第二部 月の瞳に映らぬ夜明けの簒奪者は、孤独な星を想う

序章

暗殺

――十年前――


 灯を落とされ、夜の伽藍がらんの静けさに包まれた謁見えっけんの間で、したる王は眠ったように瞑目していた。


 年の頃は五十代ほどか。歳相応のたるみもどこ吹く風か、痩身にストライプの入ったスーツを着、口ひげを整え、ズリーバンと呼ばれる白い布を頭に巻きつけた王の姿は、国王というより政治家に近いものを感じさせる。

 思えば、玉座の意匠もまた一国の王が坐するには質素と言えた。よくよく見やれば細緻な彫刻が施されている玉座だが、玉座というその綺羅びやかな響きとは裏腹に、重厚にして質素な印象を与えている。


 しんと鳴るような居心地の良い静寂を掻き乱す跫音きょうおんの響きに、王はゆっくりとまぶたを持ち上げる。跫音はそれほど大きいものではなかったがこのしじまにあっては、冥闇に差す一条の光よろしく、却って存在が浮き彫りになり耳に響く。


 闇間やみまの先、影の紗幕しゃまくの向こうから歩み寄る者に、王は心覚えがあった。既に夜半、入室を禁じている謁見の間に堂々と入りいる者など、そうそういるわけもない。ほどなく姿を現した闖入者ちんにゅうしゃの姿は、はたして王の予想を裏切らなかった。


 王よりも十ほど若い、大柄の体躯の男だ。

 王とは違い、着崩したスーツに赤いズリーバンを頭に巻いている。質実剛健とした王とは逆に、その指や胸を飾り立てている装飾品が夜の薄い光を綺羅々々きらきらしく反射している。

 それが持ち主を綺羅びやかに飾っているかといえば、全く逆だ。男に似合わぬ装飾品の数々が放つ光は、余りにも強きに過ぎて毒々しい。却って持ち主の品を落としているとしか見えぬ。


「何用かね?」


 嘆息しながら王は、姿を現した者を咎める口調で闖入者の名を呼ぶ。


「キルシュタイン」


 キルシュタインと呼ばれた男は慇懃無礼いんぎんぶれいを承知の上で、恭しく片膝をついた。


「国王陛下に於かれましては、ご機嫌麗しゅ――」

「挨拶などいらぬ」


 男の挨拶を遮り、王の声が低く響く。威厳を含んだそれは、確かに一国の主たる王の声音に相応しい。


「用件を言うのだ、キルシュタイン」

「わかりました、兄上」


 にやり、と笑みを浮かべながらキルシュタインと呼ばれた男はゆっくりと立ち上がった。


「では、遠慮なく……本日の国議、あれは本気ですか?」

「その事か……無論だ――」


 一拍置いて、王は宣言した。


「――私はこの国最後の王となる!」


 本日の国議で王が出した議題は、官庁を衝撃で駆け巡った。立憲君主国である現在の王国から完全に王政を排除する議題だ。それが現国王の口から出たとなれば、国を揺るがす事態となるのは火を見るよりも明らかだ。


「兄上……。あくまでご意思は変わらぬのですな? あなたはいつだってそうだった」

「ああ。お前の第一王位継承権も剥奪となるな」


 現国王の息子を差し置いて第一王位継承権者の椅子にしているキルシュタインにとって、王の世迷言としか思えぬ発言は看過できぬ。そう、じきに王位が手に届くはずの地位が砂上の楼閣へと化そうとするのを、どうして見過ごせようものか。


 瞳を閉じたキルシュタインは失望の溜息をついた。だが、それは自らが求め欲した座が永久に失われたわりには


「わかりました」


 キルシュタインは穏やかともとれる、平坦な声であっさりと告げた。そして、続けて告げたあまりに危ういことの意味に気づいていないように――


「では、死んで頂きます、兄上」


 眼前の王にして自らの兄に対し、いつわりならざる殺意を吐露した。


 獣がきばを剥くが如き笑みを浮かべると、キルシュタインは懐から取り出した一欠片の碧玉を放った。


 それは淡い光を複雑に反射しながら、彼と王の間を泳ぐ。

 途端、宝石が弾け空間から都合一〇の矢が顕れた。空間に配置された不可視の弩砲バリスタに番えられたもはや銛と紛うほどに巨大な矢は、それ自体が意思を持って主の下知を今かと待ちわびているかのように、鎗の穂先を思わせるやじりを王に向けている。

 否、それは眼の狂いや印象だけでは決してなく、実際に矢たちはキルシュタインの下知が与えられれば、王を文字通り矢衾やぶすまとする。キルシュタインがもつ、権能。


 だが、弟たるキルシュタインの権能の矢を前に、王は威厳を保ったまま。弟のもつ権能を王が知らぬなどあろうものか。そして兄もまた権能の持ち主でないなどあるはずもなく、応じるように権能を発した。


 王の眼前に、幾重もの人型の鬼火が踊った。それらはともすれば碧く揺らめく亡霊に見えなくもないが、王を護るように前に出る姿は彼らが亡霊ではなく守護霊に近い存在である事を証明しているかのようだ。キルシュタインが放った碧玉と同じ色に燃ゆる兵が、簒奪を狙う没義道のふとした動きに前傾で警戒した。


「国議法第二五条……及び王法七条」


 キルシュタインが舌なめずりするような声でごちる。


 国議法第二五条 議事の決は「賛成」「反対」「留保」「破棄」の四つの意思決定を可能とする。「留保」となった場合、三週間~一〇週間の留保期間が設けられ、その間、表意者は改めて「留保」を除く意思の決定を行うものとする。なお、最初の決議の際、「留保」以外の選択を行った者も、留保期間内に当初の意見と異なるいずれかの意見への変更を行う事ができる。ただしその場合、継続性が認められる議題に関しては、再決議までの期間においては、当初の意思が反映されるものとする。


 王法七条 国王が不意の崩御、またはそれに類する事態には、王位継承権者の順位の最も高い者に代行権が与えられる。その場合、代行権者は国王の意思に依らない意思決定が可能とする。なお、王位継承が行われ、代行権者に王位が継承されなかった場合、新国王の意思決定はそれまでの代行権者の意思決定に対し遡及そきゅう性はないものとする。


 キルシュタインがこの二つを挙げた理由は明白。つまり――


「なるほど。私を亡き者とし、玉座を我が物とするつもりか」


 王が崩御した場合、代行の権利を与えられるキルシュタインは、王制の撤廃という決議に堂々と反対の意見を述べられる。そうなれば、玉座はキルシュタインのものだ。


 この国では、国王は象徴であると同時に王家代表の政治家である。政治家としての国王は他の政治家の十倍の議決権行使――国王特権と呼ばれる――が可能だ。



 議決権とは、簡単に説明するならば、ある議題に対して賛否等の意思を示す権利の事だ。たとえるならば、多数決で物事を決める場合において、賛否に加えて留保と破棄のいずれかに手を挙げる権利といったところか。議席数は四一名、国王の議決権を考えると、国王が一〇議決権、他四〇名が一議決権。議決権の過半数(つまり二五議決権超)で可決する議題であれば、国王と他一六名で事足りる。先ほどの例で言うならば、王が挙げた手は十人分として数えられるという事だ。完全王制ではないにしろ、この国での王の地位の高さが知れようというものだ。



 やがて手中に収める絶大な権力を、己の手に渡る前に全て棄て去ろうとする兄王に対し、キルシュタインが黙っているわけもない。ならば――


「その通りですよ。今、兄上が崩御されれば、このキルシュタインに国王代行権が手に入る――。あとは再決議の際、王制撤廃に反対さえしてしまえば、王制は事もなく継続する」

「ほう」


 感心したように口ひげを撫でる王。


「だが、そううまくいくかな? いくらお前に代行権があったとて、他の者たちが王制撤廃に賛成したら……どのみちお前は王を継ぐ事はできぬぞ」

「そうはなりませんよ。あの者たちの中に、王制という歴史を完全否定する意思をもつほど度量がある者が何人いてとお思いか。再決議時に兄上が説き伏せたならばともかく、今からあなたは死ぬ……。故、王制は依然変わりなく王国ここにあり続けるのです」


 王はやおら玉座から立ち上がると、臣下に下知を与えるように揃えた右の五指をキルシュタインへ向けた。


 王の前を護っていた守護霊が王位の簒奪者キルシュタインへ、片手に楯を片手に鎗を剣を斧を拳を棍を向けて、指骨ファランクスもかくや突進した。

 対するキルシュタイがは空間につがえていた弩砲に「て」と命じるや否や、五月雨さみだれの矢飛礫つぶてが王の息の根を止めんと降り注ぐ。


 近代的な直線の様式を多様した王宮の謁見の間にて、古代の合戦が再現される。


 射手なき矢と幻の歩兵が、謁見の間の静謐を掻き乱し、そよほどの風も無かった空間が嵐の様相を呈してきた。

 降り注ぐ矢を楯で弾き、歩兵がはしるも接近すればするほどに過密さを増す矢衾にあえなくたおれる。弩砲も、また投げられた宝石が爆ぜると共に顕れてはひっきりなしに射出されるも、数を増すごとに狙いが甘くなり、幾本もの矢が地に墜ちて燐光と共に消える。


 仄暗い闇を斬り裂くような冷々れいれいたる刃の照り返し、貫くやじりの銀色の流星、散りゆく蓮華の火花……その中にあって王とキルシュタインは対峙している。斯様かような不可思議極まる剣戟をもたらしているのは、王家が持つ権能『王権・勅令』だ。


 二人の権能が織りなす戦の天秤は常に均衡を保っているが、趨勢は時が刻むごとにキルシュタインの敗北へと傾き始める。

 キルシュタインには時間がない。国王の暗殺の過程は誰の眼にも触れぬところで行わなければならぬ……だが、『王権・勅令』は繊細な暗殺向けの能力ではない。

 軍勢を率いる能力は、堂々たる戦の場では強力無比だろうが、多数を相手取るその特性上、非常に大味な権能だ。況してや、空間に縛られた弩砲から射られた銛矢が鳴き、虚ろと現の識閾しきいきをいく剣に斬られた風が哭き、その二つが覇を競っているのだ。

 いくら入室を禁じられている謁見の間とはいえ、夜半に剣戟のが響けば、訝しげに思った誰かが姿を現わさないとも限らぬ。


 ならば、当然、均衡きんこうを乱すためにキルシュタインは前に出、自らを軍霊の前に晒した。王より、没義道を誅伐ちゅうばつするべくめいを与えられた軍霊がこれに躊躇ためらうわけがない。


 かそけき光の照り返しを映した軍霊の剣が、断頭台の刃の如くにキルシュタインの頚骨を破断すべく振り下ろされる。しかし、軍霊を釣瓶つるべ撃ちに既に配置されていた魔弾が、その脅威を留める。


 剣を持った両手共々、頭蓋までもえぐられた軍霊は青白い火の粉のような燐光を残して消えた。その一部始終をキルシュタインの眼は一切映していなかった。ただ、権能の援護射撃を背に受けて兄王へと駆けるのみ。


 そして――


「……うっ」


 配置した弩砲に番えられていた銛矢を引き抜き、それを鎗に弟は兄の胸に突き立てた。

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