宮殿

「懐かしいでしょう、久遠あなたは……」


 〝所長〟が烙印ファサード持ちのカリアティードに振り返るも、彼女は鼻を鳴らして顔を逸らす。徹底的に無視を決め込むつもりだろうか。


 不自然な程に白い、石造りの〝宮殿〟は神殿の静謐さを持っているものの、医療機関の冷淡さも孕んでいた。そう感じさせるのは、久遠が取っている態度からか。彼女はこの場所に対して、明らかに良い感情を持っていない。


「行きましょう」


 久遠が応えないことも織り込み済みか、さして気分を害した様子もなく〝所長〟は先へと促す。


 歩を進めても、堅い靴音は一切聴こえない。天鵞絨がヒールの尖鋭的な靴底を受け止め、立つべき跫音を殺す。それだけで、絨毯の造りの確かさと品質の高さが伺える。歩き始めて一分程……その間、途切れなく続く天鵞絨など一体どうやって織ったのだろうか。破綻なく、贅沢に繕われた幾何学模様は卓越した職人の腕によるものだとしても、特筆すべきは面積だ。この広大さを確保しての工程に非人間的な馨りをルードが嗅ぎ取ったとしても、致し方ならぬことか。


 ふと見上げれば、高い天井付近にも複雑な飾りが施され、一面の天井画が誂えられている。どうやら物語が紡ぐられているらしい。歩を進めると、物語もまた時代を進めていく。阿鼻叫喚の地獄図から時代は下り、巨大な石像が闊歩し互いに鎬を削る時代……。抽象的な絵図は時折意図に不透明さを感じるが、久遠が語ったこの惑星せかいの趨勢を描いたものとみて間違いあるまい。


 なるほど、〝宮殿〟と呼ばれ称されているだけあって、他の建物とは――明らかに過去の人類の産物である高層建築物を除いて――比べ物にならぬ程の技術が費やされていることが一目瞭然に悟らされる。


「凄いな、ここ……」


 素直な感想を零した外惑星の住民に対し、振り返った〝所長〟は少々だが誇らしげだ。


「ええ、ここが〝宮殿〟。私たち、カリアティードの最高機関よ」


 過度に消毒滅菌されて風情を漂白された感がある〝宮殿〟であったが、それを鑑みても美事な絢爛さはカリアティード社会の頂点を飾るに相応しい。


「そ。烙印これを捺されたカリアティードを弾圧するように仕向け……石像機から人々を救う筈の〝白騎士〟に捕獲を命じた、最低の場所。白く塗りたくらえているが、その化けの皮の内側には黑い汚濁が蠢いている」


 辛辣な久遠だが、口調が硬くが無いのは、彼女がそれだけこの場所に怨恨を抱いている証左であろう。彼女の言通りならば、自身を裏切り囚え、戦奴として石像機と削り合いを演じさせられたのだ。憤懣やる無しといった態度も無理からぬ。


「…………貴方がどんな感想を抱いていたとしても、ここがカリアティードに最高命令権を持つ場所という事実は変えられないわ」

「ふうん、私はカリアティードならぬ、シメール――だったんじゃなかったっけ?」


 忌み名を口にする久遠からは笑みが浮かんでいるが、そこに温かみは一切感じられぬ。いっそ寒々しい笑みにはぞっとする麗々しさの口紅が塗られ、久遠の数理的な美貌に冷たい蠱惑を潤ませていた。


「私がそんなこと言ったことがあったかしら? 余人が言ったことを気にしているなんて、結構繊細なのね?」


 〝所長〟の、挑発としか取られかねない台詞を聴いた久遠の顔色が変わる。表面には氷柱の極寒を貼り付け、内側には燃え盛る火柱を秘めた、そんな相貌。紫水晶アメジストの双眸に、紅の光彩が燈る。


「繊細かどうか試してみるか?」


 久遠の胸の堕ちた烙印ファサードが輝き、同時に肢体に電算回廊の如き描線が浮かび上がる。殺気と呼べる程に膨れ上がる剣呑な気配が圧力を伴って大広間を軋ませるが――〝所長〟は涼しい顔を微塵も変えない。


「やめておきましょう。それに〝ここ〟じゃ貴方も――でしょ?」

「……その見透かしたような顔が気に入らない」


 そう吐き捨てると、肢体に奔っていた電算回廊の輝きを鎮めて久遠は引いた。


 〝所長〟の言は惑星潜りサルベージャーの少年の解の範疇にはなかったが、〝宮殿このばしょ〟に今にも飛びかからんとしていた久遠が、感情を沈めるべき理由があることだけは察せられた。


「では、先へ脚を進めることにしましょう」


 久遠から視線を外した〝所長〟が歩き出す。あれほど異様な気配が発せられていたというのに、〝宮殿〟には押っ取り刀で駆けつけるような衛兵が見当たらない。ただ、歩く〝白騎士カリアティード〟と久遠シメール惑星潜りサルベージャーだけが、絵画の如き〝宮殿〟の静謐を乱して動くものだった。


「何処まで歩けばいいんだ」


 数分進んだところで、ルードが誰にともなく尋ねる。入り組んだ路ならばともかく、直線距離――それも建物内となれば相当な距離を歩いているはずである。だというのに、柱に彫り込まれた女たち、天に描かれた時代の趨勢、編み込まれた曼荼羅は一向に途切れない。それぞれに意匠自体は代わってきているものの、基本構成が全く同様ともなれば、脳が同じ景色と認識し、少年に飽きを齎す。


「もう少しよ」


 先導する〝所長〟が応えた。その声が呼び水だったか、延々と続いていた天鵞絨の終端が視え、その奥には階段状に床が上がっている。天井の世界の趨勢を描いた物語絵も――恐らく〝柱の時代〟の隆盛で帰結しているのだろう――終焉を迎えていた。


「相変わらず、えらそうな場所ね」


 ごちる久遠の声が幽かに鼓膜を震わせる。聳える段に合わせて、天井も高さを増している。その頂上には、憂いた貌を貼り付けたカリアティードが豪奢な椅子に坐していた。


 玉座と言ってもいい椅子はしなやかな細工が随所に施され、直線を主とした幾何学模様を形成している。天井を突かんとばかりに伸びた背もたれは、威厳と装飾のためのものか。後光のように配置された飾りをみるに、その想像は的を射ていると思われた。


 〝所長〟と同じく、白練の髪とそして錫色の瞳。贅を凝らしたドレスのスカートは、脚を超えて床にまで達している。刺繍は勿論のこと、布地も贅沢に使用した衣裳の描線は、天才ルペル・カリアの秋津モードの極北とまで謳われた芸術作品だ。ルードは預かり知らぬことだが、コンセプトデザインとして発表されたこのドレスは極まった職人芸で構成されている関係上、一般発売されず袖を通した者さえ数人と言われている。今は、美術館のショーケースを飾り付けている以上、ここにあるものはオリジナルではないのだろうが、ここまで完璧に再現できるのだろうか。


 纏う者を試すが如き華美な意匠は、その実、袖を通した途端に着用者を外連さえ超えて滑稽に見せかねない代物だが、流石に数理的な非自然物的麗美を湛えたカリアティードには恐ろしく映えていた。だが、彼女が備えた、数理的な自然物には無い整美も相俟って、滅菌する銀塩の如く漂白された――ちょうど、この〝宮殿〟のように――印象を受けるのはルードの気の所為だろうか。


「ご苦労だったな、白金しろがね

「いえ。勿体無いお言葉、痛み入ります」


 白金――。彼女の名らしく、労をねぎらう声に〝所長〟が応えた。

 続き、玉座の美女は場違いにも囚人服を着た女に声を投げかける。


「久しいな、久遠」

「…………そんな台詞が言える程度には顔の皮が厚いんだな」

「御前だ。言葉を慎め」


 〝白騎士〟が警告を口にすると同時、久遠の首元にライフルが交錯される。彼女の両脇にいた〝白騎士〟のものだ。


「怖いな。まるで狂犬のようだ」


 口元を指で隠して楚々と嗤う玉座に座る美女。そこには一切の温かみが存在しない。まるで、与えられた役割をただ演じているような空々しさ。感情を何処かで忘れてきた冷淡さが彼女の総てだった。


「だったら、噛み千切られてみるか?」


 数理的に整った相貌を全くといっていい程崩さない玉座の美女とは相反して、久遠は黄金比的整美を薄く歪める。浮かんだ笑みには獰猛さの艶紅ルージュが引かれ、整美に生々しい感情を浮かべた美を描き出す。十字のライフルに力が籠められたか、ぎしりとライフル同士が噛み合う音色。


「遠慮しておこう」


 錫色の眼で促されて、久遠を抑えていた〝白騎士〟の銃器が降ろされる。


「それで? わざわざ烙印ファサード持ちをわざわざ〝宮殿〟に招いた理由は? しかも、ルードも連れてきて?」


 相当高い地位であると思われる美女に対して、久遠は不遜な態度を崩そうとしない。石像機が顕れるや否や、強制されずともカリアティードのために戦っていた彼女がみせる態度の理由は、このカリアティード社会の重鎮に対しての反抗であるのやもしれぬ。


 囚われのカリアティードに〝白騎士〟が警戒心からほんの僅かながら身を乗り出す。


「焦らずとも教えてやる。まずは、あの時――石像機と戦い、そして打ち落とされた後の出来事を教えてやろう……」


 玉座に坐す美女は語りだす。それは、新たな神話の幕開け。英雄譚の一幕であり、時代の趨勢を決する混沌の序章だった。

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