章之陸

突入

 装甲越しから響く大気を裂く遠雷に似た音と微細ながら絶え間ない振動に身を任せ、パイソン・プレストンは闇の中で目を覚ます。


 ディスプレイの光以外は光源は無い。ディスプレイが指し示すカウントダウンは、残り一分を切ろうとしていた。

 夢を見るほど寝入っていたらしい。

 眠気覚ましに煙草に火を入れる。ディスプレイから発する光が紫煙を受け、その軌跡を顕わにする。

 闇に浮かび上がった操縦桿を握ると、音声通信が入る。


「父上~。作戦開始時間前だけどお迎えが来んしたので、急遽作戦開始しんす」

「ああ」


 途端、周囲を支配していた闇が晴れ、飛海フェイハイ城近郊の空が姿を現した。

 斑に雲が泳いでおり、遥か地上は光源もなく、海溝の底にも感じられた。閉鎖型環境都市アーコロジーと突き出た大仙楼が双子月に照らされ、どことなく荘厳さを以って瞳に語りかける。

 上部を庇みたく覆っているのは、先日、神門と咲夜が大仙楼より脱出した際に鹵獲した航空戦闘機の底部だ。


 現在、大仙楼へ攻め入る為、パイソンは突撃強襲コンテナと呼ばれるカプセル状の小型航空機の中にいた。

 プレストン探偵事務所の地下ガレージで布をかぶせて保管していた物だ。

 コンピュータ端末と併せて、彼の事務所のガレージを埋め尽くすほどの容量だったそれは、航空戦闘機に比べれば大型海動物に貼り付く小判鮫ほどの大きさでしかなかった。


 外界の色に照らされたパイソンは、大仙楼より吐き出されてくる無数の黒点を見た。浮塵子の正体は、蟲の姿を模した戦闘型無人機UCAV。規模はともかく、空を侵食せんと生み出される姿たるや、蝗害をもたらす飛蝗の如く。

 全てを根絶やしにせんと迫る悪喰の化身と見せて、それらは迫り来る夷狄いてきを己の餌食と見定めたらしく、覆い尽くさんばかりに襲いかかってきた。


「神門ォッ!」


 パイソンの声を呼び水に、無謬の安定感で大気を泳いでいた航空戦闘機は、突然、荒波に翻弄される小舟の揺れを見せた。当然、その底面に貼り付いたパイソンもそのGの陵辱を受ける。


「~~~グゥッ!」


 噛み締めた奥歯から搾り出される呻き声。急激に身体を揺さぶり続ける慣性にひたすら耐える。


 パイソンの乗る小型航空機よりなお小さいそれらUCAVは、電子空間を介して操作される無人戦闘機群だ。まさしく絡繰仕掛けの蟲といった様子の外観は、なるほど無機質ながらもどこかおぞましくもある。


 ここにきて、航空戦闘機を操る神門の手練も水を得た魚のように冴え渡り、航跡たるや絡まる糸の如くに複雑極まりない。まとわりつく蟲どもをループ、ローリング、推力偏向ベクターズスラストなどの様々な空中戦闘機動マニューバを駆使し、緩急織り交ぜて振り払う。


 付き合わされる形となったパイソンは、ミキサーのドラムで撹拌される気分を味わっていた。


 万有引力が頭上へとかいなを伸ばし、夜空そらが土壁の天幕で遮られ、地が双子月を映した大穴になったかと思えば、再び、天が天に地が地へと平衡な世界へと戻る。かと思えば、重力に逆らい、眼前が黒い空に覆われ、慣れ親しんだ大地を遥か後方へと押し流す。逆も然り。

 それらが、時機乱雑に繰り返されるのだ。自分の意志で操縦、若しくは次の機動が把握できれば身構える事も可能だろうが、航空戦闘機の操縦席に座っていないパイソンはどちらも該当せず、慣性の陵辱に身を任せるしかない。


 ――流石に……気分悪くなってきた……。


 平衡感覚を蝕まれ続けて、流石のパイソンの三半規管も音を上げ始めた。更に遠心力で四肢の末端へと血液が集まり脳内の血量が低下、黒く靄がかった眩暈が襲いかかってきた。


 元々、パイソンが乗る小型航空機は突撃制圧機と呼ばれ、要塞や大型艦内部へ突撃後、移乗攻撃へ移行する目的で開発された物だ。

 パイソンのものは、MBが一台程度入る程度の積載性しかなく、また小型化と装甲に力を割いた分、燃料積載量が少ない上に武装の類も無い。

 元々、制圧用に開発された使い捨てであり、複数の運用を想定している兵器であるため、これは致し方ないところではある。


 当初の予想では、大仙楼からの歓待はもう少し接近してからと踏んでいたのだが、現実はそうそう甘くなかった。距離から考えるに――はたして帰還時の燃料が確保できるかどうか。

 とはいえ。


 ――行くか。


 神門のお荷物――実際、突撃制圧機の重量を抱えている航空戦闘機にとっては、荷物と呼んでも差し支えない――でしかない現状。もし、余剰加重を減らせば、軽さという性能向上チューンナップにより、彼の機動も更に剽疾勁捷ひょうしつけいしょうな手練を見せつけるだろう。


 ならば、兵貴神速、パイソンは決断を下すや航空戦闘機への音声通信を開く。


「今から五秒で機体を切り離し、大仙楼へ突貫する。秒読み始め!」


 異論は認めんと一方的に通達しながら、切り離しシークエンスに入る。

 パイソンはプログラムにカウントTime Before Launch5を入力し、言い終わるや秒読みを開始する。今頃、同期させたカウントダウンン画面が航空戦闘機の操縦席にも表示されている事だろう。


 五秒は短いようでいて、この蝗害が支配する空域では長きに感じられ、長い一秒ごとに数を減らしていく数字がやけに腹立たしい。


 ――ゼロ。


 長きに渡るカウントダウンも終焉を迎えた。この時を文字通り待ちわびた突撃制圧機は、狙撃銃から放たれた弾丸の勢いで大仙楼ターゲットへ向け飛翔した。

 操縦桿を遮二無二切り返し、悪霊の如くに眼前を黒く喰い尽くす蟲の群れの僅かな間断を縫い、定めた標的へ。ガクガクと揺れる機体は先ほどまでの比ではないのだが、自分で操作している分、体調は幾分ましだ。断続的に機体から伝わってきた震動おとは被弾によるものだろう。


 だが、この程度なら分厚い装甲に守られた突撃制圧機は貫けない。

 元々、城塞を突破するために設計された機体だ。無数の飛蝗であれ、この外皮を貫く事は容易ではなかろう。

 況してや、群れの中心へ飛び込んだパイソンを攻撃しようとも、なかなかその加速度に照準が追いつかない。

 委細構わぬと銃爪を引く、若しくは、動きを予想して銃撃を与えようものなら、結果、射線上の僚機に被弾し同士討ちの憂き目に遭う。


 内部に乗員がいないから良いようなものの、蟲は辺りに撒き散らされた銃弾に次々と撃ち墜とされ、双子月の光に黒煙を映していく。武装の無い突撃制圧機相手に、飛蝗達は自らのごうによりその包囲網を散らしていく。


 正面から体当たりを仕掛けてくる蟲を苦労しいしい躱し続けると、黒い霧の切れ間が見えた。

 眼前には天に手を伸ばす大仙楼――と先ほどの躱した蟲の影に潜んでいたのかはたまた偶然か、目標より手前に黒い影。反応しきれず、影――機械仕掛けの蟲の姿が致命的なほど拡大される。

 しかし、どうやらそれは向こうも同様だったらしい。そうでなければ、とっくに正面から銃弾の槍衾にされている筈だ。


 無人兵器は、いくら電子空間を経由しているとはいえ、理論上、人間には知覚しきれぬ程度の遅延ラグは存在する。

 ほどの時間的隔たり――それがパイソンの瞬時の判断を成功させたのかもしれぬ。刹那の判断は……このまま突撃する、だった。


 蟲のちょうど腹に相当する部分と船首が衝突。既に銃弾の如き速度と強固な装甲に支えられ、突撃制圧機が蟲を撥ねる形で一直線の軌道を描いた。

 哀れ、蟲は墜落よりも凄惨に四散し、名残すらも残さぬ程の金属の破片となった。


「邪魔するからだぜ……ッ~~!」


 つぶやきの間にも突撃制圧機と大仙楼との距離は狭まり――そして。航空戦闘機の底部より放たれた魔弾は火箭の勢いで大仙楼の壁面へと突き刺さった。

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