第166話 白月の手紙①

 あれから一月。

 人界側の処理は殆ど方が付いている。


 以前都築が言っていた様に、亀島家は取り潰し。家名の剥奪だけでなく、里にあった家そのものも取り壊された。


 亀島家本邸の隣にあった離れの地下には、土のトンネルが崩れどこに続くかわからない地下通路が見つかった。丁寧に調べを続けていくと、あの土穴に続く長い通路だった事が判明した。


 都築が本邸で暮らしていた頃には無かった離れで、湊の母親のために建てられたという名目だったらしい。ただ、中は殆ど誰かに使われた形跡はなく、あの通路のためだけに建てられた可能性が高いということだった。


 湊は、あまり多くを語らないまま処刑となった。何を聞いても、柊士の母への想いと、結の父と亘への憎しみ、自分への理解をしてくれない柊士への恨み言ばかりを繰り返していたそうだ。

 

 里は亀島家が無くなった事で、粟路の指揮下に完全に統一された。もともと粟路の側で補佐をしていた次男が北の里に行ったので、その分も汐と栞の父であるようが奮闘しているそうだ。

 西の里は、もともと北の里を管理していた粟路の長男が管理者となり都築が補佐をすることで、なんとか回り始めているらしい。


 遥斗はあれから、時折俺の家や本家に来ては、妖連中の事をじっと観察している。皆が居心地悪そうに仕事をしているが、柊士が何も言わないので放置だ。別にやましい事をしているわけじゃないし、遥斗が何かをしてくるわけでもないので、本人のしたいようにすればいいと思ってる。


 残る懸念は、ハクが目覚めたという知らせが無いことと、それに伴い巽が帰ってこないことだ。


 巽が帰って来るまで、と言われていた忠に関しては、一緒にお化け屋敷で暮らしていただろう鬼火まで連れてこられて、何だかんだ里に居着いている。家まで与えられていたので、きっともう戻ることは無いのだろう。俺が里に顔を出しても帰りたいと言わなくなったので、本人も納得してるか諦めてるかしているようだ。

 まあ、お化け屋敷で人からコソコソ隠れて生活するよりも健全だろう。本人から訴えがない限りは柊士達に任せることにした。

 


 そうやって日々が通常に戻り始めたある日、本家の一室、妖界と人界を繋ぐ扉を通じて、翠雨から柊士への面会を求める手紙が届いた。 

 巽の返却もあるため、俺も同席するように言われて正装に着替えさせられる。


「ハクが目覚めたのかな?」

「巽が返ってくるんだから、そうなんだろうが、こちらからの謁見は許されなかった。向こうに出向くつもりでいたのにそれも断られた。気にしすぎならいいが、なんか妙な感じがする。」

「……妙って……?」

「わからない。そんな気がするってだけだ。」


 柊士の言い方に、何だか少し不安になる。何か問題が起こっていないといいけど…………



 俺と柊士の護衛役案内役のほか、瑶達文官も連れて貴賓を迎える部屋へ入る。中では翠雨が既に待っていて、璃耀や二人の側近が控えていた。蒼穹や宇柳の姿もあり、そこに肩身の狭そうな巽もちょこんと座っているのが見える。


「この度の件、申し訳なかった。深くお詫びする。」


 人界側、妖界側、両方あわせても、この場で一番地位が高いのは柊士だ。そして、そんな気がしないけど、次が俺。

 ハクに恭順の意を示し謝罪はしても、あくまで翠雨達に謙ることをせずに毅然としているように、と着付けの席にいた瑶にくどくどと念を押されていた。

 

「正式な書状はお受け取りしております。此度は、白月様からの補償の要求をお伝えするとともに、御相談をしたいことがあり、参りました。」

「主上は無事にお目覚めに?」

「ええ。お戻りになりました。お借りしていた奏太様の従者殿をお返しせねばなりませんね。」


 翠雨が巽を振り返ると、巽はようやくあちらからこちらへ移動してきて、俺の前に膝をつく。


「只今戻りました。」

「うん。お帰り。ご苦労様。」

 

 そう声をかけると、何故か巽は泣きそうな顔で俺を見上げる。ただ、何があったのかを聞けるような雰囲気ではない。

 ひとまず俺の後ろに移動させると、翠雨は本題とばかりに姿勢を正した。


「白月様はお目覚めになりましたが、そのすぐ後に、我らへの言付けもなく御姿が見えなくなりました。」

「……は? 姿を消した?」


 眉を潜める柊士に、翠雨は首肯する。そのまま横にいる璃耀に視線を向けると、璃耀が状況を説明し始めた。


「お目覚めになったのは、二日ほど前。御本人であることの確認と診察はなんとかできましたが、随分と精神的に不安定な状態だったため、しばらく御一人で過ごす時間を取ったほうが良いだろうと判断しました。しかし、それからしばらくして、白月様が御部屋に居ないことに護衛が気づき……」

「抜け出したってことか?」


 柊士に言われ、以前、ハクが自分の部屋から人界へ結界に穴を開けてやってきたことを思い出す。


「まさか、また人界に?」


 俺の言葉に、璃耀はゆっくり首を横に振った。

  

「恐らく、行き先は鬼界。異変に気づいた護衛が御部屋に飛び込んだ際に、黒い渦が消えていくのを目撃したそうです。」

「……部屋に鬼界への綻びが?」

 

柊士が怪訝な声を出す。

 

「ええ。」

「……でも、そんなことって……」


 ピンポイントにハクの部屋に鬼界への穴があくのは不自然だ。そして、結界に穴を開けられるのは、俺が知っている限りではハク一人。

 

「穴が自然にあき、何者かに強要された可能性が無いともいえません。しかし状況からして、白月様の御意志であると考えるのが自然でしょう。」

「でも、鬼界に行くなんて……」


 俺がそう言うと、翠雨はさっと後ろにいた蝣仁を振り返る。それに合わせ、蝣仁は折りたたまれた紙を取り出し、近くに控えていた瑶に手渡した。


「白月様の御部屋に残されていた、人界への要求書です。」


 妖界の文字で書いてあるためだろう。柊士が読み上げるように瑶に命じる。瑶はさっと広げて確認してから、よく響く低い声で読み上げ始めた。

 

『幻妖京の帝である白月の名において、此度の件の補償として、人界側に以下のことを求めます。

 

 一、妖界の結界石へ、無償での永続的な陽の気の提供を求める 

 二、温泉水の無償提供を取り止め、今後は提供の見返りに、行政、医療、教育、土木、建築、製造、その他人界に関する知識、技術の供与を求める

 

 人界側の補償の見届け、朝廷の取り仕切りは柴川家に一任します。雉里が柴川の補佐、及び監査を担い、私が戻るまで、帝位は必ず空けておくこと。

 人界側から新たな帝を迎えることは許しません。』


 瑶はそこまで読み上げると、ふっと口を噤む。

 それから、書状を広げたまま、柊士にそっと手渡した。


 俺もそれを横から覗き込む。


 長い妖界の文字の連なり。

 その一番最後には、たった一行。人界の文字で、

 

『柊士、あとはお願い。』


とだけ、記されていた。


「それが、あの方のご意思です。意味はおわかりですね?」

 

 翠雨の静かな問いかけに、柊士が隣でグッと奥歯を噛んだのがわかった。


「……あいつ、戻らないつもりか。」


 ボソリと、柊士の声が落ちる。書状を持つその手が強く握られ、グチャっと端が潰れていた。

  

「戻らないって? でも、自分が戻るまでって書いてあったんだろ?」


 瑶が読み上げた中には、確かにそういう一文があった筈だ。しかし、柊士は首を横に振る。

 

「行き先は鬼界だぞ。ここに書いてあるのは、あいつが戻らなきゃ、未来永劫、帝の受け入れはするなってことだ。

 人界への要求事項は、妖界側が帝を人界から求める理由そのもの。

 妖界側が帝を新たに求める理由を潰した上で、いつか戻ると言っておけば、妖界側はあいつが戻るまで帝の受け入れをできないし、その必要がなくなる。

 今までこっちと協議して進めようとしていたことを一方的に突きつけて消えたんだ。自分が戻るつもりがないからこそ、この要求なんだよ。」

「……それじゃあ、この手紙は…………」

 

 これ以上誰も、人界から妖界へ陽の気の使い手は送らない。それは、ハクが以前から望んでいた事だった。自分のような者をこれ以上ださないように。

 でも、自分が居なくなれば、それがまた元に戻ってしまうかもしれない。だから帝の名前で、妖界が人界へ陽の気の使い手を要求する口実を消し、自分が帝位の座を持ったまま姿を消した。


 これで、日向家は妖界の結界石へ陽の気を注ぐ必要はあるけれど、俺達や子孫を転換の儀で送る必要が無くなった。


 …………でも、それを指示したハクは……?

 

 柊士は力任せに書状を机に叩きつけて俯き、目元を片手で覆った。 

 柊士の手の下でぐちゃぐちゃになったそれは、まるで補償を求める書状とは名ばかりの遺書のようで……

 

「……馬鹿が。何が、あとはお願い、だ……」


 柊士のその様子に、俺は声をかける事ができなかった。

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