章之弐

悪夢

 ――宙ぶらりぶらり。


 ――宙ぶらりぶらり。


 龍神神門たつがみみかどが意識を取り戻すと、彼は鈍色のコード群に宙吊りにされていた。コード群は彼の手足に絡みつき、更に、丹田の周りにあたかも同化するかの如くに貼り付いている。そして、奇妙な事にそれらは蠕動しているのだ。脈打つ動きに導かれて、淡い光がコード内部を走る。その様は、まるで有機的機械に取り込まれたようで――。自分がどうして、このような縛めを受けているのか――。不可解な事に、神門は、直前の記憶が曖昧だった。


 そして、自身の格好といえば、これもまた不可解なもので、腰に申し訳無さげに布が巻かれ、殆ど全裸といって差し支えない。


 神門はどうにか縛めを解かんと藻掻こうとしたのだが、残念ながら糸繰り人形めいた身体の首から下は彼の意思を認めず――そして、感触も含め何の反応もしない。麻酔で全身の感覚を消し、更に生命機能だけを残し、首を断たれればかくやとこそ思われた。首以外は、指一本に至るまで露ほどの反応もない。


 動くこともままならない己に歯噛みする気分で、神門は目の前の光景を見る。


 洞穴だろうか。

 暗がりと鍾乳石と石筍、そして石灰華柱。鍾乳洞を思わせる空間に、神門はいた。

 吊られた身体より一メートルほど下には、靄々と白霞しらがすみが覆い尽くし、宙と地の境界線もまた朧で茫乎としている。


 いや。


 先ほどよりも視力を取り戻した神門は気づいた。ここは――鍾乳洞では断じてない。


 鍾乳石と石灰華柱と思われたそれは、様々な屍骸の臓腑や骨や角、そして機械部品が融合し、木乃伊ミイラ化、若しくは化石へと化したかのような……。よくよく見てみれば、石灰華柱は巨大な腕が地に手を付いているようにも見え、地に根を下ろした巨木でもある。正に、醜怪といった言葉が似つかわしい。それは、暗い茶系の色が複雑に混ざり合った瑪瑙に似て――。


「神門ーー!」


 胸中を侵食しつつあった感懐を、ふいに己の名前を叫ぶ声が打ち切った。


 声の方向――神門からは左の方向へと顔を向けると、鏡写しで鈍色に囚われた少年がいた。


「――虎狛こはく!」

「神門!」


 ――宙ぶらりぶらり。


 ――宙ぶらりぶらり。


 互いの名を呼ぶ少年たちの声を呼び水に、三つの白い影法師が白霧より植物が生えたならばかくもあろうと、ぬきりと姿を現した。それだけで、場の瘴気とも言える、常識のひずみを更に深化させる。何故か影法師の姿を認めた瞬間、神門の本能に近しい部分はそれらを生物的、否、存在的にヒトの上を往く『何か』と捉えた。はたして、予感とも野生とも言える異感覚は正解だったのか。


 三つの影法師は、それぞれ白霧の色の法衣を纏い、表情をフードで隠している。


 小柄な影法師は、少年たちよりも身長は低いだろうが、如何なる左道の業か、身体が中空に浮いていたヽヽヽヽヽ

 すっぽりかぶった外套クロークに似た法衣のフードに隠れている相貌の――眼窩があると思しき箇所から木洩れ出る白光が少年たちの瞳を感光させ、視界に青とも赤とも言えぬ残像を灼きつかせる。


 向かって右側は法衣に包まれているとはいえ、かなり筋肉質な長身だ。

 その大樹めいた手足、巨岩の肉体を誇示しているのか、法衣が覆う面積は狭く、上半身は殆ど剥き出しといっていい。

 そして、剥き出しの身体は――人在らざる碧い光沢を放っていた。碧い結晶から偉丈夫を彫り起こしたとでも言えば、かくもあろうかといった威風である。


 そして、最後の左側。

 身長といい、陰翳といい、法衣の意匠といい、女性のそれを思わせる。背中でつながった両袖から上腕を通したもとみたく広がり、腕の長さを越え、最早引き摺るほどに長い。肩を露出したドレスじみた法衣は、身体にフィットする部分とゆとりを持たせた部分が存在し、主のスタイルを際立たせている。

 妖艶な肢体の肌は、病的というより不自然な屍蝋の白さ。ヴェールに見えなくもないフードから覗く淡い緑青色の髪が、少年たちを捕らえている鈍色の枷と同じように、末端へと蛍火を断続的に走らせる。


 ――宙ぶらりぶらり。


 ――宙ぶらりぶらり。


 中央の、小男とおぼしき法衣の主が少年たちを見上げるように顔を上げる。


 相貌はヒトのそれに準じているのだが、肌膚から目に至るまで人類を逸脱していた。

 先ほどから視界を感光させている双眸は、黒く小さな瞳孔を覗いて、白く濁った鬼火に燃えている。カサつき罅割れた肌は、産毛もなく、内部を蟲が這いずり回っているかのように蠢き、それに呼応するように、トライバル・タトゥーに似た幾何学的な紋様が赤黒く浮かび上がり、消えていく。

 寄せて返す波じみた紋様は、何らかの文字を象ったかのようでもあり、或いは無作為に書き描いた野放図な芸術の産物にも思えた。


 天啓を授かった聖人の所作で小男が恭しく両腕を天に掲げると、法衣の隙間から六指が顕わとなった。人間で例えるならば、外側にもう一本拇指ぼしが追加された六指だ。肌膚は顔のそれと同じく、乾燥した大地の色をしており、紋様が現れては消えていく。


「シュゥワッァ!」


 独特の呼気で放たれた声は六指に変容を齎した。一瞬、脈動よろしく手が撥ねたかと思えば、赤黒い幾何学文様が手の甲を覆うように構成され、指の範囲を越え、猫科猛獣の鋭さをもち、しかし、湾曲せず真っ直ぐ生え揃った爪の様相をていした。紋様拵えの爪はどこか外科医の持つ手術刀メスを連想させた。


 爪の怪人シザーハンズは掲げた手をそれぞれ少年たちへと向けると、爪より闇さえ貫通しうるレイザーを放った。赤へ青へ黄へと変色しながら、レイザーは少年たちの身体を舐める動きで這い廻る。這われた肌膚から体組織が変化を齎し、魔物が内より蠢く違和感が痛みとなって襲いかかる。


 神門は恐怖した。何がどうなっているのかは理解できないが、この異常な痛みに恐怖した。


 これより激しく鮮烈な痛みも経験があった。これよりも鈍く沈殿する痛みも経験があった。


 だが、しかし。

 この痛みはまるで――。


 人たらんとする事をせせら笑うかのような、人の殻を引き裂かんとするかのような、そして、人としての存在が裏返っていくような痛み。それは、存在を侵された原初の痛みだったのだろう。


「神門ォォォッ!」

「虎狛ぅう!」


 痛みの中で互いを呼び合う少年たちは、我知らず、コードの絡んだ片腕を互いへと伸ばしていた。先ほどまで露とも反応を示さなかった手が動いていた事にはお互い気がつかなかった。痛みを和らげ合うためか、はたまた、相手を助けようとするためか。


 ――宙ぶらりぶらり。


 ――宙ぶらりぶらり。


 再誕の儀は続く。


 視界が歪み、霞んでいく。まるで、ここは現実ではないと言わんとばかりに。ここは悪夢。実ではない虚の世界。


 はたしてそうだろうか。

 頭に響く耳鳴りがこびりついて離れない。


 ――宙ぶらりぶらり。


 ――宙ぶらりぶらり。

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