第121話 人界観光の結末
ハクが楽しんでくれたなら、それでよかったのかもしれない。
そう思ったのは一時の事だった。
帰りの電車に揺られながら覚悟を決めてスマホの電源を入れると、電話の着信も、メールも、SNSの通知も、凄まじいことになっていた。
未だかつてスマホがここまで忙しくなったことがあっただろうか。
着信を残した人物たちの顔を浮かべてゾッとする。
……流石に放置したまま何食わぬ顔で家に帰るわけにはいかないよな……
いや、そうしたいのは山々だ。だけどこの状況を見るに、俺とハクが一緒にいることは既にバレていると思った方がいい。
確実にそうだと言えないまでも、見当くらいはついているはずだ。
これは、素直に謝った方が身のためな気がする……
乗換駅にたどり着き、遥斗をそのまま家に追い返そうとしたところで、タイミングよく柊士から電話がかかってくる。
まあ、タイミングよくとは言うが、今日だけで驚くほどの着信を残した人物だ。きっと無視をしていたら更に数度、電車の待ち時間の間にかかってきていたに違いない。
俺はチラとハクを見たあと、状況を掴めず首を傾げる遥斗をよそに、自首を決めた犯罪者の気分で、意を決してスマホの画面をタップした。
「お前、今どこだ。」
柊士の脅すような低い声が響いてきて、背筋がゾワッとする。
「……あの……☓☓駅で電車を乗り換えるところです……」
「今日、学校に行ってないらしいな。」
……潤也か……
「家に居たはずの白月が居なくなった。着信無視しまくったお前なら、どこに行ったか知ってるかと思ってな。」
これはもはや、疑いではなく確信しているような言い方だ。ハクを見ると、当人は固唾をのんでこちらを見つめていた。
「あ、あの……柊ちゃん、これにはいろいろ理由が……」
そう言いかけると、ギリと歯ぎしりが聞こえてきた。
「理由ね。妖界の帝を護衛無しで無断で連れ歩くに足る重大な理由があるなら、あとで聞いてやってもいい。けど、どういう理由があったにせよ、あいつを連れ回す事にどんなリスクがあるかくらい、お前だったら分かるよな。お前自身が散々危険な目にあってきたもんな。」
怒りを抑えるような言い方が逆に怖い。
「……仰る通りです……」
「今からそこへ行く。乗り換えなくていいから、改札出て待ってろ。そこから一歩も動くな。白月もだ。絶対に逃がすな。」
柊士は一方的にそう言うと、こちらの返答も待たずにプツっと通話を切った。
俺は数十分間後に訪れる地獄を想像し、通話の終わったスマホ画面を見つめてフリーズする。
「……怒ってるよね……?」
恐る恐る聞くハクに、俺はコクリと頷いた。
「凄く。ここに迎えに来るって。ハクのことを絶対に逃がすなって言われた。」
いや、わかってた。朝の時点で想像できていた。けど、目の前に現実が迫ると途端に逃げ出したくなる。
「なんかよくわかんないけど、迎えが来るなら、せっかくだしこのまま着いていって、今日は奏太の家に泊めてもらおうかな。」
「いや、お前はもう帰ってくれよ。そんな状況じゃないんだよ。」
遥斗は呑気な事を言っているが、泊められる訳がない。祭りの最中ということもあるが、それ以前に、これから俺とハクを待っているのは、複数の大人による説教だ。
「……覚悟はしてたけど、やっぱり怒られるのはやだなぁ。」
ハクはぼそっと呟く。それには心の底から同意する。
「柊ちゃんと伯父さん、怒ると怖いんだよ……」
「知ってる……」
……やっぱり、ハクに着いていったのは間違いだったかも……
俺は暗くなり始めた空を見上げて途方に暮れた。
近くの街灯に止まった
助手席側の窓がスーッと開くと、柊士は運転席から俺達をジロッと睨んだ。
「乗れ。今すぐ。」
それ程大きな声じゃないのに、低く命じるその声は凄く良く響く。俺とハクは同時にゴクリとつばを飲んだ。
「……あー、場合によってはついて行っちゃおうかなと思ったけど、なんかそんな雰囲気じゃなさそうだね。」
さっきまで帰ることを渋っていた遥斗は、怒りのオーラを車中に纏わせている柊士を見て、空気を読んだようにあっさりとそう言った。
「残念だけど、また今度にするよ。ハクちゃん、今日は楽しかったよ。奏太、また学校で。」
調子の良い遥斗にイラッとするが、帰ってくれた方が都合が良いのは確かだ。呼び止める理由がない。
片手を上げてさっさと俺達に背を向けた遥斗を、柊士は訝しげに見やる。
それから、鬼の形相で俺とハクに視線を戻した。
「さっさと乗れ。話はそれからだ。」
どうしても柊士の隣に乗る気にはなれず、二人揃って後部座席に乗り込むと、柊士は乱暴にアクセルを踏んで発車させる。
柊士が手元の操作で車の窓を完璧に締め切ると、
「わかってんだろうな、お前ら。」
と怒りを湛えた声音で静かに言われた。
「……はい……」
柊士はイライラした様子でバックミラー越しに俺たちを見る。
シンと静まり返った空気が肌に痛い。
「どれだけの騒ぎだったと思ってる。しかも、もうとっくに日は沈んでる。妖連中総出で探させる準備をしてたんだぞ。」
「……ごめんなさい。」
「……あの……でも、俺は巻き込まれただけっていうか……」
「奏太!」
ハクは見捨てるのかと言わんばかりに目を見開いた。
でも、実際そうだし……
そう思っていると、鏡越しに柊士にジロッと睨まれた。
「全力で止めろよ。止められないなら連絡しろ。こっちからの連絡を全部無視しておいて、何が巻き込まれただけだ、バカ。」
「はい、すみません。」
……ぐうの音も出ない……
「しかも、一緒にいたあいつは何だよ。」
「…………あれが、遥斗です……」
小さく呟くように言うと、柊士は思い切り舌打ちをした。
「お前、近づくなって言っただろうが!」
堪えきれなくなったように柊士が声を荒げる。ただ、遥斗の件に関しては、近づきたくて近づいた訳では無い。
「あっちから来たんだよ、俺の周辺を探ろうとして。そこにハクも居合わせて、何やかんやしてるうちに、こんな事に……」
言い訳がましく言葉を重ねていると、ハクは首を傾げる。
「ねえ、遥斗君がどうかしたの?」
言うかどうか一瞬迷う。でも話の流れ上言わないと収まらないだろうし、二度とないとは思いたいけど、万が一ハクが遥斗に再び合うようなことがあれば警戒できるにこしたことはない。
「……遥斗は、親を鬼か妖に殺されて恨んでて……ついでに俺のことを妖だと疑ってるんだ……」
「それどころか、押し倒されてナイフ突きつけられてんだろうが。」
柊士は苛立たしげにそう吐き捨てた。
「ええ、早く言ってよ!」
「言えないだろ、本人の前で。遥斗の事情もハクの事情も。間に挟まれた俺の気にもなってよ。」
「……それは、ごめん……」
呟くようにハクが言うと、今度は矛先がハクに向く。
「それで、お前が抜け出した理由は何だ?」
「…………か……カミちゃんのお勉強の為です……」
「勉強だ?」
おずおずと言うハクに、柊士は眉を顰める。
すると、ハクのポケットからピョコンと紙人形が飛び出してきた。紙人形はじっとハクを見上げて腕を組んでいる。
それにハクはたじろぐように顔を引き攣らせた。
「…………ごめんなさい。ウソです。お勉強にカッコつけて、私が外に出たかっただけです……久しぶりの人界の昼間に浮かれました……」
柊士はこれみよがしにハアと息を吐き出す。
「言っとくけど、妖界にも連絡は行ってるからな。」
ハクはそれに目を見開き一気に青褪めた。
「ま、まさか、璃耀に……」
「翠雨がここに居るんだから、受け取りはそうなるだろうな。」
唖然とするハクに、柊士はフンと鼻を鳴らす。
「自業自得だ。奏太もだぞ。叔父さんに連絡したからな。青褪めた顔で職場から帰ってきたぞ。覚悟しとけよ。」
全身からサァと血の気が引いたような気がする。柊士に怒られるところまでは覚悟していたが、まさか父にまで話がいくなんて。
俺も唖然と柊士を見つめる。
自分ではよくわからないけど、きっと俺もハクと同じ顔をしていたに違いない。
しばらく無言の時が続き、自宅付近に近づいたころ、ハクが
「あー……あの、柊士? ついでにちょっと寄りたいところがあるんだけど……」
「お前、さっきまでの話聞いてたか? 送り返すぞ、本当に。」
「ち、違う違う、遊びに行きたいとかじゃなくて、ちょっと、大岩様を見ておきたくて!」
慌てて顔の前で両手を振って否定するハクに、柊士は眉根を寄せる。
「大岩様?」
「ほら、あの近所の神社のやつ。今思えば、あれが結界石に一番近いと思うんだよね。だから、もう一回見ておきたくて。」
―――大岩様。
祭りの日に、十歳になる子ども達は
陽の気の使い手となれる資質のある者が触れると、手が光る不思議な岩だ。
俺も、柊士も、結も、そして遼も手を光らせた。
そんな不思議な岩がただの岩であるわけがない。確かに改めて見ておく価値はあるかもしれない。
そう思っていると、柊士は少しだけ首を傾げた。
「俺もお前に結界石の話を聞いてから行ってみたけど、特に気になるところは無かったぞ。」
「ほらでも、私は妖界の結界石を毎日見てるし、柊士が分からなかったことでも、何かわかるかもしれないでしょ。」
ハクの言葉に、柊士はしばらく考えるような素振りを見せる。それから、ようやく一つ頷いた。
「わかった。ただし、一回家に寄る。今も空から護ってる奴らは居るが、きちんと謝罪して護衛を着けてからにしろ。」
「……はい。」
本家につくと、
俺は父と伯父さんに思い切り怒鳴られたし、ハクも口調だけは一応丁寧ではあったものの、結構しっかり説教をされていた。
元は姪っ子だ。その辺りは容赦ない。
妖界の者たちがハクに強く出られなかった分余計かもしれない。
「戻ったら、この五倍は説教されるんだろうな……
ハクは二人から解放されたあと、ぼそっと青い顔でそう言った。宇柳はそれよりも更に顔色を悪くしてハクを見る。
「白月様、我らは更にその十倍のお叱りを受ける覚悟せねばならないのですよ……」
「だって、まさか璃耀に知らせがいくとは思わなかったし……っていうか、カミちゃんズルくない? 一緒に行ったのに……」
ハクはそう言いながら、紙人形姿のままの翠雨をつまみ上げた。
すると、後ろについていた凪がそれをヒョイと取り上げる。
「翠雨様もきっちり
凪はとても迫力がある笑みで、ジタバタ暴れる紙人形を目の前に持ち上げてそう凄んだ。
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