憤怒

 少女を眠りにつかせるように、ベッドにその肢体を静かに横たえると、メルドリッサは部屋の隅で震える獣へと向き直る。獣の震えは闘争本能の高揚故か、それとも原始的恐怖故だろうか。


「さあ、ボブ・ホークくん? 君はどうだい? 君ほどの手練、みすみす野に放たれたままでは惜しい。仲良くしようじゃないか。私達は友人になれないかな?」


 気安くも、どこか威厳を感じる声を空恐ろしい気分で聞き流すボブは今、恐慌の一歩手前にいた。

 理解し難い。なんだ、この化け物は? ボブに気づかせる事なく飛海フェイハイ解放戦線本部に単体でやって来て、震えを誘うほど優しげに友人にならないかと問いかけてくる。

 理解不能の怪物。常人には理解できぬほどに生身のパーツの悉くを機化ハードブーステッドした総身義体者パーフェクトサイボーグのボブをして、メルドリッサ・ウォードランという人物は理解の埒外にいた。


 だが、獣は見た。


 少女の首元から離れたメルドリッサの口から滴る、少女の紅い紅い血の色と――同じ色に妖しい光を放つ双眸を。口元の血を拭おうともせず、メルドリッサは王たる姿のままに、ボブ・ホークに語りかける。


「どうかな? 我々はきっと仲良くできるよ」


 瞳を閉じた少女は、ともすれば人形と紛うほどに顔色は白く、表情は穏やかそのものだった。まるで、小春日和に微睡む姫君の如く。しかし、首筋から滴る鮮血が、否定するかのように闇間やみまでも鮮烈な紅を主張している。


 そういえば、少女の胸が一切動いていない……呼吸をしていない。黒い旗袍チーパオの衣裳と紅い血液の化粧が魅せる、耽美で淫靡な少女の遺体。


 肌を伝う鮮血の源泉は、揃った二つの孔口が空いていた。平行に並んだ孔穴の間隔は、ちょうど人の犬歯同士の間隔と同じくらいで……。


 それを見た瞬間、ボブ・ホークの周りの全てが意味を成さないものとなった。


 メルドリッサの正体が何であるかなど関係ない。ただ、こいつは俺の女を殺した丶丶丶丶丶丶。赦せぬ。赦してなるものか。


 もはや、義体を支配していた痙攣すら、ボブの剥き出しの殺意にこうべを垂れていた。いや、彼自身、一瞬前まで満足に動くこともままならない恐怖に絡み付かれていた事を忘れていた。


 前後の一切を忘却の彼方へ追いやり、獣は王に襲いかかった。忘我の境地が呼び覚ましたのは、野生と殺戮本能の操り人形。あなぐらの主は、天壌の王に再び爪牙を剥いた。

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