第192話 行倒れの少年①

 既存の拠点に残されていたのは、柾を除く人界の妖たちと俺の護衛のために残された妖界の者数名だった。

 亘の判断は変わらずだ。周囲の警戒に妖界の武官達も回された。璃耀から死んでも俺を守れと指示を受けていたらしい妖界の武官達から抗議の声が上がったが、亘は空木に言ったのと同じ様なことを妖界の者たちに言い放ち黙らせていた。


 亘に乗って空に舞い上がると、土の穴の中がいかに温かかったかを思い知らされた。外は空気が一段と冷たい。更に上空に舞い上がれば凍えるような寒さの中で風が直接吹き付けてくる。


「しばらくの間、ご辛抱ください」

 

 勝手に震えだしそうになる体にぐぐっと力を入れていると、汐が心配そうに俺の顔を覗き込んだ。


 俺達は隊列を成して寒空の下を進む。見えたのは、聞いていた通り、本当に何もない鬼界の景色だった。

 緑が全くないわけではない。でも極めて少なく、たまに緑をみつけても荒らされてハゲ散らかしたみたいになっていた。これでは何も実らないだろうなという感じだ。色の薄い茶色っぽい葉がついた木もポツポツと見えたけど、何だか元気がなさそうなのばかり。生き物の姿は、今のところ見ていない。


「厳しいとは聞いてたけど、まさか、こんなところで暮らしてるなんて……」


 少なくとも人が住めるような環境ではない。鬼は体が丈夫だと聞くし多少は違うのかもしれないけれど、それでも、何かを食べなければならないとすれば、この様な状態では苦しいだろう。

 

「だからこそ、貴重な緑を作る事ができる白月様が女神と呼ばれたのでしょう。貴方も同じですよ、奏太様」

 

 汐はまるで幼い子に言い聞かせるように、これまで何度となく聞かされてきた言葉を繰り返した。


 出発してからどの位飛んだだろうか。


 「……ねえ、汐、あれ」


 俺はすっと少し先の地上を指し示した。何も無い地上だからよく分かる。誰かがボロボロの服装で倒れているのだ。しかも体型を見るに、たぶん子どもだ。


「放っておきましょう。あれが何であれ、鬼であることは変わりありません。今は先を急ぎます。ずっと震えていらっしゃるではありませんか」


 我慢しているつもりだったけど、全然止められていなかったらしい。まだ熱が下がり切る前に出発したせいもあるだろうけど、正直とてつもなく寒い。それに加えてズクズクとした頭痛もしてきている。

 

 でも、このまま通り過ぎるのは何となく良心が痛む。周囲は何も無いだだっ広い大地。その中にポツンとたった一人で倒れている者を放置して飛び去ることへの罪悪感が湧いてくる。俺達が通り過ぎたら、もう助けは望めないかもしれない。

 ここからでは角が見えないせいで、普通に人間の子どもが倒れているように見えてしまうのも要因かもしれない。


「亘、降りてよ」


 トントンと背を叩く。しかし、亘は首を横に振る。


「一刻も早く拠点に辿り着かねばならぬ時に、馬鹿なことを言わないでください」

「……じゃあ、椿、ちょっと様子を……」

「護衛を御身から離してどうするのです!」


 汐に叱られた。

 むぅっと唸りつつ、俺は下を飛ぶ巽に目を向ける。


「巽にも向かわせませんからね」


 思考を読んだように、先回りして汐が言った。


「……あっそう……」


 誰も話を聞こうとしてくれない。本気で倒れた子どもを無視するつもりだ。

 

 俺はもう一度、巽の位置を確認する。

 口では冗談を言っていても、亘が俺をわざと落とすことはない。どちらかと言うと俺の体調不良を気遣っていつもよりも丁寧に運んでくれているくらいだ。

 しかも、万が一フラついて亘から落ちても拾い上げられるように巽がいる。だから巽は体を大きくして飛んでいるし、チラチラと心配そうにこちらを見ている。

 

 あの姿は、根源的な恐怖心を掻き立てられるから嫌なんだけど……


 俺は小さく息を吐く。


 まあ、しょうがないか……


 それから目を瞑り、そのままふっと体の力を抜いた。ズルリと亘から自分の体がずれて、頭が逆さになる。


 自分が馬鹿なことをしてるのはわかってる。たぶん熱のせいで頭が働いていない。あと、頭は痛いしちょっとした事で疲れるのに、みんなを説得するのが面倒になった。


 そのまま、亘から体が離れて、ふわっと内臓が浮き上がるような感覚とともに宙に体が投げ出され―――


「奏太様!!!」


 周囲に悲鳴が響く。体が空気を切り風を受けたようになる。しかし、すぐにグンと背中の服を引っ張られる感覚がして目を開けた。上を向けば、トンボの姿の巽がこちらを見下ろしている。やっぱり、いつ見ても怖い。肉食虫に捕まった小虫の気分だ。


「ご無事ですか!? 奏太様!!」

「うん、平気。あのさ、このまま一回おろしてくれる? あの辺りに」


 俺が子どもが倒れているあたりを指し示すと、変化のわかりにくいトンボの顔のはずなのに、巽の表情が一段怖くなった気がした。


「……え? まさか、わざと落ちたわけではありませんよね……?」

「……さあ、どうだろうね」


 あんまり顔を見ないほうが良さそうだと視線を逸らすと、プルプルと背中を掴む脚の震えが伝わってきた。


「万が一の事があったらどうなさるおつもりですか!!?」


 あまり怒ったところを見たことがない巽から怒声を浴びるという貴重な経験ができた。 



「貴方は馬鹿ですか!!?」


 地上に降り立ち地面に座りこむと、亘に思い切り雷を落とされた。怒ってるのは亘だけじゃない。汐から冷っとした空気が伝わってくるし、椿は涙目でこちらを睨んでいる。巽は人の姿に戻ったのに、俺の服を掴んだままだ。

 

「……あんまり頭が働いてない自覚はあるよ……。でも、子どもが倒れてるのに、スルーできないだろ、普通」

「人界の普通など通用しません! ここは鬼界で、倒れているのは鬼だと言っているでしょう!」

「わかってる、わかってるよ。けどさ……」


 そこまで言いかけて、ズキっと強い頭痛に襲われて頭を押さえた。


「……無茶をなさるからですよ」


 呆れたような声を出した汐が俺と目を合わせるようにしゃがむ。それから、冷たい手を俺の額に当てた。体は寒いのに、火照った顔に気持ちがいい。


「出発前より熱が上がっています」

「空木、次の拠点まで、あとどの位ありますか?」

「あと半刻ほど飛べば、というところです」

 

 椿が振り返った先で、空木がテキパキした様子で周囲に警戒の指示を飛ばしつつそう答えた。体は子どものように見えるのに、デキるリーダーという感じだ。


 そこまで考えてハッとした。子どもが倒れていると思って強行突破したけれど、あそこにいるのは本当に子どもだろうか……? いや、人と似た姿の者が倒れていたら、相手が子どもじゃなくても気になっただろうけど……


 倒れていた子どもの方に目を向けると、人界の妖連中に取り囲まれていた。でも、誰も助けようとはしていない。ただ取り囲んで武器を構え、警戒しているだけだ。


「……一応、体を張った俺に免じて、誰か助けてやってよ……」


 あんなふうに見ているだけじゃなくて、生きてるかどうかとか、怪我をしてないかとか、せめて様子をみてほしい。しかし、目の前の汐にはすごく嫌な顔をされた。

 言いたいことはわかるけど、せっかく無理を押し通したのに、ここまできて譲るつもりはない。ぐるりと俺を取り囲む皆の顔を見回すと、巽がハアと息を吐き出した。


「……仕方がありませんね。僕が行きます」

「巽」


 亘が巽を睨むと、巽は小さく肩をすくめた。

 

「だって、これ以上無茶をされたら、困るのは僕らじゃないですか。もう落ちてくる奏太様を見て肝を冷やしたくありませんし、問答している間に奏太様の体調はどんどん悪化していきますよ? 鬼の子どもを助けるだけで解決するなら、その方が早いです。」


 巽は時々、ものすごく頼りになる事を言ってくれる。感動の目で見つめると、今度は巽に嫌な顔をされた。


「仰る通りにしますから、奏太様はもう余計な事を考えずに御自分の身体のことだけを考えてください」


 巽が言うと、亘はガシガシと自分の頭を搔く。それからもう一度ジロリと俺を睨んだあと、諦めたように溜息をついた。


「巽、お前はここにいろ。空木、そこの鬼を取り囲んでる連中の中から数名選んで鬼を拘束させ、どこかの集落の近くにおいてくるよう指示を出せ」

「え、手当は? 拠点に連れていくとか……」

「必要ありません。それに鬼を拠点につれていくなどもっての外です。……本当に熱のせいで正常な判断ができていないようですね」


 あれほど怒っていたのに、急にそんな心配そうな顔をされるとこちらが不安になる。一応、助けようとはしてくれるようだし、ここから先は口を噤んだほうがいいかもしれない。

 空木の指示を受けた武官が鞘に入ったままの刀で子どもを起こそうと突いているのは気になるけど……


 子どもと武官達の様子を見ている間に、いよいよ調子が悪くなってきた。ここから一時間、亘にしがみついていられるだろうか……


 フラフラしてきた頭を支えて目を瞑る。


「奏太様、大丈夫ですか?」

「……ちょっとだけ、休憩させてくれないかな? やっぱり、少し無理しすぎたみたいだ……」


 汐に問われてそう答えると、椿が空木に周囲の状況を確認しにいってくれた。一方で、亘は周囲をみまわす。


「速度は落ちますが、私が抱えて行きましょうか?」

「それは有り難いけど……でも、もう少し待って……」


 動かず風にさらされず、とにかく蹲って居られる時間がほしい。


「しかし、周囲に緑が芽生え始めています。目立つ前にここから離れねば危険です」


 亘の言葉に改めて下を見ると、確かにピョコピョコ飛び出した緑の芽が広がり伸び始めていた。久しぶりの緑の光景はすごく癒やされるし落ち着く。さわさわと揺れる草花を触れていると、途端に家に帰りたくて泣きたくなる。

 

「……人界に……家に帰りたいなぁ……」


 そう呟いた途端、亘にグイッと荷物のように持ち上げられた。


「何すんだよ! もうちょっと待ってくれって……」

「長居無用だと言っているではありませんか。心が弱っている証拠です。体を治す方を優先させましょう」


 ……確かに体調不良が続き、移動で回復しかけたところで再び悪化して、少し心細くなっているのかもしれない。俺は諦めてくたりと亘にもたれかかる。


「あの子どもの方は……」


 大丈夫だろうか、と少し顔の向きを変えて目を向けると、武官達に取り押さえられてはいるが、どうやら目を覚まし問題なく起き上がることはできているようだった。

 気になるのは、黒い髪に二本の短い白い角のある痩せ細った少年が、緑色の目を大きく見開いてこちらをみていたこと。


「……なんで、ハク姉ちゃんと同じことが……」


 口元で呟かれたはずのその言葉は、風に乗っていたせいか、妙にハッキリと耳に届いた。

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