第36話 幻妖宮の迎え⑤

 それからハクは、妖界の者たちを伴って両親の墓へ向かった。


 柊士や亘達は既に近くにはいない。

 柊士はそもそもハクが家から出たときには居なかったし、亘達は遠く離れてその姿を見送るだけで、声をかけることもなかった。そして、ハクも同じように声をかけなかった。


 ハクは、結の名前も刻まれている墓石の前に一人座る。

 結の家においてあった線香とライターを持ってきていて、天に立ち上る一筋の煙をしばらくの間、じっと見上げたあと、妖界の者達が見守る中、静かに目を閉じ墓石に手を合わせた。


 墓参りを済ませると、今度は本家の裏山に向かう。ハクについていくと、そこは少しだけ開けた草原で、木のそばに小さな穴がポコっと一つ空いていた。


 ハクはその穴から少しだけ離れたところにスッとしゃがんで、穴の方をじっと見つめる。

 すると、一匹の眩いくらいの白い兎が穴から顔をのぞかせ、ぴょこんと飛び跳ねながら出てきた。

 更に吸い込まれるような漆黒の毛並みの兎が続いて出てきて、その後ろから、別の兎が一匹、二匹と出てくる。後から出てきた兎は、色の濃さは違うものの、ハクと似た銀色だ。これが、ハクの家族なのだろうか。


 ただ、どの兎もハクには近づこうとしない。

 じっとハクの方を見て、首を傾げるような仕草をするだけだ。


 ハクは、しばらくその兎を見つめたあと、悲しそうに微笑んでから、スッと立ち上がった。

 あとから出てきた銀色の二匹の兎はそれに驚いたように穴に戻っていく。

 でも、最初の真っ白な兎と黒い兎は、ハクが袖を翻して背を向けて歩き出すまで、じっとその後ろ姿を見つめていた。


 そうやって、ハクは、人界での二つの家族との別れを告げたのだろう。



「じゃあ、帰るね。奏太、絢香ちゃんにジャージ有難うって伝えておいて。」


 一体何を家から持ってきたのか、ハクはパンパンに膨らんだリュックを背負っている。


「白月様、それは一体……」


 璃耀が呆れたような表情でそれを見ていた。


「うん。妖界であればいいのにって思ってたものいろいろ。」


 ハクはニコリと笑う。

 俺は、笑顔を見られた事に、少しだけほっと胸をなでおろす。


 皆の帰還準備が整ったのを見ると、ハクはスッと宙に手をかざした。そのまま、妖界への入口を開こうとしたのだろう。


 しかし、すぐに璃耀から、


「白月様。」


という厳しい声が飛んだ。


 結の部屋の前であんなに慈愛に満ちた表情をしていたのが夢幻だったのではと思うくらい、璃耀の表情は厳しい。


「何、璃耀。こうしないと帰れないでしょう。」


 ハクは僅かに頬を膨らませる。


「何、ではありません。我らがこちらへ来た道があります。そちらから帰りましょう。その道も、閉じていただいた方が良いでしょうし。」

「……えぇ。」


 ハクは仕事を増やされて不満そうだ。完全に、もとの調子に戻っている。

 ……こういう部分に関しては、もとに戻って良かったのかどうか分からないけど。


「……ねえ、ところで、前から思ってたんだけど、なんでハクは結界に穴を開けられるの? 俺、同じ書を使ってるはずなんだけど。」


 俺がそう言うと、ハクは困ったように眉尻を下げる。


「うーん……よく分かんないけど、陰の気も陽の気も、どちらを取り込んでも問題ない体だからじゃないかな。

 実際、穴を開けるときには、陽の気と陰の気が一緒に入ってくるんだよね。

 結界を維持する陽の気と、妖界や鬼界に本来ある陰の気とが混じって結界が成り立ってるからだと思うけど。

 人の体じゃ毒になるだけでしょ。

 何かと役に立つから、便利は便利なんだけどね。」


 なるほど。ハクにしかできない荒業ってわけだ。

 まあ、妖界になんて用は無いから、俺自身は出来なくても全然問題ないんだけど。


 ただ、ハクのその言葉に、聞き捨てならないとばかりに眉を顰めた者が一名。


「白月様。便利だからといって、無闇に使ってよいお力ではありません。今回のように、勝手に居なくなられては困りますし、不用意にこちらとあちらをつなぐ事自体が危険に……」


 璃耀がここぞとばかりに、くどくどと説教を始める。俺はそれに顔を引き攣らせることしかできなかった。



 璃耀の説教に抵抗するのを諦めたハクは、殊勝な態度でそれをやり過ごしたあと、ハアと息を吐きながら、大鷲に変わった凪に乗った。


「じゃあ、今度こそ行くね。お友だちによろしく。」


 そう言うハクを、俺はちょっと待ったと呼び止めた。一応、獺のことは知らせておいた方が良いだろう。


「今から行く妖界との入口に、獺が居るんだけど、出来たら少し話を聞いてあげて。大昔から、大君との約束を守って入口を守ってきたって言ってたんだ。妖界との入口は閉じたほうがいいと思うけど、突然その役目を奪われたら可哀想だから。」


 俺が言うと、ハクは小さく首を傾げたあと、


「うん。わかった。」


と頷いた。


 多分わかっていないのだろうが、一応言付けはしたし、一緒にいる誰かがフォローしてくれるだろう。獺自身も、ある程度物申すくらいはするだろうし。



 俺はそうして、ようやく飛び立っていったハク達を小さくなるまで見送った。


 人界で受けた仕打ちを考えれば、ハクの中に残ったわだかまりは完全には消えないのだろう。

 でも、璃耀をはじめとする、妖界の者達が、きっとハクがハクとして生きていくことを支えていくんだろうと思う。


 心配だけど、これ以上俺にできることはなにもないし、人界の者が変に手出しすべきでもないと思う。


 一方で、こっちはこっちで問題が残っている。

 気が重いのは、本家の者達が結にした仕打ちを知ってしまったことだ。柊士が実家と距離を置きたがった理由も、今ではよくわかる。

 これから先、どう思って接していけばいいのだろうか。


 それに、遼に恨まれる理由もわかってしまった以上、今後一体何が起こるのか、不安でしかたがない。

 妖界でも何か企んでいそうだったし、全てを思い出したハクが立ち直ろうとするのを、変に引っ掻き回さないといいけど……



 ハクたちの姿が見えなくなった頃、気づけば空は白み始めていた。


 その後、こっそり家に帰って着替えだけ済ませ、一睡もしなかったせいで変に覚醒した状態で学校へ行った。


 少しだけ気になって、水晶庵の裏にまわり、夜中に潜った洞穴に向かう。

 四つん這いで穴を抜けて広い場所に出ると、そこにあった灰色の渦は、忽然と姿を消していた。

 ガランとした穴の中で、何度か獺を呼んでみたが、出てくる気配はなかった。

 きっと、向こうの世界で千年の大仕事を終えたのだろう。



 教室に向かうと、潤也と聡が駆け寄ってくる。


「ハクは大丈夫だったのか?」

「大丈夫。妖界から迎えが来て、ちゃんと帰ったよ。」


 そう言うと、二人はほっと息を吐いた。


「急に倒れるからびっくりしたよ。」

「ハクの用事は済んだのか?」

「うん。もう抜け出してくることもないと思う。」


 良い悪いはおいておいても、少なくとも、ハクの果たしたかったことは果たしたし、こっそり人界に来るようなことはことは、もうないだろう。


「俺、登校してくるときに、昨日の帰り道でハクを見かけた連中から、あれは誰だって問い詰められたよ」


 聡はそう言いながら苦笑いを浮かべる。

 すると、潤也も


「あ、俺も! 結構目立ってたもんな。」


とそれに同調した。


「それで、なんて答えたんだ?」

「え、お前に聞けって言っておいたけど。」

「なんだ、聡も?」


 どうやら二人は、揃って面倒事を俺に押し付けたようだ。


 うまく働かない頭を、もう人界に現れることもないだろう少女の存在をどう誤魔化すかで悩ませることになるなんて。


 一日はまだまだ長そうだ……

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