第9話 夏の思い出④

 宇柳と夜凌に見送られて白の渦をくぐり抜けると、今度は人界側から灰色の渦に向き合い、パチンと両手を合わせる。

 結界を塞ぐ力はある程度回復したが、身体的疲労が物凄い。

 ついでに妖界にいた時からそうなのだが、何だか胸の中が重苦しい感じがする。自分で思う以上に陽の気を使ったからだろうか。


 何とか結界を塞ぎ終わり


「戻る前に休憩させて」


と言いつつ木に寄り掛かったのは良かったが、そこから体が動かなくなってしまった。


 昨夜ほぼ一晩中起きていた為に寝不足状態でキャンプに来ることになり、一頻ひとしきり遊んだ上で蛙に陽の気を注いで倒していき、更に二日連続で結界の綻びを塞いだのだ。

 さすがに体力の限界だったのだろう。俺は木にもたれかかったまま気を失うように眠りこけ、目が覚めたのは夕方近く。病院のベッドの上だった。



「寝不足と貧血ですって」


 病院に駆けつけた母が呆れたようにそう言った。

 俺が目覚めたと父に連絡をしにいった母と入れ替わりに、潤也と聡と紗月が入ってくる。


「絢香は?」

「絢香も貧血だって。せっかくのキャンプに、二人揃って倒れるなんて」


 紗月は文句を言いつつも涙目だ。


「なかなか戻ってこないし、本当に心配したんだからね」

「……ごめん」


 ちらっと潤也に目を向けると、潤也は黙ったまま、同じようにちらっとこちらに視線を寄越した。

 聡は俺と潤也を交互に見たあと、小さく息を吐き出す。


「一体なにがあったんだよ。朝になっても戻ってこなかったら、警察に通報しようって話までしてたんだぞ。

 それなのに、戻ってきた潤也は怪我をしてるのに何も言わないし、目が覚めた絢香の記憶は曖昧だし、お前はいつまで経っても目を覚まさないし」


 聡の言葉に、俺も潤也も押し黙る。


「なんで何も言わないんだよ」


 聡が睨むようにこちらを見据えた。

 でも、一体何と答えたら良いんだろう。あんな荒唐無稽な出来事、いくら言葉を重ねたって信じてもらえる気がしない。

 そう思っていると、まるで俺の思考をなぞるように、


「……何を言ったって、信用してもらえないと思ったからだよ」


と潤也がぼそりと呟いた。


「でも、もう、こいつらには話していいだろ、奏太。信じようが信じなかろうが二人の自由だ。後から本当の事を話せと言われたところで、俺はあの出来事しか知らないんだ」


 潤也は覚悟を決めたような顔をして、そう言った。

 俺はそれに小さく頷く。散々迷惑と心配をかけたのだ。潤也が助けを求めた時のように信じて貰えないかもしれない。

でも、それならそれでもいい。変に嘘をつくより、ありのままを伝えた方がいいだろう。


「……分かった。ただ、潤也から二人に説明してくれよ。昨日のこと、潤也からどう見えたのかが俺は聞きたい」

「それなら、その後でお前の話を聞かせろよ。俺はまだ、全部納得したわけじゃないからな」


 潤也もまた、俺を睨むようにそう言った。


 それから、潤也は昨日のことを、イチから順に説明し始めた。


 大蝦蟇に絢香が連れて行かれたこと、助けを呼びに行ってその話を信じたのが俺だけだったこと、汐と亘が現れ、大蝦蟇と俺が戦ったこと、そのまま妖界に行って大量の沼の蝦蟇と戦い、宇柳に絢香が助けられたこと、最後にこちらの世界に戻ってきた俺が、妖界の入口を塞いだこと。


 妖界の入口を塞でしまった以上、証明するものは何もない。汐と亘を出すつもりもない。残されているのは潤也と俺の証言だけだ。

 しかし、聡も紗月も、もうその話を笑ったりしなかった。


 それから、俺も潤也に促されて、この夏の間に起こったことを洗いざらい話した。

 うちの集落の不思議な習わしから、手が光り、本家に呼出され、汐と亘に会い、各地の結界の綻びを塞いで回ることになった話を。

 もしかしたら俺自身も妖かもしれないと何処かで疑っていた潤也は、俺が話し終わると、ようやく納得したように頷いた。



 検査入院となったその日の夜、汐と亘もこっそり病室にやってきた。

 まさか今日もかと身構えたら、亘に苦笑された。


「今日は純粋に御見舞ですよ」

「当主にもご報告してきました。御父上から、無理をさせすぎだと苦情が入ったそうです。しばらくは、ゆっくりお休みください」


 二人は本当に俺の様子を見に来ただけだったようで、それ以上何をするでもなく、少し話をして帰っていった。


 

 家に戻って三日後、汐は何食わぬ顔で再び現た。


「新たな御役目ですよ」

 

 そう言って。

 しばらくはゆっくりと言っていたのは何だったのか。結局は通常営業だ。


 ……まあいいけど。



 夏の終わりの思い出づくりは散々な記憶にすり替わり、一週間後に迎えた新学期。

 何事もなく学校に登校してきたキャンプ参加者達は、お互いの元気そうな顔を見て、ホッと息を吐き出した。


 ただ、何処から噂が漏れたのか、あのキャンプ場の怪異がアチラコチラに広がっていた。

 自分達が当事者であることはバレていなかったが、神隠しだ、皆死んだんだと噂されれば乾いた笑いしか出てこない。


 学校が始まって変わったことがもう一つ。


 学校生活の合間に今までのように突然汐が家に現れ、夜間亘に乗ってあちこちに連れ回されるのはキツすぎると思っていたのだが、どういうわけか、夏の間毎週と言っていいくらいに呼び出されていたのに、学校が始まるとパタリと呼び出しが途絶えた。

 学校が始まって、一ヶ月経っても音沙汰がない。

 まるで学業に専念しろと言われている感じだ。


 そう思っていたある日、不意に汐が夜中にうちにやってきた。

 いつも通りに窓を開けてやると、中に入ってきて、ふっと姿を人に変える。


「久しぶりだね、汐。今回は何処?」


 俺が尋ねると、汐はゆっくり首を横に振った。


「いえ、結界の綻びではありません。念の為、今の状況をお伝えに来たのです」

「今の状況?」

「ええ。夏の頻度に比べ、ここしばらく、結界の綻びが見つからなかったでしょう?」

「うん」

「どうやら、秋になり、妖界側の結界が強化されたようなのです。そのおかげで、妖界との間に綻びが生じにくくなりました」

「……何で急に?」

「わかりませんが、あちら側から陽の気で結界を補強できる方が帝位に就かれたのかもしれません。」

「宇柳さんが言っていた、あの方?」

「ええ、恐らくは」


 あの時の帝に敵対していた陽の気の使い手が、帝位についたということだろうか。


 ……それって、もの凄い政変が起きたってことなんじゃ……


 でも、いつも無表情で感情を表に出さない汐が、なんだか少し嬉しそうだ。

 いや無表情は無表情なのだが、なんとなくそんな感じがしたのだ。


 そういえば、汐と亘もどういうわけか、"あの方"を知っているような口ぶりだったっけ。


 そんな事を思っていると、すぐに汐は表情を厳しくする。


「妖界側の結界は綻びが生じにくくなりましたが、一方で、鬼界側は補強されていません。夏の間は遭遇することはありませんでしたが、次にあくとしたら、鬼界の入口です。鬼界は妖界に比べ、危険な者共が多い場所です。綻びが確認され次第すぐに参りましょう」


 緊張感のある汐の口振りに少しだけ不穏さを感じつつも、その時の俺はまだ、鬼の恐ろしさを知らぬまま、ただ何となく汐の言葉に頷いたのだった。

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