相反

 星海を巡航する宇宙艇の格安客室で古びたノートをめくる少年がいた。貨物宇宙艇の一角に申し訳程度の椅子を設えた客室の居心地はお世辞にも良いとは言えぬが、少年は涼しい顔で固い椅子に座っている。まるで、固い椅子には慣れているといった様子である。


 ノートは持ち主が長年愛用していたものらしく、ところどころ手垢らしい沁みさえ見受けられた。擦り切れるほどに使い込まれた蒼然のほどは、読んでいる少年のものにはあまりに似つかわしくない。それを証明するように、ノートの表紙には持ち主の名前とおぼしい、アラカム・ヒブラ・アットゥーマンという名が記されていた。


 アラカム・ヒブラ・アットゥーマン――銀河人類が唯一出会った出自を異とする異星の友、バラージ人。彼らと銀河人類が、実は同じ出自を持つ兄弟であると仮設を打ち出して、学会を追放された天才学者の名である。


 すでに高齢であるはずのその名の主とノートを読む少年……。年齢的な問題、そして人種的特徴からもバラージ人と異なる少年が、ノートを書き記した者と同一人物ではないことは容易に察せられる。


 あるページで少年の手が止まった。彼は、書き殴られた文の中の一つを睨みつけていた。



 * * *


 現在発見されている先進文明も、銀河人類との身体的特徴が酷似している。いや、酷似と呼ぶよりは同一と断言していい。バラージと銀河人類が元を同じくする種であるのならば、彼らもまた同じ起源を持つ兄弟と言えるのかもしれない。


 問題は、同じ時代に存在している銀河人類とバラージ人が共通する起源を持っている可能性はある。しかし、銀河人類が人類としての歩みを始める以前の太古に滅んでいる数々の先進文明が、起源を同じくすることがあり得るのだろうか。あまりに隔絶された年月を等閑することなど、私にはできない。


 ただ、収斂進化と呼ぶにはあまりに共通点が多すぎる――まるで、一つの完成形モデルが存在し、そこへ向けて進化のきざはしを我知らず登らされているような気がしてならない。銀河人類とバラージ人と同様――彼ら先進文明人が、たして今を生きる我々と無関係であると本当に断言できるのか。採取された数少ない遺伝子サンプルが朧気だった彼らの姿に鮮明な彩りを加えていく度に、私は大いなる意思の存在を感じるのだ。


 偉大な宇宙の建設者――と、私は呼ぶことにしよう――がいるとするならば彼は、我々を如何に創造し、何処へといざなおうとしているのか。


 先進文明、銀河人類、我々バラージ人……。奇妙に符合した、異なる惑星、異なる文明……そして、同一としか思えない人類。何らかの目的をもって、世界という盤を運命という指し手が人類という駒を操っていたとしていたのならば……。


 銀河人類とバラージ人という別惑星を起源としてながら交配可能な二種の人類、惑星バラージに残された太古の痕跡を辿る旅路の終着点は、二種の人類が同一の人類であるという結論に帰結した。勿論、議論の余地は残されている。何故、進化の途上で同じ人類が分かたれて、別の惑星に棲息するようになったのか……大いなる謎は後の世に託し、私は更にその先を探ろうと思う。


 現在、我々、銀河人類とバラージ人という〝人種〟が奇蹟的に――或いは蓋然的に――てしなく広漠たる銀河で出会った。しかし、同じ符号を持つ人類は現在、他に存在しないとは言い切れない。私が立てた仮設を立証または否定し得る遺蹟が見つからぬとも限らない。そう考えた私は、様々な文献や資料で惑星バラージの外に求めた。様々な候補がある中で、私はまず一つの惑星に眼を留めた。


 惑星イラストリアス4――。灰色の雲に包まれた、イラストリアス星系第四惑星。惑星規模や日照等、ては重力まで非常に人類に〝都合のいい〟惑星だ。人類居住可能惑星となれば植民惑星化されて然るべきだが、現在、その目途は立っていない。どうやら、幾度も派遣された無人惑星調査機が大気圏突入した途端、謎の事故で消息を絶っている。


 この惑星イラストリアス4、あくまで推測だが、グレイ・グーではないかと予想される。おそらく、先進文明の一つが居住していた惑星だったが、環境調整のための塵級機械ナノマシンが何らかの事故で暴走――原因としては蠱毒か――し、グレイ・グー化したのだろう。塵級機械ナノマシンに組み込まれている防衛機構が惑星外から接近する隕石を認識し、攻勢防御で惑星を防御しているとしていたのならば……。なるほど、無人調査機が消息を絶つ理由としては考えられなくもない。


 だが、何らかの方法で惑星イラストリアス4に降り立ったのなら、何らかの手がかり、或いは生きている先進文明と出会える可能性すら芽生える。更には、前述している、偉大な宇宙の建設者の謎の、髪の先に手が触れることもできるかもしれないとまで思うのは、希望的観測がすぎるか――。


 * * *



「イラストリアス4……」


 少年がつぶやく。ともすれば、推進する宇宙艇が奏でる駆動音や震動に溶けいりそうな声は、中性的な顔立ちから受ける印象に反して低かった。


 ノートの内容が正しいとすれば、イラストリアス4の地に足を着けるには、防衛機構を突破せねばならない。しかし、幾度も無人調査機が戻っていないとなると、通常の大気圏突入時の速度は攻勢防御の対象となり得ること他ならない。しかし、大気圏突入に過剰な減速を行うのは非効率極まり、相当な金額を積まぬ限りは首を縦に振る業者はいないだろう。


 しかし、少年にはその、相当な金額の持ち合わせがない。当座の資金は傭兵として稼いでいるものの、単発的な仕事は容易いものが多いものの、やはり実入りは少ない。


 降下艇等での大気圏突入が不可能となれば、方法は惑星潜りサルベージャー式しかあるまい。EMP’sの搭乗経験はあるにはあるが、問題はEMP’sそのものだ。惑星潜りサルベージャーでさえも近年で無人調査機に頼る中、市場のEMP’sの数は減少の一途を辿っている。在庫、そして数の少なさからの値段の高騰……。流石に、地上のように逃げ場のないヽヽヽヽヽヽ、高度数キロからの降下となれば、完璧に整備されたEMP’sで臨みたいところである。


 整備や調達面を考えてもEMP’sでの降下が安価とはいえ、どちらにせよ金銭面的な問題からは逃れられない。


 携帯端末を取り出し、マーセナルカウトサービスにつなげる。周りの眼があったのならば、この携帯端末を見た途端、三つの反応があっただろう。一つは蔑みの冷笑、一つは無関心、そして哀れみの視線の三つに、だ。


 今では珍しい携帯端末を用いる者など、脳内チップ未処置者以外はあり得ない。大量の情報を精査する必要に迫られる銀河人類にとって、脳内チップはいわば常識と呼ぶより持っていて然るべきの〝権利〟とさえ言っていい。少年の年齢ならば、処置を拒むか、何らかの理由に迫られて未処置であるかの二通りしかあり得ず、脳内チップが新生児時に処置を行う必要性から前者は両親の意向、後者は先天性の理由とされるのが一般的である。


 マーセナルカウトサービスに登録している自分のアカウントを覗くと、一件の通知が明滅していた。開けば、僥倖と言うべきか、くだんの惑星イラストリアス4への降下を計画している惑星潜りサルベージャーからの接触だった。近く、イラストリアス4へのサルベージ計画があり、それに際して危険な現地生物からの護衛が主な依頼内容である。メッセージには、EMP’sの操縦経験のある少年を護衛として雇いたい旨が寄せられていた。


「…………」


 しかし、たして、こうも都合よく惑星イラストリアス4への降下の話がもたらされることがあり得るのか。


 ノートに記載された、一文が冷気を伴って脳裏に蘇る。世界という盤を運命という指し手が人類という駒を――。


 馬鹿な――と一笑に付するのは容易ではあるが、少年はそうできぬ理由があった。むしろ、誰かの差し金であるのならば……いっそ飛び込んでいくのも一興かもしれぬ。もとより、選択肢は限られている。少年は、依頼の仮承諾手続きを取る。依頼内容には、依頼主が直接会い、最終的に依頼を受けるか否かを判断することが条件となっていた。電光空間グリッドスペース内での仕事でない限りは、マーセナルカウトサービスを介しての契約では一般的な流れだ。


 依頼主は、ちょうど少年が向かっている惑星コリウルスに滞在しているらしい。やはり作為的なものを感じざるを得ないが、ここまであからさまならば、依頼主本人は少年が追う〝敵〟とは無関係なのやもしれぬ。


 瞳を閉じた少年は宇宙艇の震動に身を任せるも、滾る宍叢ししむらに燃える身体と凍える背筋に冷える骨という二律背反的な律動に侵された彼に、眠りの世界からの招きは訪れなかった。

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