灰空

 かつて旧き時代があった。

 塔を築いた灰の時代――。

 旧き神々は荒れた大地をお嘆きになり、空を再生の灰で覆い、お隠れになった。




 灰色の空からまた、さやが墜ちてくる。新たなカリアティードの誕生だ。流星の如き輝線の向こうでは、灰の雲の更に先まで手を伸ばす〝世界柱〟が霞んで見える。その様子を鉄格子越しに見つめる紫の瞳があった。


 薄暗い灰色の空は、碧空を灼いた灰の時代から続くという。いずれ、この灰の空も掃き清められるときが訪れ、また新たな時代の名を持つのだろうか。その頃には、自分は此処から開放されているのだろうか。


 いや……余計な希望は持つな。カリアティードは絶えず天から降る。それは、数え切れぬほどの年月で繰り返されてきた、生命の連環と言える地の運行サイクルだ。どちらにせよ、この時代かこの地が消えぬ限りは久遠ヽヽに繰り返されるのだから。


 憂いに満ちた瞳で曇天を見つめる美女は、不意に奏でられた鏘々たる響きを耳に留めた。金属の打ち鳴らす音色へと瞳を移すと、思い能わず、鉄格子に嵌められた錠が外されている。なるほど、仕事らしい。


 久遠を囚える格子戸を解錠したカリアティードは、白い髪と白く凝った衣裳を着ていた。久遠とは異なり汚れも煤も無い衣裳は、秋津モードの雄、山中雅Miyabi Yamanakaが生み出した珠玉の逸品だ。精緻に織り込まれたレースの目隠しアイマスクも同じく山中雅による意匠で、囚人ヽヽに視線を悟らせぬためと感情を隠すためのものだ。――だが、見る者が見れば訝しい面持ちを隠せなかっただろう。衝撃のアルビノと呼ばれた山中雅は、既に他界した過去の人だ。それも、意匠権も失って久しいほどの、だ。このデザインも服飾博物館に展示されていてもなんら不思議ではない代物だ。実際、これが真作であるならば好事家が垂涎して値を張り上げるであろう逸品である。


「久遠・マウザー。出ろ」


 極めて事務的に久遠を牢の外へと促す彼女の声は硬く、とても同属カリアティードに向ける態度とは思えぬのだが、それもむべなるかな。久遠はただのカリアティードではない。

 胸を飾り付けるような藤色に光る紋章――ファサード。




 そして、次の時代――。

 魔の時代。

 石像機の時代である。

 灰色の世界がただ石像機のみに満ち、絶え間なく戦う世界。

 しかし、永劫に続くと思われた時代は次の時代へと進む。




 牢から出た久遠は従容と手枷を受け入れて、控えていた白いカリアティード二名、解錠した者を含めて都合三名に囲まれて、牢獄の廊下を歩く。二名もまた完全に同じ衣裳を身に纏い、無機質な表情も相俟って、同人物の複体ドッペルゲンガーじみた不気味さがある。

 何度も往復しているだけあり、付き添いなしでもこの廊下ならば目を瞑ってでも目的地まで歩けるのだが、久遠を逃さぬようにか、常に三人を下回らない人数が彼女に割かれていた。


 ろくな修繕もされていない牢獄は、煉瓦の隙間から光がこぼれ落ち、床面も凹凸が目立っていたが久遠と白いカリアティードは危なげなく歩を進める。


「私が喚ばれたということは、かなりの大物が出たか?」

「…………」


 軽く問いかけるも、黙して何も語らずを貫く三人。これもいつものことだ。




 柱の時代――。

 原初はじめの星流れが空を描き、炎に焼かれた空の灰から生まれた者があった。だが、互いで争っていた石像機は生まれた者の存在を決して許さず、石像機同士の戦いをやめ、灰から生まれた者たちへ襲いかかった。

 生まれた者たち――カリアティードは旧き時代の覇者に追い詰められ、儚く散っていく。

 しかし、白き隕石いしの勇者と呼ばれた、原初げんしょのカリアティード、叉拏しゃな。そして、彼女に従う白騎士。

 彼女らは〝隕石いし〟に触れて得た鉄の力で、石像機と戦った。次々と白騎士の数も減り、最後の一人が燃え尽きた頃、叉拏しゃなは石像機の王――黒機の魔王の前に立っていた。

 叉拏しゃなが黒機の魔王と相打つことで、カリアティードの時代――柱の時代が訪れた。

 世界に満ちていた石像機は動きを止め、朽ちてゆくだけとなっていた。




 彼女たちは重厚な木製扉の前に立った。石造りの扉枠には威圧的な彫刻が施されているのは、この部屋の主が牢獄において絶対的な権力者であることを示しているのか。

 三人の白いカリアティードの内の一人により扉が開けられ、中に入るよう顎で示される。

 中に入ると、仄暗い室内の奥に、ぽっかりと浮かび上がった白い翳があった。白い長髪と銀の瞳、それに山中雅による軍服を参考にしたドレス。冷涼な眼差しの彼女に、久遠はおどけて敬礼する。


「どうも、〝所長〟さん。私の力が必要になったということは、それなりの大物と思っていい?」


 〝所長〟と呼ばれたことが気に食わなかったとみえ、白い美女の柳眉が僅かに揺れた。


「……〝所長〟はやめなさい。久遠・マウザー」

「それはすみません。で、どうなの?」

「石像機が一体動き出しました。直ちにその一体を破壊しなさい」




 だが、時代は更に巡る。

 白き隕石いしの勇者がもたらした柱の時代も翳りを見せ始め、夜が訪れようとしていた。

 再び動き始めた石像機がカリアティードを狩り、祈りは絶え、更にはカリアティードにファサードと呼ばれる文様が宿る者が顕れ始めた。

 ファサードが顕れた者はシメールと呼ばれ、戦奴として同じカリアティードから囚えられ、石像機との戦いに駆り立てられていた。




「相変わらず、人使いが荒いわね。動き出す前になんとかならなかったわけ?」

「兆候が見えたから貴方を喚んだのです。こうしている間に、本格的に動き出すかもしれないですね」


 久遠の抗議の声も何処吹く風か、〝所長〟は涼しい顔で応える。


「場所は、ノルトルダイム。貴方には、第二武装の解禁をします。……貴方としても、むざむざカリアティードが殺されるのを見る気はないでしょ?」

「興味ないわね」


 そっぽを向いて切り捨てる久遠だが、〝所長〟は彼女の応えをすでに予想していたらしく、否定の態度にも余裕を崩さない。


「それなら構わないわ。我々もノルトルダイムに派遣できる人手が無い以上、反抗的なシメールの出兵拒否によって一つの街が消えた……という事実に胸を痛めるしかできませんね」

「ふ~ん……そ。じゃあ、もういいわね?」


 踵を返す久遠だが、彼女がその実、ノルトルダイムに向かうつもりになっていることを〝所長〟は察していた。


「貴方の身柄は私が預かっています。できるだけの便宜を図っているつもりだけど、貴方が反抗的な態度を改めないとなると、私もかばいきれません。従順になりなさい。これは、かつての友人としての忠告」


 扉を開きかけた久遠は振り返り、入室した時と同様に敬礼をした。


「了解、〝所長〟」




 この時点では誰も知らない――。

 廃れた時代の終焉を告げる鐘の音が響く中、次の時代が産声をあげようとしていることを……。

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