暁闇

 オリヴェイラと神門の地稽古を見学していた際に神門が見せた、バラージの剣技では無かった太刀筋。サダルメリクの剣士の本能は、それをケモノオロシで再現した。無論、神門のそれとは洗練された度合いも太刀筋の精妙さも及ぶべくもないが、咄嗟に再現した事を考えれば及第点だっただろう。その証拠に、今、ラミナスは地に伏している。


「よくぞ、私を降したな」


 蒼白になった父の表情は、喘ぎながら息をしていたがどこか穏やかだった。あの殺気の無機質さは露ほどの名残りも残されていない。思えば、苛烈な殺気を放つ父こそ瞼の裏に焼き付いているのに、無機質な殺気で淡々とした父の姿は記憶の何処にもなかった。むしろ、彼の記憶にある烈火の如き殺気を敵に回していれば、その峻烈さ故に殺気が何処に飛ばされているか判別できなかったかもしれぬ。


「父上――」


 現実感の乏しい光景の中でサダルメリクは父を見下ろしている。外の豪風も今は遠い。


「これで、ようやくヴァレンタイン陛下との約定を果たせたな……」


 約定――。馬鹿な。ラミナス家はヴァレンタイン陛下崩御の後、後を継いだキルシュタインに剣を捧げていたはずなのに、何故ここに来てヴァレンタイン陛下の名前が出るというのだ。


「わけが分からぬといった顔だな、サダルメリク。今際の際だからこそ告げよう。私の主は後にも先にも、依然変わりなくヴァレンタイン陛下のみだ。私は崩御される前のヴァレンタイン陛下に託されていた任務をただ遂行していたのだ……」

「どういう事です……?」


 父を抱き起こすサダルメリクの手に鮮血の赤がじっとりと濡れる。身体を分断するほど深くはなかったとはいえ、巨剣の一撃を浴びたラミナス家当主は既にその生命が尽きようとしていた。


「総てはヴァレンタイン陛下のたなごころの中だったのだよ。陛下は、最初からオリヴェイラ殿下に王座を渡すつもりだった……。だが、そうなるとキルシュタインが黙ってはいない。陛下は王制の完全撤廃という議題を持ち出し、キルシュタインに自分を暗殺させるように動いた。――今日のこの日の為に」

「まさか……」

「陛下は総てご存知の上で行動なされた。陛下は仰っていたよ。権能を持たぬオリヴェイラ殿下こそ、この先のバラージ王国を導けると。私にはその意図をお教えいただけなかったが、それもキルシュタインに勘付かれぬための工作であったのだろう。わた……しは! オリヴェイラ殿下が王を継ぐため……のいしずえだ。――キルシュタインが王となった後ッ――でも、お前を殿下に仕えさせたのも、そう……」


 父はサダルメリクの服を震える手で掴み、苦労しいしい声を吐き出していく。


「信頼に足る人物……ゥ、アラカム翁に陛下暗殺の証拠を託した、のも私だ……。良いか、この事実はお前の腹に収めておけ……。私は国賊でいい。ただ――一人の息子にだ、けは真実を知ってもらいたか……た」


 新たな真実を吐露する父の姿に、サダルメリクは取り返しのつかない事をしてしまったと絶望に心が曇っていくのを感じていた。


「父上、私は――!」

「お前はオリヴェイラ――陛下の剣と盾……になれっ……! 悪くないぞ――こうして、未来へ生きた証を残せるというのは……」


 父の心音が早く、しかし弱くなっていくのを感じた。既に息は途絶え、その瞳にも明確な死が映り込んでいる。


 サダルメリクはここまで感情をコントロールできなかったのは生まれて初めてだった。滝のように流れる涙に溺れそうになるのも、その上、喉が錆びていくのも。不覚にも、彼は激情に前後を忘れていた。声を殺しても溢れ出る雫が父を濡らしていく。


『~~~~~~~~』


 遠雷のように、砂嵐の暴風にも負けじと響く咆哮が耳に届くまで、彼は一切を遠ざけて嘆いていた。だが、その不吉極まりない絶叫が、彼の感情に歯止めをかけた。そうだ。今の自分は嘆いている時間など無かったはずだ。度し難い怠慢となじられても反論できぬ。父を手にかけた事実は消せないが、それに意味を作る事はできるはずだ。


 サダルメリクはローブを骸布代わりに父の遺体を包むと、階下で待ち受ける戦いへと思いを馳せ、一瞥もせずに走り去った。


 彼が去った後には、死を賭してまで後の王国に尽くした英雄の亡骸を、砂嵐だけが見守っていた。




「いや、全くもって先王は先見の明があったんだな。正直、ここまで予測して備えていたとは、ね。空恐ろしいものを感じるよ」


 眼の前のMBは沈黙を保っていた。あのバナイブスが伸びた延長線上に、メルドリッサの喉元が存在している。だが、仕掛けてこないのは、『結社』の情報が欲しいからだろう。復讐の炎に身を灼きながらも、年齢にそぐわぬ冷静さも持ち合わせている。ならば、その自制心に敬意を表して種明かしを続けるとしようか。


「さて、荒獣が何故、人類――特に権能者を狙って襲いかかるのか。先ほどの権能の話に戻るが、権能のもたらす各々の固有現象にはそれほど意味は無い。重要な点は塵級機械チャータムに干渉するという特性だ。

 荒獣もまた権能により巨体を維持している。だが、何故権能を必要としてまで? 簡単な話さ。荒獣は『結社』が進化操作した生物兵器だからさ。

 荒獣の体内に潜む無数の塵級機械チャータム。そして、塵級機械それを操作するのが――」

『――権能』


 龍神神門のつぶやきが電子的に増幅されてMBの外へと響く。理解が速い。優秀な生徒の理解力に思わず顔がほころぶ。


「左様。つまり、バラージ人と荒獣はセットとして『結社』によって遺伝子操作された種なんだよ」


 彼が程なく辿り着くであろう結論を先んじて声にする。オーデルクローネの操縦席の彼はどういった心持ちだろうか。その表情は装甲板の向こうに閉ざされて、覗くことが叶わないのが少々残念でもある。


『~~~~~~~~』


 階上より轟く異生物の絶叫に舞踏場がビリビリと震動した。


「お? どうやら、上で実例を披露しているようだな。どうする、龍神神門? 私と一戦事を構えるか、それとも上で苦戦を強いられているであろうご友人を助けに行くか。私はどちらでもいいよ」

「…………」


 一拍の逡巡の後、龍神神門はメルドリッサと彼に控える少女から視線を外し、上層階への階段へとオーデルクローネを奔らせた。


「やはり、そうしたか。表情には見せないが、友情にあついのは君の美徳だよ」


 賛美の声を聞いていたのかいないのか、彼は廊下と舞踏場を遮る扉を蹴破って立ち去っていった。


「メルドリッサ様、よろしいのでしょうか。彼が参戦してはキルシュタイン陛下は――」


 控えさせていたアリアステラの問いかけに笑みで応える。


「問題ないさ。どちらにせよ、『結社』はデータ収集を完了している。既に、『結社』にとって惑星バラージは利用価値は無いから、なんら痛手をこうむらない。むしろ、真相を知る者を生かしている方がリスキーなんだよ。だから、キルシュタインくんが崩御しても……『結社』にとって嬉しい方向へ歴史が流れたという事になるだけさ」


 ここに長居は不要だ。既に結果が見えている事象に付き合う理由はない。メルドリッサが歩き出した事で、慌てた様子のアリアステラが後を追いかけてくる。


「龍神神門は可能性のくさびだ。何を以ってしても彼を殺す事はできないし、天文学的に低い可能性の扉すらもこじ開ける。彼をどうにか出来る者は彼と同質の者だけだよ」


 長身のメルドリッサに比べて、アリアステラは女性という点を差し引いても、それほど背は高くない。それとなく、歩幅を合わせた事に彼女は気づいたらしく、恐縮そうにすぐ後ろを付いて来る。


「さあ、帰ろうか。キルシュタインくんは残念だが、我々がここにいても出来る事は少ないからね」

「………………お待ちください」


 幾許かの逡巡の気配を見せた後、彼女は前を歩く主に声をかけた。


「少しお時間を頂いてもよろしいでしょうか?」




 ナビゲーションが示す通りに突き進んでいくと、轟音の発生源とおぼしき階層へと辿り着いた。なるほど、酷い有様だ。窓という窓は割れ、外から嵐が運ぶ砂塵がひっきりなしに室内へと侵食していっている。オーデルクローネがつけた足跡で、その砂の絨毯の下に潜んでいた紅の天鵞絨ベルベットが発掘されていく。視界の悪さにカメラアイの機能も十全に動作しているとはいえない。人の眼で例えると涙腺に相当する噴気口から圧縮空気でカメラアイに付着した砂塵を払い退かすも、未だに宮廷内で暴れ回る砂風の前に再び視界を曇らせる。ある程度に大気が安定する場所までは悪視界に耐えるしかないらしい。ところどころに砂色の雲がかかっているような色境。その霞んだ向こう側を勘任せで予測して奔り向けていく。


 砕かれた扉の残骸を蹴飛ばせば地下墓地を思わせる、柱が林立する閑散とした広場へと到着した。謁見の間へと続く広間だ。立ち止まると、装甲を打つ砂の粒子の音も既に無い。改めてカメラアイの圧縮空気を作動させると、視界が劇的にひらけていっそまばゆさに眩む。感光率をカメラアイが自動補正し、取り戻された視界が広間の異常な状態を映していた。床は砕かれ、または擦れた痕跡が残され、林立した柱も途上で崩されているものも多い。それに床面を見れば、荒獣の鮮血らしき碧く光を灯す液体が毒々しい花を咲かせている。奥の謁見の間へとつながる扉も砕かれている。その先は塵埃が立ち込めているせいで見通すことができない。


「神門?」


 自分を呼ぶ声の方向へ視線を向けると、カメラアイが眼球の動きに追従していく。


「サダルメリクか……」


 はたして、視界に捉えたのは巨大なケモノオロシを肩に担いだサダルメリクの姿だ。着ていたローブは既になく、着ている黒い七分袖のジャケットはその色で分かりにくいものの確かにところどころが血に滲んでおり、その途上にあった激戦を思わせる。分厚い板状の鉄塊としか見えないケモノオロシの重厚にして堅牢な刀身にも幾筋もの斜めに奔る傷が、その過酷な戦闘の程を想像させる。


 カメラアイの精密な映像再現度がサダルメリクの眼が赤く充血している事実を告げているも、平素より明け透けな傾向のある彼が喋らないという事は触れられたくない内容なのだろう。神門も必要以上に他人の事情に踏み入る趣味はない。彼が話したくなった時に聞けばいい。


「あれ、聞いたか?」

「ああ」


 彼が宮廷を振動させるほどの絶叫を指している事は明々白々だ。


「君がここまで来ているという事は、ここが――」

『~~~~~~~~』


 サダルメリクの言葉を待たずに、再び咆吼が世界を染める。同時に謁見の間の塵埃から人影が飛び出してきた。


「どああああ!」

「ぐうっぅ!」


 重なって、広間へと弾き飛ばされたのはオリヴェイラとカウスメディアだった。そのまま、両者共々床面を擦りそうになるが、カウスメディアが咄嗟に権能でホバーを行い、衝撃と擦過を防ぐ。


「いててて……」

「オリヴィー、カウス!」

「サダル? ……………………相変わらず、筋肉王子――あ、待って。今は……」


 サダルメリクの振り上げた拳を避けるように、顔の前に手をやるカウスメディア。明らかに危険な状態とおぼしき状況でも、カウスメディアはサダルメリクをからかう事は忘れていない。それとも、先ほどの間が意味したところは、サダルメリクの眼球の充血に気づいたカウスメディアなりの気遣いだったのかもしれないが。


「ほう、余裕そうじゃあねえか。……気に入らねえな」


 崩壊した扉からキルシュタインが姿を顕す。その様相は神門の知る彼とは異なっていた。まず眼についたのは髪だ。黒かった髪は不気味に青白く染まっており、重力に逆らうようにざわざわと蠢いていた。眼球は碧く光を灯し、地獄から現し世を覗く黒い穴のような瞳孔がやけに目立つ。そして、鍛えられた胸部の中心に――光が脈打つ塵級機械チャータムの碧玉。


「なあ、あれ、どうなってるんだ?」


 誰にともなくつぶやいたサダルメリクのつぶやきも尤もだ。神門とて、メルドリッサより聞き及んでいなければ、同じ意見を持っていたはずだ。

 オリヴェイラが指で頬を掻きながら、なんとか説明しようとするが要領を得ない。


「なんて言えばいいのか……。強いて言えば、ラリオウスに喰われたと思ったら、ラリオウスが人型っぽくなって、今度はキルシュタインになったっていうか……」

「はあ~? なんだそら?」

「そんな反応でしょ? やっぱり」


 溜息をつくカウスメディアだが、おそらくそうとしか説明できないのだろう。


「ふん……。冥土の土産に見せてやろうと思ってな。お前たちは真のバラージ王の前にいるのだ」


 高らかに自らを誇示するキルシュタインが己に酔っているのは間違いない。法悦の表情を浮かべたキルシュタインから嗜虐性の臭いが漂ってくる。


「……来るな」


 神門の言葉に、三人の表情が引き締まる。


 暴虐の碧い瘴気が可視域まで濃くなっていく。瘴気の正体は塵級機械チャータムの粒子と考えて間違いあるまい。キルシュタインの身体から噴出された塵級機械チャータム粒子は、彼の身体を包み隠してなお頭上へとその規模を広げ、そして渦巻いて濃度を増していく。


 やがて、塵級機械チャータム粒子は一つの形を成していく。人体の規模を拡大したような、暴竜の輪郭を撫でるような。それは、絶大な存在力を放ちながら、骨を血管から筋肉へ肌に鱗片と形成していく。塵級機械チャータムの見せる生体組成の御業は、ものの数秒で完成へと至る。今やラリオウスそのものとなったキルシュタインは二足歩行型の暴竜へと化していた。直立した事により体長の殆どが身長へと変化し、竜にして暴君となった怪獣ヽヽは八~九メートルの高みから彼らを睥睨している。


『どうだ? この素晴らしい身体! 融合! 沸き上がってくる力! フフ、愚民ども! 我が支配の前に平服しろッ! アハハッ、ハハハハハ! ハハハ――~~~~~~~』


 自らに酔っていたキルシュタインは、ここで完全に酩酊状態へとなったようだ。罅割れた声からは常軌を逸した感情の色が見える。高らかな哄笑はやがて、竜の咆吼へと変じて宮殿を痺れさせる。


「――行くぞ!」


 オリヴェイラの決意の声を呼び水に、王位の奪還をかけた戦いが始まった。

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