのが表向きの現状だ。」

「……やはり、あの方は……何ということを……」


 亘が愕然がくぜんとしたようにそう呟く。

 しかし、宇柳は亘を制止するように片手を上げた。


「まあ、待て。話はこれからだ。

 一方で、驟雨様の弟君であらせられる翠雨様は現状を憂い、帝位を正しい方にお戻しするよう、裏であの方をお救いになった。そして私は現在、翠雨様の配下に居る。あの方を御守りし帝位に押し上げることが我らの目指すところなのだ」

「……つまり、真に帝になられる方は処刑をまぬがれ生きていらっしゃると」


 夜凌の言葉に、宇柳がコクリと頷く。

 亘はそれに、ほっと息を吐いた。


「それでは、あの方は今は安全なところにいらっしゃるのですね?」

「……安全……? ……ああ……まあ、ある意味ではそうかもしれんが……」


 宇柳はそう言うと、チラと夜凌に目を向ける。

 夜凌はそれに顔を強張らせた。


「……宇柳殿……まさか、今我らの領地に居る方が、その御方なのではあるまいな……?」


 宇柳は目を逸らして答えない。

 ……これは、無言の肯定と取って良さそうだ。


「……なんと……既に厄介事を抱え込んだ後ではないか……」


 夜凌が額に手を当て、途方に暮れたように呟いた。



 夜凌は難しい顔をしているが、あの方とやらが無事であることを確認した亘と、抱えていた物を一つ手放したようにスッキリした様子の宇柳、始終蝶のままで反応の良くわからなかった汐と共に、俺達は、もと来た結界の綻びを目指す。


 潤也は眠ったままの絢香をぐっと抱えている。

 途中で代わろうかと声をかけたが、潤也は無言のまま首を横に振った。

 自分で責任持って絢香を運びたいだけなのか、それとも俺が妖か人か疑わしいから触らせたくないのか、どちらなのかはわからない。


 ゆっくり進む潤也に合わせてようやく結界の綻びに辿り着くと、そこには灰色の渦ではなく、白く輝くような渦が浮かんでいた。


「……なあ、これ、こんな色だったか?」


 潤也も同じように不審に思ったのか、こそっと俺に問いかける。しかし、それに答えたのは後ろから着いてきていた宇柳だった。


「人界への入口は白、鬼界への入口は黒だろう。」

「人界から見ると、妖界への入口は灰、鬼界への入口は黒なのです。」


 亘が言うと、重荷を抱え込んだような顔をしていた夜凌が、気をそらすようにフムとあごに手を当てる。


「人界が白、妖界が灰、鬼界が黒か。陽の気の濃さが影響しているのかもしれぬな。妖界にも、我らに影響を及ぼさぬ程度の陽の気があるという。そして鬼界はより陽の気が薄く濃い陰の気に覆われているそうだ。」


 なるほど、陽の気が濃い世界ほど白く、陰の気が濃い世界ほど黒く見えるのか……


「何れにせよ、この穴も、あの方に塞いでいただかなくてはならぬな……」


 宇柳が思案するように呟く。

 でも、ここだけなら、当面は大丈夫だ。このまま人界側から塞いでしまえばいい。


「それなら、ひとまず人界側から俺が塞ぎます」

「そうか、其方そなたでも塞げるのか。ではそちらは任せる」


 宇柳はそう言うと、一つ頷いた。

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