前兆

「……へぇ、視てみなよ。光の柱が天を突いているよ」


 荒い己の息遣いの向こう側で、ジラ・ハドゥが嘲弄に囀る声が聞こえる。不意に視線を外したオドナータに、神門は躊躇なく爆斬鉈ばくざんしゃを撃ち込む。


「ッ!」


 しかし、ジラは視界にあらぬはずの爆斬鉈ばくざんしゃの一刀を事もなげに仰け反り躱し、小烏丸の脚を引っ掛けた。均衡を崩された小烏丸だが、神門もライダーとしては一流と言って差し支えない腕前の持ち主だ。片脚のホバーブレイドを瞬間的に、滑り込む形で転倒を免れる。


「だけどね」


 ジラから見れば、うまく誤魔化したつもりだろうが、明らかな空隙すきでしかない。至近距離からオドナータの機関銃が神門を槍衾にせんと、咆哮を上げた。瀑布に似た銃声。赫耀かくやくと咲く発火炎マズルフラッシュ分毫ふんごうに散る火花、そして着弾のおどろおどろしい音色が神門を襲う。


「……~~ッ!」


 神門は自分が声にならぬ声を上げている事実に気づかなかった。装甲を貫通した銃弾が目前で弾けた事実も、散華したMBの破片が鋭く掠めて傷をつけた事実も、だ。連射された銃弾が車体そのものを震動させ、ライダーの意識を撹拌する。


 少年たちの戦いはいつしか〝緑の玉座〟の中心部にほど近い場所に移り変わっていた。これが〝魔石貴族〟という存在の誘引力なのか、それとも運命という不可視の重力による作用なのかは彼らにはわからぬ。しかし、眼を凝らすことができれば、少年たちにも木々の間に間からは〝比翼の魔杖ビルヘイムフル〟の巨軀が垣間見えていたに違いない。


「ハハハハハハハハハハ!」


 ジラ・ハドゥという少年が真に恐ろしい点は、彼が手心を加えていることだ。龍神神門を憎んでいると言っていい彼が、繊細に致命傷を与えずに加減しているのは無論メルドリッサの命令に依るものではない。百舌の早贄に見立てた一方的な蹂躙劇は、ひとえにジラが生得していた嗜虐性と残虐性の賜物に他ならぬ。憎い感情を昇華させるために、いらぬ嗜虐の快楽に耽っているのだ。ライダーとして、そして兵士として不必要な倫理観を取り払った結果なのだが、これが齎した結果は運命なのだろうか。


 薬莢が地面を転がり、別の薬莢と合わさる鏘然たる音色が甲高い耳鳴りに半ば以上支配された神門の耳境にも響いた。弾丸の圧力にひしいだ胸部装甲が根元から捻り切れ、万有引力の法則に従って落下する。胸部装甲に限らず、既に小烏丸の車体は鉄の乙女に抱きしめられたかの如き様相である。墨色の義血で小烏丸の足元には血溜まりができ、相対しているオドナータの蒼い車体も返り血で血みどろとなっていた。


「ハハハハ、無様な姿だね。龍神神門!」


 その様子にジラは欣喜雀躍きんきじゃくやくしかねない程に喜色満面たる高笑いをする。墨色の血を浴びて、揶揄を重ねる肉食機械昆虫の姿は怖気を催すまでに禍々しく、まさに梟雄と呼ぶに相応しい。


「ぐぁ……」


 主をなくした小烏丸は古代の戦士、弁慶の逸話にある立ち往生よろしく立ち尽くすのみ。装甲という寄り辺をなくし、神門が転がり落ちる。身体中を支配する疼痛にあえぎながら、ヘルメットを脱ぎ捨てた少年の額からは一筋の血が垂れていた。打撲や裂傷もあるだろうが、ライダー仕様の軍服だけあって、MBの損傷に比較すると軽傷とは言える。


 荒げた息をつきながら、神門は秋津刀を抜き払った。冷厳に世界を分かつ刃の閃きは峻厳たる美しさがあったが、ジラ・ハドゥとオドナータという神門の知る限り最強のMBとライダー相手では心許ない。


 己の優位性を見せつける意図か、オドナータの胸部装甲が展開され、内部のジラが姿を現す。余程自信があるとみえ、MBが大きく揺れた際、車内で頭を打つケースが多いというのにヘルメットはかぶっていない。逆立ちうねる金髪が鬼火の揺れる様に似て、被造子の身の内に流れる悪血おけつの証に感じられた。ヘッドギアを外したジラの両眼は爛々と妖しい輝きに満ちているが、それが嗜虐由来であることは明らかだ。


「そんな刀一振りで何ができるかな?」

「…………」


 神門は応えない。ただ、瞳には眼前の敵を射抜く力が籠もっている。それに気がついたジラが片眉を上げて、嘲弄に笑んだ。蟲を潰す童子の笑みで。


「生意気だね。君の生殺与奪は僕が握っているというのに」


 オドナータのクロウバイトが開き、光熱に燃える掌を見せる。圧倒的暴力を具現化した姿を見せつけることで、対手の意気を挫くつもりらしい。だが……。


 左腕が動かない。折れてはいないだろうが、罅程度は入っているやもしれぬ。しかし、だからといって苦痛にあえいでいるだけで状況が好転することなど、ない。震える右腕で秋津刀を構える。


「諦め悪いなぁ。まあ、そっちの方が楽しめるけどね!」


 肉食昆虫がクロウバイトを振りかぶる。型も衒いも無い動きは、それが獲物の畏怖を煽るのに効果的だと心得ているからだろう。処刑刀の如くに振り下ろされる光熱の爪牙が万物を融かし、破砕せんと刳り――


「何ッ!」


 戦塵巻き起こり、戛然かつぜんと破砕の咒いと総てを融かす熱を与えられたクロウバイトを弾く、なにか。神門とオドナータとの間合いの中心に落下してきた物の正体――尋常な反射神経と動態視力では捉えきれぬそれを、ジラははっきりと見極めていた。


「何のつもりだい? 狼我ランウォ!」


 いつしか頭上で滞空していた震狼フェンリルの肩に乗る白い人狼へと、ジラは殺気さえ声に孕ませて叫んだ。金髪の被造子の殺意を受けた狼我ランウォというと、眼下の蒼い肉食機械昆虫を一瞥しただけで、塵埃に包まれた神門を俯瞰している。


「お前の敵は目の前だろう。オレに気を配っている余裕があるのか、今のお前に?」

「……チッ」


 舌打ち、戦塵の幕に覆われた対手をジラが睨んだのは、狼我ランウォの言が正しかったから他ならぬ。先程までの遊び半分のもてあそびとは異なり、ここからは人類の現界を超えている戦闘被造子とて集中を強いられる領域だ。


 ――狼我ランウォめ! 八つ裂きにしてやりたいよ。今のは……。


 煙幕から距離を取ったジラは、狼我ランウォを一度呪詛さえ籠もった眼光で睨めつけるも、即座に視線を戻した。


 垣間見た落下物がもたらす効果を想像すると、流石のジラも背なに冷たい汗が滴る。そう、存在が目を醒ますとなれば、先程までの余裕と傲慢も鳴りを潜めざるを得ない。そう、口惜しいがジラという存在より領域を越えた座標に存るモノ――。


「〝サウゼンタイル〟!」


 己の宍叢ししむらの名を呼び、身の内の存在を喚ぶ。歪な人型に見せて、その実異なるモノ、甲殻類の肌膚と滅却の光を放つ一ツ眼の恠神かいじん。〝光却のサウゼンタイル〟が惑星イラストリアス4に再び降臨する。この放たれる存在力の濃密さたるや、人狼をして分厚い壁が寄ってくる圧迫の錯覚さえ感じさせる。天を穿つ光の柱が放つ存在力もかなりのものだったが、ジラとて決して負けていない。だが、別の比較対象で語るならばどうか。相対するにとってみれば、等しく同じと看做されるのではないか。


「……来るな」


 嵐の前の凪の終焉を狼我ランウォは察知していた。煙幕の向こうからいかずちの如くに瞬く光。間違いない。變神へんしんだ。押し寄せる波濤の規模を測った白狼は、己の肉体さえもがこの圧力に押し流されると判断し、震狼フェンリルに乗り込んだ。


「見せてくれ、龍神神門。オレたちの更に先に存るモノを……」

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