第45話 協力の要請②

 穴の中を進む間、京が燃えてから今まで、何があったのかも簡単に教えてもらった。


 宮中も京も燃え、皆が逃げ惑い、近衛も軍も検非違使も総出で、ハクの命に従って人々の避難に奔走した。

 その中で行方不明になった者たちもいた。

 そしてそれに紛れて、青嗣達のような裏切者も姿を一時的に消した。


 混乱の中で、ハクの行方もわからなくなった。


 死の泉と呼ばれる場所の方角に璃耀と共に走っていったという目撃情報は得たが、情報を得たときには日が昇り、近くに行くのも困難な状況だった。


 そして、次にハクが現れた時には、一人、焼け爛れひどい状態の璃耀を抱え、森で皆を探していたそうだ。


 ハクは璃耀を医師に託し翠雨に皆を任せ、自分が行かなければ今度こそ森ごと燃やされてしまうと……自分に皆を守らせてほしいと言い残して、自ら遼と思われる者の手をとったのだという。


「最後までお側にいたのに、辛そうな顔を押し隠すように笑った白月様を、どうしてもお止めできなかったと、凪殿は泣いていた。皆が、悲しみや後悔、喪失感や不安の中にいる。あの方を失った事は、皆にとってそれだけ大きな事だったのだ。」


 蒼穹は難しい表情の中に悲しみを滲ませてそう言った。



 蒼穹に連れられて行った穴の最奥に、一箇所だけ木の板が嵌め込まれた場所があった。


「翠雨様、蒼穹です。連れてまいりました。」


 蒼穹が板の前で跪き、皆もそれに倣う。俺と柊士も例外ではなく、グイッと肩を上から押され、無理やり膝をつかされた。


「入れ。」


という短い返事が板の向こう側から響くと、こちら側の兵が板に歩み寄り、丁寧に取り外す。


 さすがにドアや襖のようにはできず、それでも貴人の部屋に戸がない訳にもいかずに板を立て掛けることで妥協したのだろう。


 中に入るとそこは意外に広く、俺達を含め、数名の男たちが入っても余裕があるような場所だった。


 壁も床も天井も土でできた洞穴だが、一番奥、翠雨が座して居るところだけは一段高くなっていて、戸と同じような木板が敷かれている。


「それで、白月様に関する情報を持っていると聞いたが。」


 翠雨の前で再び膝をつかされ、頭をグッと抑え込まれた俺達に、翠雨の声が頭上から投げかけられた。


 頭を抑え込んだ兵士の手がパッとはずれると、俺は勢いで顔を上げる。


「は、はい。幻妖京があんなことになってしまったあとに会って、助けてもらったんです。でも、代わりにハクが……」


 そこまで言いかけて、翠雨が随分苦い顔をしているのにハッと気づいた。


「……其方らを助けた、か。」


 翠雨は絞り出すようにそう呟く。


「……はい。」


 何だか続きを言えなくなってしまい、そう返事だけすると、翠雨は額に手を当てて俯いた。


「あの方はいつもそうだ。何故御自分の身を第一に考えてくださらぬ。我らを救う為にと出ていき、出ていった先でまた別の者を救う。どうせまた無茶をなさったのだろう。」

「……それは……」


 完全に翠雨の言うとおりだが、そのままYESとは答えにくい。

 口ごもっていると、こちらの反応を察したように翠雨はハアと小さく息を吐き出した。


「御自分が犠牲になってでも周りが助かればそれで良いとお考えなのだ。それで白月様に何かがあれば、助けられ、残された方は堪らぬ。」


 そう言いながら、包帯の巻かれた手をもう片方の手でギュッと強く握る。


 翠雨の気持ちはよくわかる。自分の身を犠牲に助けられて、平然としていられる者なんて多分いない。


 俺だって、ハクはあの後どうなっただろう、大丈夫だろうかと、別の事を考えていても頭の何処かでそれがずっと渦巻いている。

 そして万が一、大きな怪我をしたり殺されたりしていたら、確実にトラウマになると思う。


 京の者たちにしてみれば、自分達の命と引き換えに、ハクが自分の残りの人生を差し出したようなものなのだ。その事実だけで、心に枷をつけられたような気分になる。


 だからこそ、すぐにでも助けに行きたいと気持ちばかりが焦ってしまう。ハクに何事もないうちに、どんなことをしてでも。


「……助けられっぱなしなんてゴメンだ。」


 不意に、そんな言葉が口をついて出た。

 俺がそんな事を口にすると思っていなかったのか、翠雨は、僅かに目を見開いてこちらを見る。


 それに、隣りにいた柊士が同意するように頷いた。


「そのとおりだ。だから、俺達はここに来た。白月を助けたい。力を貸してほしい。」


 翠雨は眉根を寄せて俺と柊士をじっと見る。


「其方らの気持ちも分かる。しかし、助けるとはいうが、我らを救う為に出ていったあの方を救出に行ったところで、戻ってきてくださるとは思えぬ。例えお側に行けたとしても、追い返されて終いだ。」


 しかし、柊士はそれに、フンと鼻を鳴らした。


「捨てられたと不貞腐れていたって仕方がないだろ。」

「何だと?」

「ちょっ、ちょっと、柊ちゃん!」


 翠雨が剣呑な雰囲気を漂わせるのを見て、慌てて柊士に鋭い声を上げる。

 俺自身も勢いで話してしまったところはあるが、そもそも相手は、ハクに次ぐ権力者だ。無礼を働いていいわけがない。協力を取り付けられないどころか、最悪、始末されてしまう。


 しかし、俺の心配を他所に、柊士はちらりともこちらを見ずに、ただ、翠雨をじっと見据えていた。


「冷静になれってことだ。

 白月が帰って来ないのは、この場所に住む者達にとって遼の力が危険すぎるからだ。敵を殲滅して確実に遼を仕留めれば、あいつが帰ってこられない理由はなくなるだろ。」


 柊士の静かな響きに、皆がピクリと反応する。


 少し考えたら、その結論に直ぐに達しそうなものだが、きっと混乱の中で、考える余裕もそこに割く余力も無かったのかもしれない。


 柊士は更に続ける。


「そういう意味では、今回に関しては、白月が一人敵方に降った判断はある意味正しい。」

「……正しい?」


 翠雨は怪訝な表情を浮かべた。それはそうだ。ハクを行かせた事自体を悔やんでいるのに、正しいと言われる意味がわからない。


 しかし柊士は、何故わからないのかとでも言うように、それに少しだけ肩を竦める。


「奏太にも言ったが、遼が結に執着している以上、確実とまでは言えないが、あいつが殺される可能性は極めて低い。

 一方で、白月がこちらに残ることを選択した場合、あいつを奪うために、あの混乱状態の中、敵味方の見極めもできないまま右往左往しているところを攻められていたはずだ。」


 柊士の言葉に、隣から蒼穹の唸り声が漏れた。柊士は更に続ける。


「あいつがそこまで考えていたとは思えないが、少なくとも今、体制を立て直し、備える時間を稼ぐことはできている。

 さらに、偶然にも俺達を逃した事で、味方の顔をしつつこちらに潜む者がいる可能性を伝えることができた。」

「……味方の顔をして潜む者?」


 翠雨はそう言いつつ蒼穹に目を向けた。それに、蒼穹が軽く頭を下げて応じる。


「この者どもを捕えた者の中に、青嗣という軍団の者がいたそうです。他にも数名、仮面をつけて武装した者が居たと。青嗣は、京が燃えた際、一時的に行方がわからなくなっていた者の一人です。事前に、京に起こることを知って脱出していた可能性も考えられます。

 間者の存在に気付くことができず、申し訳ございません。」


 苦い表情を浮かべながら聞いていた翠雨に、蒼穹は、ぐっと地面スレスレまで頭を下げる。

 翠雨はそれをちらっと見たあと、疲れた様子で目頭を片手でグリグリと押さえた。


「裏切り者を見抜けなかったことについては、今は置いておけ。烏天狗の山の一件も考えれば、軍団だけとも限らぬ。もし他に潜んでいるなら、炙り出す方が先決だ。」

「はっ。ひとまず、瑛怜様のお考えも伺いたく、使者を立てております。」

「そうか。わかった。後で瑛怜も呼び寄せよう。」


 そう言うと、翠雨はハァと深く息を吐き出す。


「それにしても、裏切り者が複数潜んでいる可能性があるとは、弱り目に祟り目だな。」


 疲れ果てたようにそう言う翠雨に、柊士は小さく首を横に振った。


「いや。放っておいたら結を取り戻すために何を仕出かすかわからなかった遼の居場所を捕捉でき、こちらに潜んでいた不穏分子も洗い出せる。むしろ、今を好機と捉えるべきだ。」

「……好機か。随分前向きな事だな。」

「不安の種にばかり目を向けていたって仕方がないだろう。白月を救うなら、今ある状況を有効に使うべきだ。」


 柊士は翠雨の様子に眉根を寄せた。しかし、蒼穹もまた、柊士の言葉をうけつつも、懸念を上乗せする。


「言っていることはわかるが、不穏分子の存在は、そのままこちらの戦力の低下に繋がる。ここも守らねばならぬ以上、攻めるほどの余力が我が方にはない。」


 蒼穹がそう言うと、柊士は蒼穹に視線を移し、じっと見据えた。


「戦力なら問題ない。幻妖京の上空は、まだ人界と繋がったままだろう。遼は自分の力を誇示するつもりだろうが、逆に利用してやればいい。」

「……利用するって、どうするの?」


 思わず双方の会話に口を挟む。

 京を混乱に陥れた元凶である、空の結界の穴を活用する方法なんて、全然思いつかない。

 何なら、俺と柊士で直ぐにでも閉じてしまった方が良いのではと思うくらいだ。


 しかし、柊士の口から出た言葉は、思いもよらぬものだった。


「人界の妖を呼んで協力させる。それで戦力の確保はできるはずだ。」

「……は?」


 まさか、人界の妖を戦力に加えようと言い出すとは思わなかった。

 でも確かに、上空にぽっかり空いた人界への穴を使えば、大量の戦力を投入することは可能だろう。


 ……人界の妖がどれくらいの数いるかは知らないけど。


 それに、向こうは向こうで守りも必要だし、混乱だってしてるだろう。


「……協力してくれるかな……あっちも大変なのに……」


 そう呟くと、柊士は呆れたような目でこちらを見た。


「お前、なんにも分かってないな。人界の妖は、最初の帝の血を引く者に仕えてる。つまり、俺達に仕えてるってことだ。こちらに協力しろと命じてやればそれでいい。」


 何も教えてくれなかった人に、なんにも分かってないと罵られるのは不本意だが、確かに亘が以前言っていた使命を考えれば、そう言うことになるのだろう。


「それに、今までは親父や、あいつらの筆頭である粟路さんが指揮を取っていたが、親父が居なくなった今、本家の当主はこの俺だ。文句なんて言わせない。」


 柊士はそう、キッパリと言い切った。


 それを見ていた翠雨が、怪訝そうな顔で、僅かに首を傾げる。


「……しかし、其方らは何故、そうまでして我らに……」

「別に、お前らのためだけじゃない。」


 翠雨に最後まで言わさずに、柊士はピシャリとはねのけた。


「……俺も家を焼かれ、親父を刺された。俺達が住んでる地域も危ない。それに……」


 柊士はそこまで言うと、視線を下げて言いにくそうに唇を噛む。しかしすぐに、目線を上げて、真っ直ぐに翠雨の目を見据えた。


「あいつの無茶なんて、今に始まったことじゃない。例えあいつが白月になったとしても、結は、一緒に育った俺達の身内だ。」


 柊士がそう言い放つと、翠雨は目を丸くして柊士を見る。

 それから、フフっと、小さく笑いをこぼした。


「……なるほど。其方も白月様に振り回されてきた口か。」

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