赤雷
突如として押し寄せる怒涛の如き勢いのボブにメルドリッサが対応せしめたのは、彼が人の領域を逸脱した者であるからなのだろうか。
ボブをして必殺、殺された本人がそうと気づかぬほどの速やかさで以って繰り出された鉤爪の一掻きは、申し合わせたようにその掌に突き刺さったメルドリッサの正拳により、重さが乗る前に威力を
まさに、大仙楼での再演といえる。
そうであるならば、戦いの趨勢は既にメルドリッサの掌上にある。あたかも、メルドリッサの意思に従い踊る道化師。
そんな自明の理ですら意に介さずボブ・ホークは猛り吠え、身から横溢せんばかりの殺意に支えられた暴虐の爪を振るい続ける。
理性が限りなく希薄した今、先の戦闘ではついぞ見せることがなかった強靭な顎からの噛み付きは、研ぎ澄まされた本能に裏打ちされた力強さで迫る。
それは、
捉えられたら最後、髪の毛一本ほどの逡巡もなく、脊髄反射の速やかさで噛み千切る猛獣の牙。弧を描きながら飛来する鉤爪と足爪は身の丈に収まらぬ憎しみに加速されて、今や銃弾すら凌ごうかという速度で宙を抉り、
だが、その脅威の程はメルドリッサに届かない。時にいなし、時に捌き、躱し避け流す。狂暴な挙足は振りかぶったまま止まるか、またはメルドリッサの体表を滴る水滴よろしく流れて落ちる。
「相容れない、か」
大気が沈殿した地下において、彼らの動きは風を生み、荒れ狂う風は
もはや、言葉は不要と語っているが如く。
「……ふっ」
ここに来て、
ここは、暴力の暴風雨に抱かれた羅刹国。生き残るは、獣か鬼か。
野生の猛りの任せるまま狂乱するボブに対し、メルドリッサの動きはあくまで流麗で、この光景を見る武芸者がいたならば、彼の洗練された舞いにも勝る体捌きに総毛立っていた事だろう。
元は戦乱の技巧が、窮極的に美芸の域にまで達した姿。
今は攻勢に出ていないが、彼の一挙手一投足には微塵の淀みもなく、その動きだけでボブを打倒し得る何かを持ち合わせている事が否が応にも理解できる。
だが、逸脱者はボブとて同じ事。ここにきて更に回転を増し続ける暴圧は、今や嵐の如く。
義体の内部発熱に排熱機構が作動――アシミの義体と同じく。各部の溝が
更に、臨界点目指してなおも駆動する総身義体の稼動部が、余りの高速駆動により内部で赤熱化しているのが、隙間から垣間見える。それらは、排熱機構により一瞬で元の色へ戻るや否や、また稼働し――その繰り返しで、溝の形状に合わせて紅い稲光が走っているように見えなくもない。
白煙を
ふと本能の虜になっていたボブが気づくと、戦いの舞台は彼の私室から広間へと移り変わっていた。
薄闇が支配する空間に存在する、整然と並んだ改札機の跡や複数存在する路線名の表記された階段から察するに、ここは地下鉄駅のコンコースだったのだろう。それなりの高さは確保されているものの、長身のボブとメルドリッサから見れば、頭上の心配をしないで済む程度の高さでしかない。
ボブはこれに活路を見出した。彼の本能が唸りを上げて、剥き出しの嗜虐性のままに義体を駆る。
下から掬い上げる軌道を描く鉤爪。メルドリッサは上体を逸らして避ける
だが、それは偽装だ。
上昇する腕の振りに合わせて、ボブの身体が宙を舞う。跳躍した獣は天井間際に腕の振りの慣性のまま、身体を反転させ、天地逆さに四肢を着いた。
元より、90度近い勾配を趨り抜ける常識知らずだ。たとえ重力が上下逆転していようと、手がかかり足がかりがあればこのような芸当は容易い。
爪と爪先の圧力に、天井のコンクリートが悲鳴と共に亀裂を立てた瞬間。ボブは逆転した大地を四肢で蹴り、美丈夫へ飛来した。
例えるならば、鷹が獲物を捕らえんと強襲する姿か。地を這う獣の王は、不遜にも天壌の王たるメルドリッサを眼下に見据え、万有引力の助力を得、今まさに無造作に踏み潰さんと――だが、それすらメルドリッサは余裕の微笑みを浮かべながら、脇に身体をずらした。
ただ、それだけで脅威の外へと逃れた王だったが、ボブとて予想の範疇内の出来事である。ボブの猛禽の強襲が意図するところは――。
メルドリッサが数瞬前にいた空間ごと床を踏み抜く勢いで、ボブは着地した。その眼はメルドリッサを見据えたままで、その様も獲物を射殺さんとする猛禽の出で立ちに似ていた。その瞳が一瞬怪しい光を放ったのは、獲物がかかった事を確信した心の挙動故か。
着地の勢いをそのまま反動として、今度は万有引力を置き去りに地から天へと翔ける。先の跳躍を遥かに上回り、目にも留まらぬ韋駄天もかくやかという恐るべき速度で迫る黒い影。
もはや、彼は一陣の風だった。縦横無尽、三次元的に入り交じる風はメルドリッサを囲む檻であり、それぞれが殺傷性を帯びた刃でもあった。
そして、鎌鼬の檻すら制せんと、メルドリッサもまた尋常の者ではない戦技を魅せる。
一瞬のうちに飛来する禽獣相手に、設置するかのように放った掌底や蹴りが総身義体へ吸い込まれる。しかし、赫怒に支配された獣は意に介さず、正面から獲物の抵抗を受け止め、更に猛攻が加速されていく。
闇の中、刹那刹那に咲く閃光は、ボブの総身義体から木漏れ出る赤熱の紅。帯電する雲中にて鳴神が篭らせる怒りよろしく、義体の溝に沿って迸る光がボブを彩る。
連続して瞬く雷光は、彼の猛る武の躍動の証。稼働箇所に追従するように浮かび、即座に消える閃光が、ボブの怒りの程を顕しているようだ。怒りの化身と化した彼は、文字通り、超然たる王に喰らいつく。
ならば、王の双眼から漏れ出る血色の鬼火は、彼が人の姿をした超越者の証か。
瞬きもなく、
両者が衝突する。猛獣はその
荒神の凶暴さで呀を美貌の皮膜を覆った頭蓋に食い千切らんと突き立て――。
王は右腕を腰だめに構えると、親指以外の
精錬とした闘気が義体の急所を見定め、その誘導に従って最短距離で刺突が趨り――。
両者の運命を分かとうとする刹那の間断。毒々しい赤い炎の花弁が散り、併せて怒号が響く。
大気を抉り裂く轟音は、地下の空間を乱反射し耳を
その一瞬早く、ボブは強制的に振り上げた
ほんの少し過去に分かたれた世界線で、彼らの頭蓋があった未来位置に大気を
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