燭台

 黎い燭台が揺らめく灯に、更に濃く翳る室内。


 部屋の主たる太陽の背信者が、典雅に玉杯を傾けている。黎い布地に朱の鳳凰が踊る縫い細工も眩ゆき長衫を着た、金髪の美丈夫だ。


 彼の瞳が光に揺らめいているのは、蝋燭の灯故ではあるまい。何故なら、彼が瞳に宿す色彩は……蝋燭の炎よりもなお赫く、どこかかげる室内よりも濃い。


「ああ、彼はやってくれたよ。実によくやってくれた。流石、私の親友だ。私を殺すとは些かやりすぎのきらいはあったがね」


 嬉々とした感情がこもった声を受け取る人物は、この場にはいない。


 彼らの間には、恒星間レベルの遠く隔たった距離が横たわっているのだが、それすら電算空間を趨る情報の波は限りなく無のものとし――実際に大気を震わせるのではなく、聴覚に直接声という情報を送り込む形で、遅滞なく相手の声を再現する。


「それにしても、大金はたいたとはいえ、パイソンがよく神門くんを助けると踏んだわね?」

「ふふ……。ノスフェラトゥの傷痕はそれだけ深い、ということさ。ノスフェラトゥの亡霊と疑いをかけている内は、パイソンは御君おんきみから目を離すことはできない。とはいえ、問答無用というわけにもいかない。このために、現ノスフェラトゥの軍服を着せたのだからね。騙した形にはなったが――御君は現ノスフェラトゥの隊員だったのだから、あながち嘘でもないが」

「――ということは何? あなた、パイソンが神門くんと接触する前に……」

「そうさ。気を失われられた御君に拝謁し、用意した召し物を献上したのさ。万が一にもあの面倒くさがりパイソンが放置してしまわないようにね」

「どこまで踏んでいたの? 太義タイシー義体公司に攻め入る事も含めて」

「踏んでいたんではなく、動機付けしていたのさ」

「動機?」


 訝しげな声色に、天壌の王は悠々と幽玄たる響きで謡うように応える。


「左様。神門卿から拝聴されてないかな? 養父が太義タイシー義体公司に拿捕されているという動機メッセージさ。御君が飛海フェイハイ解放戦線の作戦に参加して、私の膝下までお越しいただいた理由がそれさ」

「……よくもまあ、それだけ誘導できたもんね。驚きを通り越して寒気がするわ。それも年の功かしら?」

「年の功はお互い様だとは思うが、ノーコメントとさせてもらおう」


「――そう」


 嘆息が仮想の耳朶を震わせる。


「どちらにせよ、これでお仕舞い。私と貴方との関係はこれまでもこれからも無かった、いい?」

「ああ。元より、そういう取り決めだ。異存はないよ。個人的には友誼が途絶えるとなれば、寂寥感は隠せないがね」

「……冗談!」


 それきり、仮想の聴覚からは何の声も届かなくなった。男は去った友へ、或いは本当に寂寞を感じていたのかもしれぬ。暫しの間眼を伏せると、去った友情に哀悼の意を示して杯をした。


「さようなら、ローツ」


 彼をいたわろうと繊手が伸びるも、彼を癒すことのできぬ己に気づき、こうべを垂れる。

 伸びた手の主は、栗色の髪を下ろした旗袍チーパオの少女だった。双眸は美丈夫と同じに紅の光をぼうと放っている。


「そうだね――失うばかりではないさ」


 男――メルドリッサは眷属に加わった少女の頭をそっと撫でる。


「――これからが始まりだ。開闢の儀、魅せてくれ。…………龍神神門卿?」


 彼は玉杯を傾け、口端からおぞましく滴った紅い雫をちろりと舐める。それが彼の気品を削ぐどころか、却ってえも言われぬ色気を与える。


 彼の視線の先には――無骨な機械に囚われた銀姿ぎんしの少女が、王子の口吻くちづけを待つ美姫の如く、眠っていた。

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