第96話 迷子の少女②

 今回は、2コールほどですぐに柊士の声が聞こえてきた。


「なんだ、また何かに巻き込まれたのか?」


 柊士の少し強張った声が聞こえてくる。何かあったのだろうか、そう思いつつ、俺はいつもの調子でそれに応じた。


「あー、まあ、半分正解。迷子を拾ったんだ。今、家から一番近いコンビニと家のちょうど中間地点くらいに居るんだけど、亘を呼んでくれないかな。里の子なんだ。」

「里の? まさか、紬か?」

「そう。柊ちゃんが知ってるってことは、結構騒ぎになってるんだ?」

「報告が来ただけだ。全く人騒がせな。ひとまず、亘を向かわせる。そこから動くなよ。」


 柊士はそう言うと、こちらの返事も聞かずにプツっと通話を切った。


「相変わらずだなぁ、柊ちゃんは。」


 俺はスマホの画面を見ながらぼそっと呟く。すると、紬は躊躇いがちに俺を見上げた。


「あ、あの、貴方はいったい……」

「ああ、ごめん、名乗ってなかったね。日向奏太だよ。」


 そういえば、と思いそう答えると、紬はサッと顔を青ざめさせ、地面にバッと土下座の姿勢になった。


「も、申し訳御座いません! 守り手様とは知らず、失礼なことを!」

「ちょ、ちょっと、やめてよ、こんなところで!」


 俺は慌てて紬の体を起こさせようとしゃがみ込む。

 道端で女の子に土下座させるなんて、外聞が悪いどころの話じゃない。


 俺は紬を何とかなだめると歩道の縁石に座らせ、俺もその隣にストンと腰を下ろした。


「そういえば、さっき誰かを探して道に迷ったって言ってたけど、誰を探してたの?」

「……亘様を探していたのです。」

「亘を?」

「はい。ここしばらく里で亘様を見かけず、気になって晦兄上に聞いてみたのです。以前、大きな怪我をなさったと柾兄上が言っていたのを聞いていたので、心配で……そうしたら、亘様に近づくな、名前も口に出すなって突然すごい剣幕で叱られて……」


 晦が亘の事で怒るのはまあわかるが、里で亘の姿を見ない、というのが少し気になる。

 怪我はしっかり治って俺と一緒に人界に帰ってきていたから、てっきり里に戻っていると思っていた。

 それとも、また何かに巻き込まれたのだろうか。


「今まで嫌な顔をされることはあっても怒鳴り付けられるようなことは無かったので驚いてしまって……私と晦兄上で言い合いになったのですが、いつもは私の味方をしてくださる朔兄上まで晦兄上の味方で……それで、思わず家を飛び出してしまって……」

「で、亘を探してたと……」

「はい。」


 すると、紬は不安そうな顔で俺を見上げた。


「奏太様は、何かご存知ですか? 亘様のこともありますが、家の中が何だかピリピリしているのです。今までそんな事なかったのに……何だか、家に戻りにくくて……」


 以前聞いていた晦と朔の話をそのまま捉えればただの嫉妬なのだろう。でも、紬の話だと、急に起こった事のようにも聞こえる。だとすると、他になにか原因があるのだろうか。


 俺はそう思いつつも、ポンポンと、紬の頭を軽く叩いた。

 余計なことを言って不安を煽ったってしょうがないし、まずはこの子を無事に家に返すことが最優先だ。


「何があったのかはわからないけど、あの二人だって、君の事が大事だから怒るんだ。きっと、今頃心配してるよ。」

「……でも……勝手に飛び出して来てしまいましたし、きっと、先程以上に叱られます。」

「それなら、俺がお兄さん達から君を守ってあげるよ。」


 まあ、晦と朔を宥めるくらいなら何とかなるだろ。

 俺がそう言うと、紬はこちらを見上げて目を潤ませた。


「……はい。ありがとうございます。」


 危なげなところがあるからか、何だか汐よりもずっと小さな子を相手にしているような気分だ。まあ、妖の年齢だと思えば俺より年上かもしれないけど。


 そんなことを思っていると、不意に俺達の上に街灯を遮る暗い影が落ちた。それと共に、


「まさか、奏太様が紬を拐かした犯人だったとは。」


という呆れ声が聞こえてきて、俺は空を見上げた。

 そこには亘がいて、人の姿に翼をはやした状態で降りてくるところだった。


 俺はムッと声を上げる。


「バカなこというなよ。俺は、知らないおっさんにこの子が連れて行かれそうになったのを保護しただけだ。そもそも、もともとの原因はお前だからな、亘。」

「は、私ですか?」


 亘がきょとんとした顔をしたので、俺はさっき紬から聞いた話をそのまま説明していった。


「―――それなら、原因は私ではなく、晦と朔ではありませんか。」

「原因の一端にはなってるだろ。なんで里にいないんだよ。」

「ああ、まあ、こちらにもいろいろあるのです。」


 俺が眉根を寄せて亘を見ると、亘は何も言わずに肩を竦めた。俺の問に答える気はないらしい。


 すると、不意に


「……亘様。」


というか細い声が聞こえてきた。亘は首を傾げながら紬に目を向ける。


「晦と朔が泣きながら探してたぞ、紬。それに、奏太様とはいえ、守り手様の御手を煩わせるとは何事だ。」


 まあ、本当に泣きながらかどうかはあやしいところだが、心配して探し回っていたのは本当だろう。要因が自分達にあったのなら尚更だ。


 ……あと、亘はいつも一言余計なんだよ。


 紬はギュッと着物の袖を握って項垂れると、


「……はい。申し訳ありません……」


と小さく呟いた。


 まあ、俺の事は良いにしても、紬だってずっと不安だっただろうし、もう少し優しくしてやればいいのに、とは思う。女の子好きはどこに行ったんだよ。


 俺は、俯いたままの紬の頭にポンと手を乗せる。

 紬が顔をあげると、できるだけ安心させられるようにニコリと笑いかけた。


「大丈夫だよ。帰ろう。」


 そう言うと、紬はしばらく迷うような顔をしたあと、ようやくコクリと頷いた。



 亘と共に本家につくと、柾、晦、朔が玄関の前に待ち構えていて、到着するとともに三人は揃って俺の前に跪いた。


「奏太様の御手を煩わせる事となり、誠に申し訳御座いません。」


 どうやら、柊士からこの三人にも話が伝わっていたらしい。俺は紬が余計な事で怒られないよう、何でもない事のように


「いいよ、そんなの。大した事してないし。」


と言う。しかしすぐに背後から、


「おや、奏太様は謙虚ですね。知らぬ男に紬が拐かされそうになったのをお救いになったとおっしゃいませんでしたか?」


という声が聞こえてきた。

 晦と朔が青褪めた顔でこちらを見上げる。


 余計なこと言うなよ!


と内心悪態をつきながら亘を睨むと、亘はニコリと笑った。

 それと共に、ひらりと青い蝶が舞ってくる。


「相手が人でも鬼でも妖でも、守り手様を危険に晒すようなことは避けねばなりません。それに、奏太様は余計な事に自ら巻き込まれに行くのをお止めください。紬が紬ではなく貴方に害成す存在だったらどうするのです。人とて、善良な者ばかりではありません。急に襲われでもしたらどうされるおつもりですか。」


 ……声だけでわかる。汐はだいぶ怒っている。


「汐は奏太様が紬を拾ったと聞いて、それは本当に紬か、とか、また妙な事に巻き込まれているのでは、とか、相当心配していましたよ。宥めるこちらの身にもなって頂きたいものですね。」

「亘!」


 鋭い汐の声が飛んだ。亘の言葉は汐にとっては余計なことだったのだろう。


「……ご、ごめん……」


 俺は小さな蝶から発せられる圧力に、ジリっと後ずさりする。

 すると、俺と汐の前に、バッと紬が飛び出して来た。


「奏太様は何も悪くないの、奏太様を責めないで、汐!」


 紬がそう言うと、それと向き合うように、汐は蝶から人の姿に変わった。その顔は、呆れ果てたようなものだ。


「貴方が悪いのは、この場にいる全員が承知の上よ。それでも、奏太様には御自身を守る心構えが必要なの。もう、これ以上危険な目に合われないように。」


 その言葉と共に、紬の向こう側から汐の透き通るような瞳にじっと見つめられた。


 俺は紬の肩に手を乗せて体を避けさせる。

 これは、きちんと汐と向き合わないとだめだ。


 心配してくれたのはわかってる。ついこの前、なかなか目覚めなかったのだと不安な思いをさせたばかりだ。結のこともある、戦の時の事もある。多分、汐は守り手が危険に晒されるという事にすごく敏感になっているのだと思う。


「わかってる。ごめん。ちゃんと気をつけるよ。」


 俺がそう言うと、汐は仕方が無さそうに溜息をついた。


 俺は汐がひとまず納得してくれたらしいことを確認すると、今度は晦達の方に目を向ける。

 一応守ってあげると言った以上、紬が叱られないように口添えはしておいてあげなければ。


「結果的には無事だったんだし、晦達も紬を責めないでやってよ。なんで紬が飛び出して行ったか、自分達でもわかってるだろ?」


 俺が言うと、晦と朔は顔を見合わせる。それから深々ともう一度、俺に向かって頭を下げた。


「……はい。ご迷惑をおかけし、申し訳御座いませんでした。」


 そして今度は、兄達の様子にホッと息を吐いた紬に目を向ける。


「紬も、急に飛び出したりしたら、周囲に迷惑をかけることがわかっただろ? 今日だって、あのままだったらどうなってたか分からなかったよ。」

「……はい。申し訳ありません。」


 紬はそう言いつつ俯く。本人も反省してるようだし、紬の兄達もこれ以上紬を責めることはないだろう。


 俺は紬に視線を合わせられるように、少しだけ屈んだ。


「亘の事が好きなのは分かったから、あんまり突っ走った行動はしないようにね。」


 そうニッと笑いかける。


 すると、紬は目を大きく見開いて潤ませた。そして、ブンブンと首を横に振るう。


「い、いえ! 私がお慕いしているのは奏太様です! 奏太様に救っていただき、護って頂いて、奏太様こそ私の王子様だったのだと思ったのです!」


 紬は胸の前でギュッと自分の両手を握り締め、ウルウルした目でこちらを見ていた。


「……え……は? 王子……?」


 唐突に発せられた言葉の意味が理解できず、俺はその場でフリーズする。

 困惑を隠せないまま呟いた俺に、紬は大きく頷いた。


「はい。以前、結様が教えてくださいました。亘様に見向きもしていただけない私に、本当に困っているときには、私を助けてくれる白馬に乗った王子様がきっと現れるのだと。絵本もいただきました。きっと、奏太様が私にとっての王子様だったのです!」


 キラキラと瞳を輝かせて俺を見る紬を見て、亘がブハッと背後で吹き出したのが聞こえた。


「確かに、守り手様は王子様には違いない。」


 小馬鹿にするような亘の口調にイラッとする。しかし、亘に文句をいうより先に、


「大鷲に乗っている分、馬より強そうには見えるな。」


と柾が訳が分からない事を言いだし、


「奏太様が御相手なら、我らに口出しは出来ぬではないか……」


と晦が微妙そうな表情を浮かべた。


「しかし、奏太様が我らの義弟になられたら、凄いことだぞ!」


 朔は紬と同じようなキラキラした目で俺を見る。


 ……は、弟……? 


 さっき会ったばかりなのに、いきなり結婚話とは、いったい何をどうしたらそんな話に発展するのか。飛躍のし過ぎだ。


 すると、


「先日、白月様とお噂されていた方が、今度は紬ととは。」


という汐の冷え冷えとした声が響いてきて、背筋にゾクッとしたものが走った。


「う、汐……?」


 俺が躊躇いがちに声をかけると、汐はツンと顔を背ける。


「お、悋気か?」


 亘はニヤニヤしながら汐を見下ろした。


「え、りんきってな……」


 俺がそう言いかけると、汐はダンと思い切り亘の足の指を踏みつけたうえで、今まで見たことがないくらいにキレイな笑みを俺に向けた。


「何でもありません。お気になさらず。」

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