花葬

「こりゃすごいな」


 滅多な事では感嘆の声をあげないパイソンであるが、流石に目の前の光景を見てしまってはそうにもいかない。


 歩を進めると進めるたびに、事切れたぎけつに染まった有機物と無機物の混合物を見てきたのだが、足を踏み入れた広間では十を下らない義体処置者サイボーグが屠られていた。


 屠殺場の凄惨さで辺りに倒れ伏した義体処置者サイボーグ達の成れの果ては、確かに目を覆いたくなるほどであったが、しかし今更こんな光景に一々怯んでいられるほどパイソンはのどかな性質の人間ではなかった。


 ――エリナを置いてきてよかったぜ。


 彼が本当の意味で感嘆の声をあげたのは、この地獄絵図が一切の銃火器を使用した形跡が見当たらない事にあった。壁に弾痕が無いどころか、硝煙の臭いすらない。


 ここに到るまでと同じように、素手で行ったとしか思えぬほどに、辺りに立ち込める空気は――奇妙な事だが平穏に満ちていた。

 まるで、義体処置者サイボーグ達が人工臓腑を強制停止して、集団自殺したかのような――。

 電磁誘導EMPの可能性すら疑うレベルだが、であるならば未だ供給されている電力はどうなる……。


 機化外科ハードブーステッドクリニックの外科医にも劣らぬ繊細さで義体を解体、または耐ショック機構が備わっている人工臓腑に壊滅的な損傷を与える下手人など、悪い夢を見ているような気分だ。


「まさか、だろ」


 背筋辺りから走り抜ける蟻走感ぎそうかんを味わいながら、パイソンは一人ごちた。心当たりは無きにしも非ずなのだが、だが、その心当たりが下手人であるならば、まだ悪夢的手練を持ち合わせた謎の人物の犯行と見た方が余程夢見がいい。


 ふと見ると、神門は神門で義体処置者サイボーグの遺体を踏み荒らす事はないものの、人畜生共に哀悼の意を表する必要などないといった様子で、完全に眼中にない。彼は一貫して、人籠で飼われた少女の安否こそを最優先としているのだ。

 元々、民族的に倫理観が強いとされている秋津人の神門にとって、地下組織レジスタンスとは名ばかりの畜生の群れと相容れるわけがなかった。


「……」


 割り切った、冷淡な心で一部屋一部屋を確認して回っていた神門だったが、ある部屋の入口でその足が止まった。


 その部屋の扉は――どういうわけか外れて、倒れ伏している。中心には余程の圧力を受けてか、抉るような大穴が口を開いている。


 訝み近づこうとしたパイソンだったが、彼の背中を見て何故か得心し、それを見守るように足を止めた。この窖に来る途中に気づいた、内ポケットに忘れ去られていた一本の煙草YAMATO魂を取り出す。



 * * *



 一歩ずつ噛み締めるように中へと歩を進める神門が見たものは、玄天街では珍しい高級ジェルベッドに横たわえられた人籠の少女の姿だった。


 首筋から真っ赤な血を流し、引き千切られた旗袍チーパオと相まって、痛々しく退廃的な美の世界を演出している。

 穏やかな死に顔は、浮世の懊悩から開放された安堵からか、生前に見たどの顔よりも穏やかで、ともすれば眠りについただけにさえ見えるが、その顔色の青白さがそれを否定している。


 抱き起こすも既に彼女の肢体には筋の張りが失せ、糸の切れた操り人形マリオネットよろしく無抵抗な空疎さに支配されていた。


 呼吸もなく、心臓が奏でる命の律動すら感じない。ただ、彼が辿り着くほんの数分前に事切れた証明か、肌には温かみが沈殿していた。


 面と向かって話した事もなかった。縋る瞳から眼を背ける事しかできなかった。彼女の中で、自分がどういう位置づけでいたのかも判らぬ。


 ただ、痛ましい姿を救いたいと願った。この願いは、復讐の炎に身を窶した神門にとって、初めての、それ以外に願った事なのやもしれぬ。今となっては、叶わぬ願いだが。


 哀しみこそ感じているが、涙すら流れぬ自分。哀切に顔を歪ませる事もできない。或いは、冷酷な復讐の炎に焼かれた者の宿命さだめであるのかもしれない。

 ただ、神門にできる事は、この哀しい美しさを瞳に焼き付けるしかない。もし、彼のかおを覗き見れれば、どこか哀しみの色を湛えた瞳を見た事だろう。

 およそ一分程だろうか。少女の遺体をゆっくりとジェルベッドに横たえると、やおら立ち上がり、パイソンの元へと戻った。

 パイソンは壁にもたれ、追悼の線香代わりか紫煙を吹かしていた。舞う煙が天を目指すも、天井に引っかかったかのように浮遊している。魂魄が存在しているのか、そして、天へ昇るのか。神門は答える術を持たない。だが、この地下において……空の見えぬ玄天街において、彼女の魂魄が彷魔酔さまようのであれば、彼女の遺体を空の下へ連れ出さなければならない。それが、救えなかった神門の最後の務めなのかもしれぬ。


 神門は、前に進む。せめて、彼女を死に追いやった者に一矢報いるために。振り返りはしない。一方的だが別れは済ませた。果たせない無念も、せなかった無常も、悲愴も心に奏でた。

 我は往く。報仇ほうきゅうの誓いを道連れに。


 手に収まった秋津刀の寒々しい鋭さと同じ眼差しを張り付かせて、神門は空虚な霊廟を一顧だにせず、歩み出した。

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