第95話 迷子の少女①
学校帰りに夜風にあたりながら、田んぼと畑と民家がポツポツとあるだけの、人も車もほとんど通らない家までの道のりをのんびり歩いていると、街頭の明かりに照らされた一角に、着物姿の少女が座り込んでいた。
最初、夜の暗さもあり、遠目から見た感じの背丈や雰囲気から汐がいるのかと思った。
これが汐に出会う前であれば、幽霊かと恐怖に凍りついていた事だろう。ただ、着物姿の女の子なんて、もはや見慣れてしまっている。
「あんなところで一人でいたら、危ないだろ。」
俺は思わずそう呟き、歩みを早めた。
雪の日のことがあったし、あんまり汐を一人で居させたくない。あの日の汐の姿は結構なトラウマになっている。
ただ、
……あ、あれ、汐じゃないな。
そう気づくまでに大して時間はかからなかった。
まず、髪の色が違う。青ではなく灰色の髪。遠目ではおかっぱかと思った髪型は前に垂らしてゆるく二つに結んでいる。それに、最初は気にも止めなかったが、汐があんなに鮮やかな着物を着ているのを見たことがない。その子が纏っていたのは、赤い花が一面に咲く濃いピンク色の着物だった。
……七五三なわけないし、妖なんだろうな……悪い奴じゃないといいけど……
本来、人ではない何かに遭遇したときには無闇に近づくべきではない。それくらいの分別は一応ついているつもりだ。
ただ、妖というものにそもそも抵抗が薄れているし、汐と同じくらいの見た目の女の子が膝を抱えて座り込んでいるのを放置して通り過ぎるのは如何なものだろうか……
……この辺に居るってことは、里の子の可能性もあるしなぁ。
俺は少し迷いつつ、それでも何となく放って置くのは気が引けて、少女の方にそのまま歩みを進めた。
不意に前から来る車のライトが光る。田舎町ではよく見る軽トラだ。車はそのまま少女も俺も通り過ぎて行くものだと思っていた。
しかし、その軽トラは曲がるべき道も駐車場もないのに、少女の手前でウインカーを出して減速する。
どこかの親切な人が少女を見兼ねて声をかけようとしたのだろうか。それとも、妖ではなく普通の人間で、親や知り合いが迎えに来たのだろうか。
不思議に思いながら歩きつつ、その様子を見守る。
すると車のドアが開き、運転席から背の低い小太りのおっさんが出てきた。
おっさんは、少女を覗き込むようにして声をかけ、何やら話しているようだ。
さらに助手席の扉を開くと、その姿が少しだけ見えにくくなる。ただ、座り込んだ少女の手を、おっさんがグイと引いたような気がした。
……え、あれ、本当に大丈夫かな。
そんな不安が心をよぎった。
知り合いならいい。でも、そうじゃ無かったら?
それに、ただの親切心ならいいが、万が一犯罪紛いな事をしようとしてたら?
“誘拐” “拉致” という言葉が頭に浮かんだ瞬間、俺は思わず駆け出した。
おっさんもこちらに気づいたのか、顔を上げて俺の方に目を向ける。ただ、少女の腕は握ったままだ。
一方の少女は、きょとんとしたまま、おっさんと俺を交互に見ていた。
「ねえ、君大丈夫? この人知り合い?」
息を切らしながら二人の側に駆け寄ると、俺は開口一番にそう尋ねる。
すると、少女はふるふると首を横に振った。
「いえ。ただ、この方が家に送り届けてくださると仰るので……」
少女がそう言うと、おっさんがズイと俺と少女の間に入るように一歩踏み出した。
「一人で泣いてたから助けてやろうとしただけだ。何か問題か?」
「ただ助けるだけなら良いですけど、車に連れ込もうとしているみたいに見えたんで。」
「乗せてやんなきゃ、送って行けねーだろ。」
「でも、知り合いじゃないんですよね。」
「だから何だよ。関係ねーだろ。」
おっさんは、イライラしたような反応を見せる。
性善説に立てば、本当に下心なんて無く親切心だという可能性もある。でも、知らない人について行くな、知らない人の車には乗るな、は鉄則だ。
この場で引き下がって、この子に何かあったときの方が困る。
俺はバッと、女の子の手首を握るおっさんの腕を掴んだ。
「ひとまず、手を離したらどうですか? 知らない女の子の手を掴むなんて、疑われても仕方ないんじゃ無いですか?」
おっさんは俺の方を苦々しげに見つめたあと、腹立たしそうに少女の手首を離す。
俺はそれを確認すると少女の方に目を向けた。
「君、名前は? 自分の家がどこか分かる?」
「……紬です。私、ある方を探していたら道に迷って家に帰れなくなってしまって……」
「……紬?」
どこかで聞いたことがある名前だ。
「……違ってたらごめん。君の家って、里にある?」
俺は記憶を辿りながら、どこの、と言わずにそう尋ねる。違うなら、たぶん首を傾げるだけだろう。おっさんにもわからないはずだ。
すると、少女はコクリと頷いてみせた。
「里がどちらにあるのかご存知なのですか?」
ああ、やっぱりか。
この子が誰か、多分わかった。聞いたことのある名前のはずだ。
「君、もしかして、晦と朔の?」
「兄上達をご存知なのですか?」
二人の妹の名前を覚えていて良かった。
そんな子がなんでこんなところで一人でいたのかは分からないが、素性がわかった以上、得体の知れないこのおっさんに任せる理由がない。
俺は女の子にニコリと笑って見せる。
「二人には前に協力してもらったことがあるんだ。君の家の場所も分かったし、俺が送ってくよ。」
「おいおい、お前何なんだよ。急に出てきて。」
おっさんは、イライラをぶつけるように俺に詰め寄る。何としても自分が連れて行くつもりらしい。
この期に及んでなんで引き下がろうとしないのか不思議で仕方がない。俺にナメられているようで癪に障ったのだろうか。
俺はハアと一つ息を吐く。
「警察、呼びましょうか?」
俺がスマホを見せつけるように取り出すと、おっさんは顔を真っ赤にして、
「ふざけんなよ、クソ野郎が!」
と怒声を上げた。そして、俺の胸ぐらを掴み上げる。それと共に、酒の臭いが漂ってくるのがわかった。
……酔っぱらいか……
面倒だな、という思いが過る。
ただ、何度か刀を突きつけられ生死の境に立たされたせいだとは思うが、自分より背の低い小太りの人間のおっさんに脅されたところで、全く怖いとは思えない。
「これ、殴ったらホントに通報しますよ。」
胸ぐらを掴まれたまま平然とそう言い返すと、おっさんは悔しそうに表情を歪めて俺を睨めつけながら、バッと乱暴に手を離した。
そして同じ視線を紬にも向けたあと、盛大に舌打ちをし、
「お前、覚えてろよ!!」
と言いながら、思い切りバン! と助手席の扉を閉めて運転席に戻っていった。
怒りに任せてアクセルを踏んだのだろう。軽トラは急発進して物凄いスピードで走り去っていく。
そういえば、交通取締りのパトカーが少し先で止まってたのを歩いてくる途中で見かけたな、と思いながら、俺はその姿を見送った。
それから、少女と視線を合わせるように少しだけ屈む。
「あのさ、人だって良くない事を考える奴は多いんだ。ちゃんと気を付けないと。」
「でも、優しそうな方でした。」
「表面上だけかもしれないよ。妖や鬼だってそうだろ。」
……この子の危機感が足りないのかな。それとも里の者の感覚がこうなのだろうか……いや、さすがに汐はもっとしっかりしてるよな……
そんなことを思っていると、紬は透き通るような純粋な眼で、
「……貴方は良い方なのですか?」
と首を傾げた。俺はそれに口を噤む。
言われみれば、俺を知らないこの子から見たら、あのおっさんも俺も、たぶん変わらない。
あのおっさんはダメだけど、俺なら良い、という理屈は通らない気がする……
「……心配なら、ここに迎えを呼ぼうか。きっと、お兄さん達を呼んでくれると思うよ。」
「……いえ……今は、あまり兄上達には会いたくないのです。」
「なんで? 喧嘩したの?」
紬は表情を沈ませコクリと頷く。
「じゃあ、君が知っているお兄さん達以外の者に来てもらおうか。」
確か、この子は亘の事が好きなのだと言っていた。少なくとも、亘が来れば安心するだろう。
俺はそう思い、先程から握ったままになっていたスマホで柊士に連絡をとった。
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