石室

「それで? 一体何処へ行こうっていうの?」


 桎梏で自由の利かぬ両腕を持ち上げて茶化しながら、久遠は先頭を歩く〝所長〟へ話しかけた。これで幾度目か、黙殺されていようとお構いなしに、久遠は鉄面皮を決め込む〝白騎士〟と〝所長〟に同じ質問を浴びせる。


 いい加減に面倒になってきたのか、〝所長〟は明らかに聴こえるようにため息をついた。


「…………〝宮殿〟よ」

「〝宮殿〟?」


 〝所長〟の応えに聴き直したのはルードだ。この惑星の社会システムがどういったものなのかは未だ理解していないが、少なくとも統治者が棲む――或いは執務を行う〝宮殿〟という建築物は存在しているということか。


「〝宮殿〟ね。私達をどうするつもりだ?」

「さて、ね。今の私は応える権限を持ち合わせていないわ」

「……ああ、そうですか」


 予想通りのにべもない回答を聞いた久遠は、これ以上問いかけても何も得るものはないと判断したのか、押し黙る。口数が途絶えたとなると、荒野の上面に散らばる渇いた砂が蹴られ、または踏みしめられ軋む音、そして塵を孕んだ風のこえが従容と大気へと溶け込んでいく。ルードと久遠を含めて七人の翳が仰臥する荒野を列を成して歩く様は、いつてるともしれぬ巡礼に赴く殉教者にも似ていた。


 しかし、と惑星潜りサルベージャーの少年は思った。


 ――〝宮殿〟って何処だよ?


 彼が〝宮殿〟と聞いて聴き直したのは、何もこの世界に〝宮殿〟が存在するという確認のためではない。この横たわる灰色の大地――それこそ崩壊した街を離れて、荒野に投げ出された彼らの視界には〝宮殿〟とおぼしい建築物は視られず、訝しいものを覚えたのだ。


 彼女らの装備から視るに、それこそ一日以上の道程は無いと思われるのだが、広漠な荒野にそれらしい翳が視えぬとなれば懐疑も当然と言える。


 暫く歩くと、灰色の大地に溶け込むように石室いしむろが顕れた。とはいえ、とても〝宮殿〟とは言えぬ規模である。しかも、切り出した石を並べて、或いは石柱にして屋根を付けたような、簡易な造りだ。廃墟と化した先日の街では、これと比較にならぬ建築物が軒を並べており、とても〝宮殿〟という言葉から受ける華やかさからは無縁と言えた。


 だが、彼女らの言う〝宮殿〟は石室に関係があるとみえ、先頭の〝所長〟は立ち止まることなく、その中へと入る。必然として、〝白騎士〟やルードと久遠も後に続くことになる。灰色の雲に包まれた惑星の建築物の内となれば、流石にほのと呼ぶには暗すぎる闇が出迎える。眼を凝らせば視えなくもない光量ではあるも眼を慣らす時間は必要かと思われたが、全く動じずに〝白騎士〟は歩を進め、ルードも闇に慣れぬ身のまま追従する形となった。〝白騎士〟の白装束が闇間にうっすらと浮かび、この石室に葬られた者の亡霊なれのはてのようにも視える。いや、よく視やれば、久遠にも紫の紋章光ファサードぼうと灯っていた。なるほど、この暗がりでは、確かにファサードを持つのが久遠のみであるとよく解かる。


「まさかとは思うけど……ひょっとして、ここが〝宮殿〟だったりして?」


 返答は期待できぬ問いを意を決して口に出すと、意外にも応える声があった。


「同じようなものだけど、正確には違うわ。〝宮殿〟への門があるのよ」


 〝所長〟の声だ。久遠は忌み嫌っているようだが、冷徹そうな外見とは裏腹に問われれば応えられることについては返答を返してくれるらしい。


「門?」

「そ、三ツ首の猛犬が護る地獄の門へようこそ……ってね」


 含み笑いつつ久遠が戯れ言を言うも、そこにルードは違和感を覚える。彼女の喩えは理解できたのだが、問題は理解できたヽヽヽヽヽという点だ。


 ――なんで、銀河人類の旧時代の神話を知っている?


 そう、地獄への門を守護する三ツ首を持つ犬――ケルベロスと呼ばれる怪物は、確かに銀河人類の歴史を紐解けば、特定地域で発生した旧時代の神話に登場する。惑星潜りサルベージャーという職業上、時に惑星資源だけではなく、歴史上の重要物のサルベージを依頼されることもあり、ルードもその程度の知識は持っていた。しかし、銀河人類と異なる人類の産物と思われるカリアティードが、何故、銀河人類の――しかも、今では知る者も少なくなった――旧時代の神話を諳んじられるのか。


 ――やはり、何かがある……。


 異なる時代、異なる文明、異なる人類である筈のイラストリアス4文明の後継者と言語が通じ、あまつさえ同様の文化から発生したとしか思えない共通項が散見される……。この奇妙な符合には、収斂の一言では済まされぬ作為的なものすら感じられた。


「ッ! う、うわ!」


 脚元が不確かな状態で考え事までしていた所為もあり、ルードは石畳の隆起に蹴躓いた。必死で均衡性を保とうと足掻くも、残念ながら無情な重力は一度崩れた体勢を整える機会を与えてはくれず……。


「ンキャアアア」


 ルードは前方のくゆる紫の光にしがみついた。途端、柳腰の華奢な感触と共に、闇間を裂く悲鳴が鼓膜をつんざく。張り詰めた平素と打って変わった高く可愛らしい声は、言わずもがな久遠のものだ。


「…………!」


 感触が退き、自らの身体を抱きしめるように久遠が離れた。拡散性に欠けた光とはいえ、この暗がりでほぼ唯一といっていい光源を持つ彼女は、冥闇に溶けずにむしろ陰翳を浮かび上がらせる、闇の踊り子と言える。


「……君ねぇ……」


 暗闇に浮かぶ烙印の光に照らされた彼女の表情は、思っていたよりも穏やかではあったが――下方から浮かぶ燈り故か、その燈火の色故か――不穏当にルードの眼には映った。


「ご、ごめん。躓いだだけだ、他意はないよ!」


 弁明が何処まで通じるかどうかわからぬが、惑星潜りサルベージャーの少年はとにかく謝罪する。あくまで偶然の産物――約得ではあったが――であり、少なくとも意図してのことではない。これで久遠が機嫌を悪くしたのなら、ただでさえ五里霧中である我が身が更に危ぶまれる。何より、また物を投げられては敵わない。多少の罵詈雑言は受け止めようとしたところ……。


「躓いただけってッ……!」

「ふうん。結構かわいらしい声を上げるのね」


 案の定、何か言いかけた久遠だが、狙い澄ましたかのような〝所長〟の声に口を止めた。


「……何が言いたい?」


 悲鳴とは打って変わって、声を硬くした久遠が、〝白騎士〟を率いている美女へと――ルードには視えぬが、聴こえてきた〝所長〟の声の方向へ――向き直る。冷たく凝固していく烙印ファサードを持つカリアティードの声。戦いの前に吐き出していたそれと同じ温度をルードは凍えた。


「いえ? 不思議に感じただけよ。彼女ヽヽに抱きつかれた貴方が、昔みたいなヽヽヽヽヽ声で叫ぶなんて思わなかったから」


 〝所長〟は久遠と一戦交える気は全く無いらしく、そう告げるとハイヒールの靴音を闇音に刻み、再び歩を進め始めた。


「……ふん」


 腕を組み鼻を鳴らしている久遠が翳映しとなって、常闇の石室いしむろ に投じられる。どうやら、二人の関係は〝所長〟の方が上手であるようだ。うまくいなした〝所長〟に対して、相手にされていない久遠は不機嫌さを態度で示すことしかできない。


「なによ……歩けばいいんでしょ」


 無言で促されたらしく、不承不承、シメールは先導する〝白騎士〟の長へと続く。


 ――彼女ヽヽ


 何やら、不整合な匂いを感じ取ったものの、ルードは後ろを歩く〝白騎士〟に背中を捺され、是非もなく歩き出す。


 流石に光という寄る辺が殆ど無い世界にいるのは、相当な負荷ストレスがかかるとみえ、肉体的なそれよりも精神的な疲労にルードは辟易してきた。脚元さえも覚束ぬとなれば、踏む歩も慎重となる。先程、失敗して久遠に抱きついてしまったとあっては尚更だ。


「止まれ」


 前を歩く久遠の声に、惑星潜りサルベージャーはそれが自身に投げかけられた言葉と理科し、脚を止めた。寸前だが、間近に触れられる存在感は彼女の背中とみて相違あるまい。久遠は、銀河人類種の眼が彼女らカリアティードと比べて闇間に対応していないことを察していたのだろう。流石に僅かな期間だが同居人なだけはある。


「貴方、ここは何周期振りかしら?」

「さあ、覚えていないな。私がお前たちに追いかけ回される前の話だったからな」


 相変わらず硬いままの声は、間違いなく彼女たち――〝白騎士〟に対する不信が凝固している。少々耳に入れた程度ではあるが、相当な追走劇のてに久遠は囚えられたと聴く。仲間に裏切られた感情は、流石に容易に押し流せぬのも頷けた。


「そう……。じゃあ、久しぶりの〝宮殿〟を楽しむことね」

「楽しませてくれると嬉しいんだけどね」


 冷めた口調の久遠からは、決して愉快ではない場所と感じざるを得ない。


 ずずず……と、重い何かが引きずられる音――状況から察するに石扉だろう――が奏でられ、冥闇に慣れつつあった瞳をしたたかに白光が刺し、生じた大気の流れが少年の前髪を煽る。荒野に置き去りにされた石室いしむろの内にある、〝宮殿〟への扉。それが、今開かれたのだ。闇間に於いては、一つの蠟燭の火すらも空漠に光を投じる。況してや、昼光に近い光はもはや奔流に近く、ルードの闇に麻痺しかかっていた視神経を痛みすら伴う程に打ちのめしたのだ。


「まぶし……前が視えないッ」


 反射的に眼を覆うルードだが、既に遅い。瞳を感光せしめる光の飛沫は確かに彼の瞳孔へと注がれていたのだから。失明には至らぬまでも、灼けた視覚が癒えるまでは眼球の十全な機能は望めぬ。


「眼を閉じてなさい」


 かけられた声と同時、誰かが腕を掴む感触。声の主は久遠だ。石像機が暴れていた時といい、彼女は偽悪的な態度を取るが、その実、面倒見がいい。


「頼む」


 眼を瞑っていても、したたかに視神経を叩く光は完全には払拭できなかったとみえ、まぶたの裏に赤とも橙とも黄とも言えぬ、まだら模様の万華鏡が映る。様々に変化するまだらに視界を奪われつつ、数歩進めば、瞬間、全身をくすぐる風の如き感触が触れてきた。


 ――今のは……?


 身体を駆けた感覚に疑問と訝しさが瞑目したままのルードの頭によぎるも、仮初めの盲目となった彼を誘導しているカリアティードの声に、それが雲散した。


「眼を開けていいわよ」


 瞳がまず捉えたのは白亜の白。奥行きのある大広間には、その面積の殆どを網羅した天鵞絨の絨毯が床面を紅に染め、その外側には等間隔に円柱が立ち並んでいた。その円柱の向こうからは、外光と思われる柔らかい光が降り注ぐ。神殿を思わせる〝宮殿〟は、確かに〝宮殿〟と呼ばれるに足る豪奢さと幽玄さを兼ね備えている。天鵞絨の絨毯には細やかな刺繍が複雑な模様パターンが綴り織られ、奥にまで連綿と続いている。円柱には、何者かに祈りを捧げる女人像が掘られ、しかもそれぞれが異なる姿を浮かび上がらされているのだ。如何なる施工を施されているのか、床面を構成する石床には切れ目が存在せず、無謬の連続性が横たわっていた。この隙間を生じさせぬ一枚岩は人工石ならば生成可能だろうが、この無謬性は天災から受ける衝撃に極めて脆く、僅かな綻びで建築物を崩壊せしめる危険性を孕んでいるのだが――ルードの危惧を理解しているのかいないのか、広大な大広間は素知らぬ顔だ。


「ようこそ、〝宮殿〟へ……ってね」


 久遠の声が広間に響く。その空々しい鳴聲が伽藍堂を思わせ、明媚な〝宮殿〟に何処か荒廃の色を滲ませていた。

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