恐懼

 遠雷の如く響く剣戟の打琴音を聞きながら、しかしゼクスルクは神門へと馳せ参じる余裕はなかった。主に禁じられていたからではない。むしろ、外的要因によってゼクスルクはこの場に釘付けにされていた。


 樋嘴の王の視線の先には、二人の人像柱と少年――黒き君が仰っていたルード殿だろう、とゼクスルクは思った――がいる。


 遭遇は本当に些細だった。神門の無事を案じながら歩を進めていると、不意に緑の葉叢の向こうから三つの翳が顕れたのだ。〝比翼の魔杖ビルヘイムフル〟が坐する〝緑の玉座〟の中央ではない、途上でのことである。人影の絶えたこの街クワイエットハルディアンで残っている者など、一つしか考えられぬ。つまり、この人像柱のどちらかが、勇者シメール魔王グロテスクたる樋嘴の王ゼクスルクの不倶戴天の敵。


 ――奴か。


 即座にフードをかぶったので、顔は視られていないだろうが、人の絶えた街で出歩く手合いなどすべからく訝しがられるべき者である。桃李がいる以上、戦闘は避けたいものだが……。


 各所が発光しているClaudius5クラウディウスのヤミ。孤高の天才の手がけた秋津モードの傑作を纏う人像柱こそが勇者か――と隠しきれぬ烙印ファサードの光を視たゼクスルクは判断した。


「貴方、どういうつもり? 全カリアティードはクワイエットハルディアンから退去するよう触れが回っていた筈よ?」


 髪も肌膚も白い人像柱が問いかけてくる。ここはうまく誤魔化して退散し、翳からチャンスを窺うのが得策か。


「ほら、立ち去りなさい。ここはこれから戦場になるわ」


 無言で佇む二名を彼女がどう視ていたかはわからぬが、どうやらあちら側から都合のいい提案を出してくれた。誰何などされれば面倒になっていたところということもあり、ゼクスルクは白い人像柱に少し感謝した。あとは無言の内に桃李を促して姿を消すだけだったのだが……。


「ん? そいつ……男じゃないのか?」

「…………」


 基本的に性が一つしか存在しない人像柱は、それ故に性別の差異に関してはひどく鈍感だ。性別というカテゴリーがない以上、たとえ男性的な外見の者がいたとしても、単なる個体差として片付けてしまう傾向がある。


 だが、外世界からの、性差の存在する世界からの来訪者にとっては――彼らの外見が非常に近しいこともあり――ゼクスルクの外見は男性のそれと映る。


 どうやら、人像柱も気づいたらしい。眦を決した表情は、人像柱を厭う彼から視ても、苛烈で美しかった。


「下がれ!」


 背後の桃李に警告した瞬間。美女の、縮地とさえ言える神速の一足飛びで距離が詰まる。巨大な鐘が打ち鳴らされたか如きの轟音、追って生じた大気の空隙に滑り込む風が、紫髪を舞い上がらせた。幾何学的形状の光刃放つ剣と豪奢な槍が交錯して、大気を揺らす。


「……やはり、勇者だったか」


 己の剣の腹を左の拳で殴り、衝撃で押し返しにかかる。衝撃は体格差という質量の差を如実に反映し、ゼクスルクと勇者シメールの間合いを分った。


「お前が……」


 その紫水晶の瞳が問いかけの正体を雄弁に語っている。誰何の視線――問われれば、ゼクスルクは王たる者の威厳で応じるまで。


「魔王……または、〝穢れた白鵶はくあのゼクスルク〟と呼ばれている」


 我は魔王。樋嘴の王であり、樋嘴にして樋嘴に非ざる畸嵬像きかいぞう。ならば、猫科猛獣を思わせる低めの構えで油断なく樋嘴の王を瞳で射る者こそ……。


「お前が勇者か? 哀れなことだな」


 自身の辿り着く場所を知らぬとみえる哀れさに、ゼクスルクは敵であるにも関わらず同情の念を隠せない。真実を知らぬまま戦い、そしておそらく散っていく運命。これを哀れと言わずしてなんと言おうか。


「上から目線、気に喰わないわね!」


 再度の衝突。草木が慄き、圧政に耐えかねた大気が絶叫する。鍔競り合った一瞬の空隙の後、連ね重なる剣戟音は律動を変えて音階も変えた、変拍子で奏でられる戦場の音楽だ。しかし、この音楽には心を和ませる効果は残念ながらなく、むしろ一手しくじった途端に地獄への階段を転がり落ちていく、死神が歌う歌である。打ち鳴らされるかねの音が魂を不可視の鎌で削ぎ、唸る風の聲はどちらかを冥土へと導こうと死の誘惑を囁きかける。甘美なヌルへの墜落への手引きを振り払い、大剣と槍が交錯し、光の飛礫を撒き散らす様はこの時にしか成立しない色景色であり、絵画に固着できない瞬間の連続だった。


 猪突猛進といった久遠の指し手とは裏腹に、元来は巨躯と人像柱には叶わぬ質量と膂力を持ち合わせたゼクスルクの手は実に巧みだ。歩、身体の連動、荷重、時機……それら戦いにおいての重要点はそうでありながら、展開展開ですべてを兼ね備えることは不可能である。示し合わせた型を浚うだけならまだしも、刹那の内に転ずる闘争の場では必然的に取捨選択が強いられるのだが、彼はその妥協点を探るのに長けていた。最大の効果をもたらすにはどれを選択すべきか、放棄或いは犠牲にするかの見極めが優れている。巨躯をかさにきて乱暴な太刀筋で戦う樋嘴とは思えぬ剣捌きは、なるほど数いる樋嘴で頂点を極めたと言われても納得できるだけの説得力があった。


「はぁ!」


 連ね突き、転じて横薙ぎ。本来ならば突きの方が手としては疾いものの、連続しての点に馴された眼には判断を誤らせる、或いは致命的なまでに遅らせ得る。点転じて線。いくら動態反射に優れていようとも、急激な変化には対応できぬとみての久遠の選択だ。しかし、それさえもゼクスルクは凌駕した。


「いずれ来ると、読んでいた」


 冷静沈着な声が勇者シメールに降り注ぐ。


 〝白き隕石いしの勇者〟の幾何学的にして流麗な穂先は楯に見立てたゼクスルクの剣によって、停止していた。見切っていたという彼の発言に虚偽の色は視られない。当然だ。虚偽や虚勢ならば、こうまで美事に威力を抑え込んで、槍撃を止めることなど不可能だ。


「どうかしら?」


 背後からの声。勇者のものではない。途端、風切り音が耳に届き、その音色に警戒心を刺激されたゼクスルクが対峙している勇者を強引に押し込んだ。樋嘴の身体能力を人の身に圧縮した脚力は、勇者の矮軀など容易く撥ねる。勇者ごと体移動したと同時に、背後の土砂と緑が巻き上げられた。最低限の動作で後ろを振り向けば、鞭刃剣が草す地に蛇めいた亀裂を刻んでいる様子が視て取れた。瞬間で分断された未来線では、撓る剣刃にゼクスルクは背なを切り裂かれていただろう。


 巧みな手練で鞭刃剣を手繰り寄せたのは、白い人像柱――白金だ。勇者が劣勢に立たされているという事実を受け止めた上で、焦らず効率的な時機を見計らうとはなかなかな巧者だ。長い鞭刃剣を一切地に触れさせずに宙に踊らせている様など、舞を踏む古代の巫女もかくやといった風格だった。


 絶妙な時機に割り入った白金の一手により、久遠は樋嘴の王に弾き飛ばされたものの、反面、安全圏へと逃れていた。わざわざ背後を取っておきながら声を出したことも、ある程度注意を引いて対応を限定させる目論見があったのやもしれぬ。


 なるほど、勇者よりもよほど手強そうに思える。しかし、真実は逆だ。いくら白金が適切な時機に攻撃を加えたとしても、彼女の剣は酷く。彼女の剣技で樋嘴に刃を通すのは、如何にも困難を極める。分厚い甲冑の内へと割って入るには、純粋に剣圧が足りない。


 ――だからこそ戦闘の組み立て方を心得ているのかもしれぬ。


 つまり、白金の戦い方とは援護役サポートに徹するがこその戦い方。久遠と白金は、彼女らの心の内はどうあれ、非常に相性のいい組み合わせと言えた。


「ッ!」


 突如、視界を刺した閃光にゼクスルクの身体は反射的な挙動を起こした。巨剣を中心に身体を翻し、そのまま楯とする。重みという重みの無い――だが、彼の経験はこれを警戒すべきと判断し、それが命じるままに身体を突き動かしたのだ。剣の表面を流れる、光刃の膜が軽い炸裂音と共に飛沫を散らせる。


 趨った弾丸の射出点へと眼をやると、そこにはメイサー鴛鴦鉞えんおうえつの銃口を向けたルードの姿があった。なるほど、彼らの関係は不明ながら、ルードの眼にゼクスルクは敵、という認識で映っているということだろう。


「やあああ!」


 気炎を吐きつつ、久遠がまたも突進。再び、〝魔の時代〟と〝柱の時代〟の代表者の削り合いが始まる。幾度の激突、幾合もの剣戟、幾手もの戦技。綾取りめいた複雑怪奇なやり取りは、絲玉か天狗巣の如く絡まり合って、もはや尋常な一手が何処に在るのか指し手本人たちでさえ容易に捉えられぬ。いや、この摩訶不思議たる立ち合い――常にゼクスルクが優勢を保っていた。


 幾度、それこそたれば決着を着きかねない一手を、久遠は繰り出してきたことか。総てに危なげなく冷静に対応し、丁々発止を継続する樋嘴の王。彼が完全に攻勢に打って出ないのは、ひとえにルードをどう扱うか決めかねている、その一点に尽きた。


 宙空にいるゼクスルクを襲う瞬間転移の連撃。しかし、彼の優れた処理能力は既に勇者のアルゴリズム解析をほぼほぼ終えていた。よって、最も出現の可能性が高い座標から来るべき一手を封じ込める。彼女がシンプルだからこその見切り。おそらく、搦め手を弄する性質ならば、この短時間でこうまで完全に見切れきることは不可能だっただろう。


「仕方ないわね。……ルード! お願い!」

「ああ!」


 不利を悟った勇者シメールが〝白き隕石いしの勇者〟を惑星潜りサルベージャーに投げ渡す。その途端、アルマの奔流がこの〝緑の玉座〟を満たした。


 ――やはり、か。


 勇者の变化した姿を感慨深く見つめるゼクスルクに、決定打なり得る一刃が奔る。宙空にいる彼にとって回避すること叶わぬ一撃……。


 その瞬間――。


「フッ!」


 久遠との丁々発止のさなか、手出ししていなかった白金が動く瞬間を、樋嘴の王は視界の隅で捉える。瞬間的に危機感を憶えたゼクスルクが視線を移すと、彼女は棒立ちになっていた桃李へと鞭刃剣をまさに振るおうとしていた。桃李は人像柱であるが、樋嘴の王である〝穢れた白鵶はくあのゼクスルク〟と共に行動していたことから、彼と同じ樋嘴と認識されたのやもしれぬ。


 ゼクスルクの指示を理解する間もなく、未だ充分な判断能力を持たぬ桃李がこの修羅場に放り込まれたとなれば、放心状態となっても致し方ないところではあるが……しかし、状況が悪い。


「チィ!」


 舌打ち、ゼクスルクは擬態を解き放つ。身体の内側から迸る虹色の閃光が、真なる躯体を形成し、更に甲冑を編み込んでいく。


 ――届け!


 もとより、ゼクスルクにとって桃李はいらぬ荷物だ。しかし、黒き君に託された以上、その命をたすか解かれるまでは、彼女の安全は畸嵬像きかいぞうの使命なのだ。そう、黒き君こそ、この歴史に楔を打つ者――灰色の地平に新たな曙光をもたらすきっかけなのだから。


「なっ!」

「…………」


 鋭く撓る刃を拳の壁が遮る。その特性上、重みが伝わりにくい鞭刃剣は刃のかけらを火花として散らして、頭を垂れた。


 瞠目する白金の眼前に差し出された腕部。くすんだ黒が積層した歴史の重みを思わせ、雄々しき太みに有している膂力を雄弁に語る、畸嵬像きかいぞうの腕。


 腕部のみの瞬間的な〝裏返り〟。この拡大した腕部を桃李と白金の座標の中心へとのだ。ゼクスルク本体というを持たぬ腕部は顕現と同時に崩壊の運命を辿るが、白金の鞭刃剣を防ぐ、この目的は覿面な効果でたされた。


「…………ッ!」


 しかし、桃李に集中していた故に、元々回避叶わぬ攻撃だったとはいえ、勇者の一撃を充分な受禦ができぬまま被ることとなり、魔王は天から墜落する一槍に次いで、硬い地から突き上げられた鎚の衝撃に意識を奪われかける。四散するかと紛うほどの苛烈な打撃を受けた身体は、しかし、すんでのところで四肢をつなぎとめていた。


 ――グッ、下がっていろと言ったというのに……。


 もしや、さやから誕生した際に何らかの不具合があったのやもしれぬ。思えば、不倶戴天の敵であるはずの樋嘴に対して、何の反応を見せなかった桃李は、人像柱が見せる反応としては珍しいといえた。


 とはいえ、だ。今は、彼女の身の上を斟酌する余裕なぞ無い。擬態したままでは、己はおろか黒き君に託された彼女の身も危うい。


 真の姿を開帳する――。


 身の内に封じ込めていたアルマを外界に放出し、個体化する。先程の腕部と同様のプロセスを今度は全身に適用、そして先程とは異なり、我が身をとする。自身から昇るアルマが天を突き、そして我が身をも持ち上げていく。


「オオオオオオオオオオアアアッ!」


 世界に覇を刻む。飽和したアルマが第二の世界柱となり、まさしくゼクスルクが畸嵬像グロテスクとなる。


 恐懼せよ、驚嘆せよ。これなるは、魔なる時代において王として君臨した覇者の姿。樋嘴にして非なる存在モノ畸嵬像きかいぞう。かつて、その身は輝かんばかりの白美を見せつけ、今、時代を超えて再び世界柱の世界に降り立った、しろカラス。彼を呼ぶ名は数あれど、その総てが畏敬が籠められた人像柱カリアティードの天敵。


 さあ、その名を呼ぶがいい。


「これが……魔王グロテスク〝穢れた白鵶はくあのゼクスルク〟ッ……!」


 白金の呆然とした声が、渦巻く存在力の嵐の中で何故か響く。


 そう、〝穢れた白鵶はくあのゼクスルク〟。対峙する鴉を意匠化した眼が、世界を天地に分割するが如き、鋭い光を刺した。

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