第114話 柊士の見舞い

 柊士が目を覚ましたのは、それから二日後のこと。これ以上目を覚まさなければ妖界へ、という話が出始めた頃だった。


 あれだけの怪我だったのだ、目を覚ましたとはいえ、きっと話をするのも辛いに違いない。

 そう思いつつ学校帰りに見舞いに向かうと、柊士はまるで何事も無かったかのように、いつも通りに机に向かっていた。


「あんな怪我したんだから、寝てろよ!」


 思わずそう声を上げると、柊士は鬱陶しそうな顔でこちらを見た。


「騒ぐなよ。淕じゃあるまいし。」


 そう言う柊士の側では、疲れたような表情の淕がいる。

 柊士の言葉と淕の様子から察するに、同じ様なやり取りを散々繰り返した上で淕が根負けしたのだろう。


「傷は塞がってるし、動かなきゃ痛みも殆どない。」

「その様な事を仰って、歩くのもままならないではありませんか。尾定殿にも二三日は寝ているようにと言われていますし。」


 淕は眉尻を下げて柊士を見る。こと、柊士の事に関しては、淕は本当に苦労性だ。


「医者の言う事くらいちゃんと聞きなよ。」

「大丈夫だって言ってるだろ。」


 柊士はそう言うと、コトリとペンを置く。


「奏太、あの時、お前が来てくれて助かったよ。感謝してる。」


 柊士は真っ直ぐに俺を見て、真面目な表情でそう言った。何時になく改まった態度に、何だかむず痒い気持ちになる。


「いいよ。俺も柊ちゃんに助けてもらってるし、亘達が付き合ってくれたおかげだから。バカ二人が開けた大穴をチャラにしてくれればそれで。」

「ああ、そっちは、そのバカ共に修理させたって親父が言ってたな。それはそれ、これはこれだ。奴らにちゃんと言って聞かせておけよ。」


 あいつらと一緒に説教される事態だけは避けられたみたいだけど、結局俺が手綱を握らなければならないのは変わらないらしい。

 亘は柊士に怒鳴られたと言っていたが、今度あいつらが何かやらかしたら、連帯責任からは逃れられなそうだ。


 まあ、考えると気が重たくなるので、ひとまず棚上げしておこう。そうなった時はそうなった時だ。


 それよりも。


「ところで、柊ちゃんは一箇所にあれだけの鬼が現れた理由を聞いた?」


 なんであんな風に柊士が襲われることになったのか聞いておきたかったのだ。しかし、俺の問に柊士は首を横に振る。


「いや。まだ調査中だそうだ。正直原因が判然としない。樹や碓氷の様な者も居なかったしな。」


 それに淕は悔しそうに拳を握った。


「しかし、あの小さな綻びから、あれ程の鬼が出てくるのは不自然です。何者かの企みによるものだとしか考えられません。」


 一応、幻で見た結界の穴は、無理をすれば大人一人通れるくらいの隙間はあった。

 ただ淕が言う通り、あれだけの数が通り抜け、さらに待ち伏せていたかのように柊士達に集団で襲いかかるのは偶然であったとは到底思えない不自然さだった。


「拓眞の監視は強化されてるから、アイツが起こしたこととは考えにくいって亘が言ってた気がするけど。」

「さあな。何れも可能性の話だ。ただ、主犯かどうかは置いておいても、その可能性がある以上、ひとまず祭りは縮小、護衛役を選ぶ力比べも中止になった。」


 まあ、拓眞の動機の一つが護衛役の座だと思われる以上、予定通りに開催は難しいのだろう。


「でも、いいの? ずっと続いてる風習なんでしょ?」

「何でも特例措置ってのはあるんだよ。今回に関しては、亘も淕も交代しなきゃならないような年でもないし、結果がどうあれ俺もお前も護衛役を交代させるつもりは無いだろ。」

「まあ、そうだけど……」


 そう言いつつ淕をチラと見ると、


「柊士様……」


と瞳をうるうるさせて柊士を見つめていた。当の柊士はそれを見向きもせずに話を続ける。


「護衛役を選ばないってだけで、力比べ自体は実施予定だ。相撲と一緒で神事の意味もあるからな。」

「そうなんだ。」


 柊士の言う通り、俺は自分の護衛役を亘から変更する気はないし、絶対に戻ってこいとも命じた。柊士も同様に、淕から変更するつもりがない。そもそも、二人共がまだ力のある武官だ。慣例である、という以外に交代の理由はない。妥当な判断なのだろう。


 いろいろ企んでいただろう拓眞はさぞ悔しい思いをしているに違いない。


 そう思っていると、すぐそこから心底残念そうな声が聞こえてきた。


「お陰で、柊士様が御当主になられる日も遠のいてしまいましたね……」

「え、祭をきっかけに当主交代の予定だったの?」


 驚いて声を上げると、柊士は苦笑する。


「今のままのほうが気楽でいいけどな。親父はようやく当主代理から解放されるところだったのにってボヤいてたよ。」

「代理? 伯父さんて正式な当主じゃないの?」


 当たり前のように伯父さんが当主だと思いこんでいたから、代理だなんて考えた事もなかった。


「いろいろ複雑なんだよ。少なくとも親父は婿養子で、どこかで日向の血は引いてるけど直系じゃない。本当は死んだ母さんが当主だったけど、親父が代理をしてるだけで、俺、結、お前の誰かが当主を継ぐ年になるまでの中継ぎだって聞いた。だから、親父は粟路さんのことも榮のことも、さんをつけて呼ぶし、二貴族家にあまり強く出られないんだ。」


 まさか、そんな事情があったとは思わなかった。里で亀島が大きな顔をしているのも、それが影響しているのだろうか。


「でも、直系で次期当主になる柊ちゃんも粟路さんって呼んでるだろ。」

「粟路さんは、親父がさん付けで呼ぶから自然にそうなっただけだ。」

「榮は?」

「何であんな奴に敬称付けなきゃなんねーんだよ。そもそも、里に閉じこもったままで、まともに話をしたのは役目を負うようになってからだし、散々嫌味言われまくったらそうなるだろ。お前と一緒だ。」


 まあ、言われてみれば、俺も同じ様な理由で粟路にだけ、“さん”付けだけど。


「そもそも亀島と違って、雀野は当主が代理だろうときちんと当家を尊重して支えてくれてる。重用するのは自然の流れだ。

 一応そういうのも全部引っくるめて、粟路さんからは、当主になったら呼び捨てにしろとは言われてるけどな。二貴族家におもねるるなって。」

「へぇ。なんかいろいろ大変そうだね。」


 本家の当主ともなるとそういうこともあるのか、とぼんやり考えていると、柊士は呆れたように首を傾げた。


「他人事のような顔してるけど、お前も似たようなもんだからな。最初の大君の血を引いている以上、人界の二貴族はもちろん、妖界の貴族家よりも立場は圧倒的に上だ。どちらとも交流していくなら、それなりの対応は必要だぞ。」


 そういえば、同じような事を以前妖界に行った時に璃耀にも言われた。同時にハクの臣下であることも忘れるなと釘をさされたのだ。

 もっとも、その背景には別の思惑がありそうだったけど。


「……そういうの、苦手なんだけどな……」


 思わずそう零すと、柊士はフンと鼻を鳴らす。


「お互い様だ。妖連中はその辺の対応は刷り込まれてるし、実行しているかどうかはおいておいても亘ですら基本的なことは押えてる。瑶に躾けられてる汐達なら尚の事だ。奴らに都度教えてもらえ。」


 ……また汐に教えてもらえ、か。


「たまには柊ちゃんが教えてくれても……」


 そう言いかけたら、柊士は何も言わずに物凄く面倒そうな表情をこちらに向けた。

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