第135話 日常の再開

 翌日から、今まで通りの日常が戻ってきた。亘が目覚めない事以外は、だけど。


 ここ数日、本当に事件のことで頭がいっぱいで学校なんて行く気になれなかった。着信もメッセージも結構すごいことになっていたけど、友人達からの連絡にも大して反応してなかった。


 そのせいもあって、久々に学校へ行くと潤也に真っ先に捕まった。そしてハクが昼間に居なくなったところからの一連の流れを説明させられた。


 たった1日で起こった事のはずなのに、ハクの脱走事件が随分前の出来事のような気がする。

 脱走した本人も事件に巻き込まれた当事者だ。でも、あれからハクがどうなったのか、こちらから尋ねても妖界側からの返答はないらしい。


 脱走をほう助した張本人である遥斗は、講義が重なる時間帯を見計らって、あの後どうなったのか、なんでずっと休んでたのかと根掘り葉掘り聞き出そうとしてきた。でも、遥斗に答えられることなんて一つもない。

 適当に相槌をうってはぐらかし、講義の時間をどうにかこうにかやり過ごした。

 その時間だけで1日分の体力を消耗したような気分だった。


 あまり遥斗に干渉されたくない。その後はさっさと潤也と合流して、出来る限り遥斗と距離を置くようにした。



 学校帰りには近くのファミレスに聡も呼ばれて、潤也にしたのと同じ説明を繰り返す。

 ただ、聡は尾定の弟子だけあって既にある程度の事情を知っているようだった。


「俺、まだ里には連れて行ってもらえないけど、御本家で治療を受けてる亘さんと椿さんの診察には同席させてもらったんだ。お前には会えなかったけど。」


 そんな事までしているとは驚きだけど、亘だけでなく椿……?


「亘はまだわかるけど、椿は里にいる事が多かったはずだけど……」

「お前から離れて護衛してることが多いって言ってた。自分の怪我も治ってないのに、お前の心配ばっかりしてたよ。」

「……そっか……」


 俺が知らない間にも、離れて護ってくれていたのか……

 そう思うと、すごく申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


「お前は大丈夫なのか?」

「うん。俺は別に。」


 正確にはいろいろあったけど、怪我をしたわけでもないし俺自身があんまり思い出したくないのもあって、拓眞達の襲撃を受けて亘に護られた事は簡単にしか伝えていない。

 余計な事は言わなくて良いだろうとサラッと流そうとすると、聡は眉根を寄せた。


「別にじゃないだろ。俺は『もう大丈夫なのか』って意味で聞いたんだ。服毒に加えて、体調不良、精神不安、不眠があっただろ。尾定さんに、会うなら状態確認してこいって言われてんだよ。」


 ……うちの主治医は個人情報を何だと思っているんだろう。

 聡の言葉に潤也も訝るように俺を見る。


「何それ、聞いてないけど。」

「大したことじゃないから言わなかったんだよ。事件のせいで寝れなくなっただけ。体調不良もそのせいだし、口に入れられたものは全部吐き出した。薬飲んで寝たら治ったよ。」


 そう言うと、聡は何かを言いたそうにこちらを見た。でも、口を開く前に話を終わらせたくて、俺は言葉を続ける。


「ホント、大丈夫だよ。」


 そう言い切ると、潤也は疑いの目をこちらに向けた後、諦めたようにため息を付いた。

 そして、何気ない調子でカラリと氷をストローで突き、ポツリと零す。


「……お前さ、もう、そっちから抜けることって出来ないの?」

「……そっちって?」


 急に何の話かと首を傾げると、潤也は更に氷を突く。


「……妖の世界っていうか……妖怪とか言ってる時点でそうではあるんだけど、やっぱり異常だよ。この二年くらいで、何回死にかけた? 戦争、鬼退治、妖の里の叛乱? 普通に生きてたら絶対に遭遇しない目に遭ってんだろ。」

「……まあ、そうだけど……」


 抜けるっていうのは、以前のような普通の生活に戻れないのか、という事なんだろうけど……


 ……そうなったら随分楽になるのだろう。体力的にも精神的にも。


 実際、何も知らなかった時は気楽だった。自分の命が危険に晒される事なんて、病気か事故にでも遭わなければないと思ってたし、普通に高校を卒業して、普通に大学行って、普通に社会人になって生きていくんだと思ってた。

 自分の周囲も、皆そんなもんだと思ってた。


 でも、知ってしまった。足を踏み入れてしまった。もうあいつ等の居ない世界は想像できない程に、深く、深く。


 自分の身が危険に晒されて、亘がああなって、自分でもよく分からない内に、失いたくない大事な者達ができたのだと気づいてしまった。


 結局、護られてばかりで何もできないし、何も返してやれない。亘が目を覚ました時に、あいつに報いてやれる事なんて思いつかない。


 だけど、俺が今ここで逃げ出すことは、命懸けで俺を護ったあいつらを裏切る行為だ。せめて、あいつらが命をかけて俺を護る理由を果たしてやらなきゃならないんだと思う。


 以前柊士に言われたから、とかではなく、今は心からそう思う。そうじゃなきゃ、亘がああなった意味が全くの無になってしまうから。多分それが、俺があいつらにしてやれるせめてものことだから。


「……抜けられないし、抜けないよ。俺が、あそこに居たいんだ。あいつらの側に。せめて役目を果たしていられる間は。」


 俺が言うと、潤也は


「そっか……」


と小さく言いながら、再びグラスの中身をかき混ぜた。



 事件があったあの日から、本家に行って亘が寝かされている部屋に行くことが日課になっていた。

 そうは言っても、チラッと様子を見るだけだ。ちゃんと生きてるか、容態が悪化していないか、それを確かめてから家に帰る。


 毎日本家に行き、亘の息があるかだけを確認する俺に、あの事件以降本家に詰める様になった者達が痛ましいものを見るような視線を向けていることも知ってるけど、見て見ぬふりをしていた。


 その日も学校帰りに同じように本家に向かう。

 亘がちゃんと生きていることが確認できればそれでいい。村田に挨拶をして、柊士に声をかけることもなく慣れた廊下を進む。


 ただ、すれ違う者すれ違う者、何だかいつもと違ってソワソワした様子がある。それは柾と一緒に俺の側にスゥと飛んできた巽も同じだった。


「なんかあった? 皆の様子がおかしい気がするんだけど。」

「ええ。でも、すぐにわかりますよ。」


 大した情報を寄越さない巽に首を傾げる。

 また都築が来たか、他の来客があったか。


 そう思いつつ、亘のいる部屋の扉に手をかけ、いつも通りに何気なく開ける。


 そうして見えた向こう側の景色に、俺は大きく目を見開いた。


 汐の直ぐ隣で、いつもは鷲の姿のまま人形のようにピクリとも動かなかった亘が、人の姿で布団の上に座っていたからだ。


「……亘……?」


 それ以上の言葉が出てこない。


 早く起きろよと、口癖のように亘の枕元で言っていたのに、もしかしたら、もう起きないのではと、そんな風に思いはじめていた。

 そうであっても耐えられるように、心を準備させはじめていた。

 もう二度と事件の前には戻れないと、そんな気すらしていた。


 息をするのも忘れて呆然としていると、人の姿に変わった巽にそっと背中を押されてハッとする。


 それと共に、この数日間溜め込んだいろいろが深いため息とともに胸の中から吐き出された。

 何だか体から力が抜けて、その場にストンとしゃがみ込む。


「…………馬鹿…………亘…………死んだと思っただろ…………」


 両手を額に当てて頭を支えながら、ようやく掠れ声でそう言うと、亘からも


「…………私もです……貴方をお護りしきれなかったのではと……」


という情けない声が耳に届いた。

 それでも、今までと変わらない、同じように響いてくる声に涙が出そうになって、グッと堪える。


 事件の前までの状態に戻れたらと、何度そう思ったことか。こうやって、まるで何事もなかった様に、以前の状態に戻れたらと……


「奏太様、中へ入りましょう。」


 屈み込んだ巽から、安心したような、嬉しそうな声音が降ってきて、俺は声が出せないままコクリと頷いた。

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