第182話 当主仕事の代行
本家へ向かうと、淕が出迎えてくれた。
「柊ちゃんは?」
「疲労が溜まったのだろうと尾定殿が。しっかりと眠り御身体を休められるよう、栞が御側におります。病やお怪我ではありませんが、しばらくは休養を取った方が良いとのことでした」
「そっか」
心配ではあるけれど、命に別状はないようで、ホッとした。栞は相手に幸せな夢を見させることができると聞いたことがある。きっと、よく眠れるように夢を操っているのだろう。
「ただ、柊士様が抱えていらっしゃった御仕事が膨大にありまして……前御当主に大半は引き取って頂いたものの、そもそも御二方で分担されていたため、すべては賄い切れず……どうか奏太様に御力添えを頂けないかと……」
先日顔を合わせた時の柊士を思い出す。普段はそんな素振りも見せないのに、随分疲れているみたいだった。俺が普段通りの生活を送っている間にも、仕事をたくさん抱え込んでいたのだろう。それこそ、倒れてしまうほどに。今まで仕事を押し付けていたんだとしたら、柊士が倒れたのは俺にも責任がある。同じ守り手である以上、自分が代われるところは代わらないと無責任だろう。
「わかった。俺にできることはやるよ。……あんまり役に立たないかもしれないけど……」
里の運営の仕事は今まで殆どタッチしてこなかった。書類仕事なんてしたことない。自分に任せろと言い切れず、少しだけ言い淀んでしまったのはそのためだ。手伝うと言いながら、余計に仕事を増やさないと言い切れないのが格好悪い。
ちょっとだけ不安になっていると、淕が眉尻を下げて微笑んだ。
「私が執務の補助を仰せつかっております。柊士様のお仕事は把握しておりますので御安心を」
「柊ちゃんの側に居なくて良いの?」
「護衛は複数おりますし、この建物内は武官の目も多いですから、御心配には及びません」
そう言いつつ、不安そうに廊下の奥に目を向けるあたり、柊士の事が心配で心配でならないのだろう。柊士第一主義の淕だ。本当は片時も離れたくないのが透けて見える。
ただ、仕事内容が全くわからない以上、武官でありながらも柊士の仕事のサポートをしてきた淕がついてくれるのは正直助かる。伯父さんの采配なのだろう。
「わかった。頼むよ」
亘と汐は何か言いたげな顔をしていたけれど、俺は見て見ぬふりで淕の申し出を受け入れた。いつも柊士に迷惑ばかりかけて助けられているのだ。こういう時くらい、役に立ちたい。
――そうは言ったものの……
翌日の夕方から、俺は本家泊まり込みで、次から次へと運ばれてくる書類仕事にすでに埋もれそうになっていた。勝手が分からないせいで、いちいち淕に確認し、それでもわからなければ粟路や伯父さんに確認し、といった具合に進めている為、柊士がこなす数倍時間がかかっていると思う。
里内部の物流に関する書類、行商人の出入り許可証発行、各種行事の承認許可、武官のパトロール計画書の確認承認、里の内外の妖達のしょうもないイザコザや盗み物損などの処理報告書の確認、押収物の確認、間近に迫った大岩様の神社の秋祭り関連の書類確認、その他諸々諸…………
いずれも問題なければ署名、不明点があれば差し戻し、理解不能なものは聞き取り、不審点を淕が見つければ見本をほぼ丸写しで調査指示書を作成。
重要な案件は伯父さんが持ってくれているし、せいぜい俺が承認しても問題のない範囲のものしか回ってこない。それも基本的には各所確認済みのものだ。必要なのは守り手の肩書と確認サイン。
それでも、何も見ずにサインだけするわけにいかない。自分が問題ないと判断できる材料を集め、汐と巽にフル稼働してあちこち飛び回ってもらい、亘と椿も護衛ついでに室内で書類整理を手伝ってもらっていた。
淕はずいぶん慣れたもので、聞けば大体の回答が返ってきた。武官でありながら、それだけ柊士の書類仕事の補佐をさせられているということだろう。
巽は案内役としてつけられていただけあって、汐と二人、くるくるとよく動きながら書類をさばいている。椿も仕事ぶりは丁寧だ。キビキビ動きながら机に向かえば物腰柔らかな美人秘書という感じにすら見える。
問題は亘だ。俺もあまり人のことは言えないけど、完全に書類仕事に向いていない。たぶん仕事ができないわけじゃない。ただ、全体的になんか雑なのだ。
物の置き方、しまい方、書類のファイリングの仕方まで。気づけば紙が所々折れ曲がり、飛び出し、バラけ、順序はめちゃめちゃ。
「仕事はやれば良いという訳では無い」
何かにつけて細かそうな淕が見るに見かねて……というか、半ばイラッとしながら指摘をすると、亘がそれに言い返す。そのため、空気がピリピリとしていて大変に居心地の悪い雰囲気だ。
でも、淕に居なくなられると困る。仕方無く亘には護衛任務と書類整理の必要のない仕事だけをして貰うことにした。
淕を重用しているみたいに見えるのが心苦しいし、亘も何だか不満げだ。淕のサポートが必要ないくらいにさっさと仕事を覚えなければ。
柊士が目覚めたと聞いたのは、それから三日後。目覚めれば働き始めるからしばらく寝かせておけという尾定の指示のもと、体が回復するまで栞の協力を得て強制的に眠らされていたらしい。
強引すぎるやり口に少し引いたけど、言っていることはわからなくもないので口を噤んだ。
ちなみに目が覚めたあとは、トイレ以外で部屋から出ることも、書類を持ち込むことも、パソコンやスマホを持ち込むことも尾定から禁止されているという。面会も謝絶だ。許可を出すと緊急の案件だと仕事を持ち込む奴がでる可能性があると、許可がおりなかった。
倒れるまでの間相当無理を押し通していたのだろう。絶対に仕事に触れさせてなるものかという強い意志を感じる。
柊士の苦虫を噛み潰したような顔が思い浮かんだけど、頭の中からすぐに追い出した。こんなときくらいキッチリ休めばいいのだ。
俺はというと、ようやくよく使われる各種報告書と申請書の書式に慣れてきて、どこに何が書いてあるのかが把握できるようになってきたところだ。未だに中身はさっぱりなので、大した進歩はしていない。
学校へ行き、帰ってきたら書類仕事。ちょっと長めのアルバイトだと思えば勤務時間は大して問題ないのだけれど、任される確認事項が軽いものとはいえ管理責任者のそれなので、毎日頭が爆発しそうだ。
里の関係者の間をあちこち飛び回る最中、巽がこっそり例の自称研究者のところへ行っていたようだったけど、そっちは見て見ぬふりをした。亘と巽の独断だと心配だけど、汐も承知しているようなので何か問題があれば止めるだろう。
伯父さんや粟路も時々様子を覗きに来る。仕事が問題なく進んでいるのか、随分心配されているらしい。椿や巽は里の上位者が来ると緊張するようだけど、それ以外は通常運転だ。淕が簡単に報告をしている間も黙々と仕事を続ける。本家の使用人である村田もちょこちょこ来てくれて、お茶とともにケーキなどの甘いものを置いていってくれた。なんだか少しだけ受験期を思い出す。一人で黙々と勉強していたあの時よりも、随分部屋の中は賑やかだけど。
柊士への面会が許されたのは、さらにその翌日の夜。もう二日休んだら、そろそろ仕事に復帰しても良いだろうと主治医が許可を出したそうだ。ただし、仕事量は倒れる前の三分の二まで確実に減らすようにとの指示もでた。
俺はこのまま、柊士の仕事を一部引き取って本家で毎日仕事をする日々が続きそうだ。汐や巽が大活躍中なので、このまま仕事を覚えて慣れれば淕が離れてもきっと大丈夫だろう。
――その時まで、俺はぼんやりとそんな風に考えていた。頭の中での想定が崩れたのは、柊士の見舞に行こうと思っていた時間の少し前。急な知らせが飛び込んで来たところから始まる。
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