章之弌

荒獣

 直視できぬほどに眩い日の下、大気を震わせる爆発音に似た獣の咆吼が辺りに伝播でんぱしていく。


 黒々しく見えるほどの蒼穹と。対照的に太陽光を反射して、もはや真っ白にしか見えぬ熱砂。

 砂漠。境界線で区切ったような白黒モノクロームに色分けされた景色だ。


 咆吼に圧されて、足元の砂粒が引くように流れた――と感じたのは錯覚か否か。

 こめかみから輪郭を撫で、顎から滴った汗が砂に落ちた途端、名残も残さず乾いて消える。火照った身体の熱はいつまでもわだかまり、なかなか立ち去ろうとはしない。

 降雨が少ないくせに、砂漠は湿気ていて暑い。摂氏五〇度を超えているだろう気温と七〇%ちかくの湿度が、火に焚べられた鮮烈な苦痛と蒸される鈍い苦痛とで人体を内外問わずに焼き尽くそうとしている。


 側頭部の髪を刈り込み、コーンロウをポニーテイルにした大柄の男が、身の丈に迫る刃渡りの剣を肩に担ぎつつ前方を睨めつける。太陽光をよく反射しそうな、シャツの上に羽織った白いローブが彼を砂漠の民だという事実を教えている。

 その後ろには、上下を白の七分丈のパンツとパーカーを着た少年が控え、剣士と同方向を見つめていた。


「いい加減、倒れろよ! こちとら、さっさと帰って、キンキンのコーラとかき氷腹壊すまで飲んでやりてーんだよッ!」


 やけくそ気味に叫んだ戦士の声に応じるように、再び砂漠を揺るがす獣の咆吼が轟く。


 砂を圧して引かせるような咆吼の主――体高五メートル、全長にして八メートルの猫科猛獣を連想させる四肢が特徴的な獣が、彼らを食い散らかさんという瞳で睨みつけてきている。

 燃える焔のような緋色の鱗を貼り付けせた皮膚、見るからにしなやかな四肢……

 だが、最も眼を引くのは頭部だ。

 鳥類のくちばしに似た骨が頭部を全て覆い隠し、その奥の顔面を窺い知ることができない。ただ、周囲を窺うための眼腔がんこうと呼ばれる二つのあなから兇暴な瞳が覗く。


 兜骨とこつという頭部を保護する外骨格をもつ、ジャローマと呼ばれている巨大四足歩行猛獣だ。


「ホント好きだね、その組み合わせ」

「男は黙ってコーラとかき氷なんだよ!」


 少年と剣士の戦いの場にそぐわぬ軽口の応酬。それに怒りを覚えたか、獣の眼腔がんこうから覗く瞳が一瞬光ったと見るや、嘴状の頭部を鉄槌にして前衛の剣士に叩きつけてきた。剣士は切っ先を砂地に突き立てた巨剣を楯に見立てて身を隠す。ほどなく、剣から握力を消し飛ばさんとする圧力が伝わってくる。獣は目標を少し外し、剣士に直接ハンマーの打撃は伝わらなかったが、叩きつけられた砂が爆発するように舞い上がった。太陽に灼かれた砂が、とばりに覆われたように視界を白く隠し、ホワイトアウトに似た状態に陥る。


「カウス!」

あおぐよ!」


 剣士に応じたカウスと呼ばれた少年の声と共に発生した、逆巻く塵風じんぷうが砂の遮光幕を払いのけた。

 吹き払われた砂の中から異形の獣が再び姿を現す。傲然たるその姿、まさしく人に仇なす大自然からの暴威。

 だが、人は自然の脅威と時に共生し時に反抗して、繁栄を築いてきたのだ。今回は後者。剣士の後衛を務めている少年が掌を握ると、獲物を見つけ出した塵風は獣を呑み込むと、兇悪な爪でひとしきり紅鱗を引き剥がすように吹き荒れた。


「~~~~~~~~~~」


 身をよじった獣の呻く声。

 塵風の後を追ってジャローマの足元まで接近した剣士が、巨剣を横薙ぎに振り回す。人の手に余る巨剣を如何なる術理で剣技と成したのか、遠心力に加圧された剣先は狙い違わず、獣の頭部を保護する兜に直撃した。大雑把ではあるが竜巻の如き猛撃は、単純だからこそ明快に捉えたものを断ち割る。


 発破と紛う強剛な一撃に砕けた骨の破片が砂漠に散らばる。だが、流石に最重要器官を保護する兜骨とこつか。鉄塊と呼んで然るべき破断の剣の衝撃をなんと防いでのけた。


『チャンスだ』


 砂漠の剣士と白衣の少年の耳に仕込んだ骨伝導通信機より声が響いてきた。


『俺が突撃するッ!』

「ぇえーー!?」

「待て、オリヴィー!」


 少年カウスの当惑の声と剣士の制止の声をかき消すように、全長三メートルほどの多脚式歩兵型戦闘車輛マニピュレータ・バイク――通称『MB』と呼ばれる人型機動ロボット兵器が飛び出した。

 砂漠用の迷彩マントを纏ったMBはバナイブスと呼ばれるきっさきが湾曲した短刀を両手に、ジャローマへと迫る。


 対峙したジャローマは砕かれた兜骨とこつから覗く顔をMBに向けると、寒気すら感じる殺気のこもった視線を浴びせかける。その瞳が――先ほどまで黒い瞳だったそれが――冷たい碧い炎に燃えているように爛々らんらんと輝いた。


 "権能"の兆候――。


「まずい! けろ!!」


 ちらりと火の粉がMBと獣の中間に顕れたかと思えば、それは瞬く間もなく膨張し火球へと変化した。直前に権能の気配を嗅ぎとったMBは回避運動に入っていたが、既に攻撃準備に入っていた状態では完全な回避など望むべくもない。


 爆発エクスプロージョン


 砂漠に咲いた小太陽に完全に喰われることは避けられたが、吹き飛ばされたMBはバナイブスごと握っていた両腕が溶解し、焼けただれた装甲からは義血と呼ばれる人工筋肉を稼働させる液体が噴き出している。これでは満足な機動など望めない。

 だが、最も憂慮すべきなのはMBライダーだ。気を失っているのか、MBが動き出す気配が、ない。


 野生の本能に忠実な獣がどうしてそれを見過ごせようものか。ジャローマは容易な獲物を第一の標的に見据え、MBの頭部を噛み砕こうと兜骨とこつを展開し、顕わとなった顎門あぎとを開く。唾液に濡れ光っている、生えそろった牙歯げし鋸刃のこばの如くに鋭く、分厚いとは言い難いが鋼鉄の装甲をもつMBさえも噛み砕く事が可能であると、まざまざと感じさせる。


 剣士もカウスもそれを阻止するには僅かに……遠い。万事、休すか。


 剣士が莫逆の友の生命が潰える瞬間を覚悟した、その時。


 豹に似たジャローマの頭部が横合いから殴りつけられたように揺らいだ。兜骨とこつを展開していたこともあり、痛撃をまともに浴びせられた獣はなんとか地に伏せるのは免れたものの、その右眼からは碧く不気味に発光する鮮血が滴っている。

 この場で、彼に一撃を与えられるものなどいなかったはず。獣は本能が指し示すままに、剣士と少年は脳に焼きついた知識から、同時に砂丘を見た。


 視線の先、百と数十メートル先に狙撃銃を構えたMBの姿。銃口からは煙がたなびき、まさに今、そこから怒号とともに銃弾が放たれた事を物語っている。歩兵、MBの別を除いて、王国では銃器は珍しい。


 特徴的なMB頭部の一ツ目のカメラアイが、冷淡にジャローマを見つめる。サイクロップス・タイプ1という初期型にしてMBの基本形、細かいモデルチェンジを経て、未だに第一線で活躍している傑作機だ。

 整備性信頼性が高く、MBといえば本機が思い浮かぶほど、銀河中で浸透しているMBである。

 その最大の特徴は頭部のカメラアイであり、見た目の印象からも単眼の巨人を連想させる。

 更に通常のサイクロップスと異なる点として、その肩の装甲に紋章が刻まれていた。下部に「王立防衛庁」と書かれた、王立防衛隊外人部隊の紋章だ。なるほど、王国民は滅多なことでは使用しない銃器を扱うわけだ。


「~~~~~~~~~」


 ジャローマは自分の右眼を奪った鋼の巨人兵サイクロップスを第一目標に定めたらしく、先ほど噛み破らんとしていた半壊したMBを打ち捨て、咆吼と共に駈け出した。


 強靭な脚力が細かな砂を蹴散らす。同時に、サイクロップスが動く。


 近距離になると取り回しの悪い狙撃銃を砂漠に落とし、左腰に武士モノノフの帯刀よろしく装備した近距離戦用武装に手指マニピュレータをかける。腰だめに構えた状態で両脚の砂漠地帯用無限軌道を動作させ、迫る巨獣へと奔る。


「~~~~~~~~~~」


 獣が威嚇の吠え声を道連れに、発達した五指に伸びた爪を袈裟斬りにサイクロップスへ切り下ろす。


 当然といえば当然だが、その巨躯から獣の方が間合いが広い。間合い内へ充分に引きつけての爪撃、自分が確実に当てられ、反撃を許さぬ理想的な距離。故に、横に身をかわすことも、背後へ退くことも叶わぬ。さりとて、平均一〇ミリ程度の装甲しか持たぬMBで防御しきれぬ攻撃とも思えぬ。


 だが、サイクロップスの行動はその総てを裏切っていた。


 更に前に出、敢えて後方へとバランスを崩し、獣の体躯の下の砂漠へと滑り込んだのだ。装甲を裂くこと容易いであろう爪の脅威は、単眼の巨人にかすめることすらなく、虚しく空を掻く。抜き払った近距離戦用の刀で滑り込んだ勢いを活かして、獣の胴を縦に斬り裂く。

 いくら筋肉質なジャローマとて腹部は他の部分に比べて幾分かやわい。割腹の破断面から、はたたと砂漠に碧い血の花が咲いた。


「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」


 断末魔は凄絶だった。


 剣士の骨まで響かんと、少年の鼓膜を破かんと、絶叫が大気と地を震わせる。

 ひとしきり耳をろうした咆吼はやがて潰え、獣は糸の切れた人形のようにどう……と地に墜ちた。あとは遺骸が次第に光の粒子となって、燃え尽き消えていく。


 呆気にとられていた剣士がふいに気がつくと、ジャローマを仕留めたサイクロップスは後ろを向いて、地平線の先――王都へと走り出していた。

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