第170話 鬼界の景色②:side.白月
「姉ちゃん、一体何者?」
いくつかを自分の口に放り込んだあと、柿のような実をいっぱい抱えて木から降りると少年は小首を傾げた。
「さあ、何者だろうね。自分でもよくわからない」
「ここをこうしたの、姉ちゃんだろ。俺、見てたんだ。地面が緑になって、ぐんぐん木が大きくなって、実がなっていくの」
私が気づかなかっただけで、随分前から見られていたらしい。
「そうだね。でも、私も何でこうなったのかはわからないの」
十中八九、陽の気のせいだけど、それだけでは説明がつかないような現象だった。
「まだここにいる?」
「一応、危険がないように迎えが来るまで隠れてるように言われたから、移動はするつもりだよ。でもこの辺りに来るのは初めてで……ねえ、どこかに隠れられそうなところ、知らない?」
「え、一人なの? 迎えがくるまでって、もしかして置きざりにされたの?」
少年は大きく目を見開く。けど、見渡す限り
「あのさ、王都の方から来たなら知らないかもしれないけど、この辺りは危険なんだ。夜になると
御先祖様の話にでてきた生き物の名前に、私はピクリと反応する。
「ねえ、虚鬼ってどんな奴なの? 私も危険って聞いたけど」
「辺りが暗くなると出てくる中身のない鬼だよ。昼間は出てこないんだ。姿形は俺達と似てても、喋れないし誰彼構わず襲う。この辺は強い奴はあんまり出ないけど、弱いやつでもなりふり構わないから大人じゃないと対処できないんだ。」
御先祖様に聞いていたよりも詳しい情報ではあるけれど、やっぱりよくわからない。あちらの世界にいた時に話のできる鬼とそうでない鬼がいたけど、後者は虚鬼だったのだろうか。
「でも、姉ちゃんは相手が虚鬼じゃなくても危ないと思う」
不意に発した少年の言葉に、私は首を傾げた。
「どういうこと?」
まさか、虚鬼みたいに危険な生物が他にも出るのだろうか。そう思って尋ねると、少年はそっと目をそらした。
「俺、姉ちゃんが鬼かどうか、ハッキリわからないんだ。……姉ちゃんは鬼なの?」
何で急にそんな事を言い出したのかわからないが、私は言葉をぼやかしながら答える。
「うーん、どうだろう。少しだけ鬼が混じってはいるみたいだけど……」
「何に混じってるの?」
「さあ。人間かもしれないし、獣かもしれないし、妖かもしれない。」
少年は私の言葉に意味不明とばかりに眉根を寄せた。
「姉ちゃん、ちょっと不思議なんだ。食べちゃいけない感じがするのに、すごく美味そうに見えるんだ。放っておいたら、普通の鬼にも喰われちゃうかも」
少年はそこまで言うと、考えるように言葉を切る。
「あのさ姉ちゃん、この木にしたみたいなこと、他の木にもできる?」
「どうだろう。試してみないとわからない」
私の答えに、少年は空をチラッと確認したあと、すっと少し離れたところにある枯れ木を指差した。
「ちょっとやってみてくれない?」
「……まあ、いいけど……」
陽の気をたくさん使うわけでもないから別にいいけど、虚鬼が夜に出るなら、その前に隠れ場所を探しておきたい。
「でも先に、隠れられそうな場所を教えてくれない?」
「姉ちゃんがこの木にしたのと同じ事ができるなら、俺の家にくればいいよ」
さっき美味そうに見えると言った口で何を言うのか。そう思って少年を見ると、少年は少し気まずそうに笑った。
「食べられるものをたくさん作ってくれそうな奴を食ったりしないよ。それに、食べちゃいけない感じがするって言っただろ」
……なるほど、だからもう一回試してみせろってことね。
「わかった。でも、同じようにならなくても、隠れられそうな場所だけは教えてね」
私は少年に約束させると、もう一つの枯れ木に向かう。ペタリと木の幹に触れると先程のようにちょっとずつ陽の気が引き出されはじめた。最初は何も変化がないように見えたけど、やはりしばらくすると先程と同じように木の幹にハリが出て太くなっていく。
少年はそれを見上げながら、感嘆の息を吐いた。
「やっぱりすごいや!」
キラキラした目で少年は木の変化をじっと見つめている。だけど、変化は本当にゆっくりとしたものだ。いや、木の成長という意味では驚くべき速さなのだけど、陽の気で成長することがわかった身としては、今のゆっくりさ加減がなんだかまどろっこしい。
……これ、陽の気を一気に注いだら、もっと早く育つんじゃない?
ふとそんなひらめきが心に浮かんだ。試しに、木に当てている手に陽の気を集中させて、自分から思い切り流し込んでみる。
瞬間、自分が注ぐよりも多くの陽の気がずわっと一気に吸いだされて、私は目を見開いた。
大岩様に直接陽の気を注いだときと同じ感じだ。慌てて手を離そうとしたけど離れず、陽の気がズズズズッと物凄い勢いで引き抜かれていく。
「……うわ……やばっ……!」
このままだとあの時の二の舞いになるのではと思わず声が出る。しかしそうして一人で慌てているうちに、本当に突然、何の脈絡もなく、引き剥がそうともがいていた手が木の幹からパッと離れた。
驚いてよろけながら見上げると、枯れ木は立派な幹に重そうな葉っぱをもっさり載せた大木に変わっていた。
私は、はぁ~、と深く息を吐き出して木にもたれかかった。気の力を一気に引き出されると、体の負担になる量じゃなくても目眩がする。それに、陽の気を全部持っていかれるのではと焦ったせいでどっと疲れがやってきた。
……ホントに馬鹿だ。大岩様のときに学んだはずなのに、どうして同じ事を繰り返しちゃうんだろう……
「ねえ、大丈夫?」
少年の緑色の目が心配そうに覗き込む。
「あぁ、うん、ちょっと目眩がしただけ。大丈夫だよ」
体を立て直してニコリと笑って見せる。それから、わさわさ生えた木の枝葉に目をやった。
「随分大きくなったけど……あの木の実は……」
生っているのは、どうやら緑色のどんぐりのようだ。柿の実のようなものを期待していたから、なんだか拍子抜けしてしまう。
まあ、そんなに都合よくいくわけないか。
私はそう納得したけど、あまりわかっていなさそうな少年は、未だ期待の眼差しを私に向けてくる。
「食べれるの?」
え? えぇーっと……
あまりにキラキラした目を向けられて、うっと小さく息を呑んだ。子どもの頃に遊び半分で椎の実を焼いて中身を食べたことはある。でも、食べたのはたった一つだし、どんな形だったか覚えていない。それに、それ以外のどんぐりなんて食べたことがない。一応食べられると何処かで聞いたことはあるけど……
「……硬い殻をとって中身を出せば食べれるってきいたことはあるけど、私にはなんとも……」
「じゃあ、さっきみたいに食べてみよう」
少年は抱えていた柿の実を地面に置くと、今度はこっちの木にスルスルと登っていき、どんぐりが鈴なりになっている細い枝をプツッと引っ張ってもぎ取った。
「表側の硬いところを取るんだよね?」
「あ、でも、せめて焼いたほうが……」
私が止める間もなく、少年は鋭い歯でどんぐりを一つだけ割って中身を取り出し、ムグムグとし始める。
「……うーん……食べれないことはないけど、あんまり味はないね。たくさん集めて食べれば腹にはたまるかもしれないけど」
……お腹壊さない? 大丈夫……?
鬼の体なら大丈夫かもしれないが、少なくとも、好奇心に満ちた子ども時代ならともかく、私はもう食べようとは思わない。それに、どんぐり自体はたくさん生っているけれど、それを全部割って中身を出すのはなかなか大変そうだ。
「まあ、こっちの木の実のことは、また後で考えればいいや。どうせあっちの実だって全部は持って帰れないんだし」
少年は考えるように言ったあと、身軽に地上へ降りてきた。
「約束通り、俺の家に来たらいいよ。だから、これを持つの手伝ってくれない?」
少年は柿の実をもう一度抱え直すと、私にそのまま全部を渡してくる。落とさないようにしながら何とかバランスを取ると、少年は満足そうに笑った。
「俺は、あっちのをもうちょっと取ってくる。村の皆にも持っていってやらなきゃ」
「村?」
「うん。ここから少しだけ歩いたところにあるんだ。そんな遠くないよ。夜までには帰れる」
少年についてもとの柿の木まで行くと、少年は再び木に登って行きボトボトと柿の実を落とし始めた。
ある程度の量を落とすとスルスル降りてきて、来ていた服を広げてそこに入れられるだけ詰め込む。
「じゃあ、行こうか。」
少しバランスを崩せばポロポロと落ちていってしまいそうなくらいに詰め込まれているせいで、少年の足元はどうにもおぼつかない。
「歩きにくいでしょう? 大丈夫?」
「うん。これくらい大丈夫だよ。できるだけたくさん持っていってやりたいんだ」
たくさんの柿の実を抱えて、小さな鬼の子は、そう屈託もなく笑った。
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