産聲

 時は〝眼馬ザルディロス〟が猛威を奮っていた時間――久遠という鴉が地に堕ちた直後まで遡る。


 彼らは視た。龍神神門が、眼鏡の青年が、ジラ・ハドゥが、そして狼我ランウォが――己の眼でしかと視たのだ。石造りの街から突如建立された〝塔〟の姿を。


 地から天へと迸り、曇天を削る光の。〝世界柱〟の映し身が如き眩き閃光は、例えるならば真っ直ぐに天地をつなぐ、轟天を燻る光焔か降り注ぐ雷霆か。このそそり立った光の柱こそ、定められた運命の傾斜の証左だ。伝説に著された白い隕石いしの勇者、叉拏しゃな――黒機の魔王と相討った、原初のカリアティードの再来の光景。


 光の柱の色は紫水晶の輝きを放っている。そこに注ぎ込まれた存在力――この惑星せかいではアニマと呼ばれている――が横溢し、逃れる場所を探して四方八方へと迸る。あたかも、建築物に降り注いだ驟雨が垂直の河となり、といへと導かれ、それが吐水口を探す様に似て……しかし、飽和するほどの存在力を吐き出す吐水口を、この眩い柱は持ち合わせてはいなかった。


 結果、溢れ滾る存在の光はを中心にして、放射線状の光条を撒き散らす。宙空を薙ぐ光の帯が、この世界に我存在せりと覇を叫ぶ。与えられた舞台、与えられた役回りを演ずる、自覚なき演者――勇者シメールの産声だ。


 やがて、柱の中央――ちょうど光条が迸っている座標だ――へと柱を構成する光が収束し、仮初めの〝世界柱〟が細く閉じていく。代わって、横溢する存在力を放射する光球が、曇天が支配する惑星に堕ちた太陽の如く輝き、そして……。




「〝った〟か……」


 たして、地表近くに誕生した紫光放つ太陽を注視していた白仮面の男のことほぎを、ジラ・ハドゥは聞いていたのか……。そう、一つの運命に従って誕生した勇者を彼は祝福していた。総てを超越する望みを持つ男は確かに、仕組まれた存在にそうあれと――宿命を逸するよう願いを籠めて、見つめている。それは、狼我ランウォの出自がそうさせるのか……少なくとも、彼自身は疑問にも思わず、その問いにあえて答えを求めようとも思うまい。


「へぇ。なかなかの存在力ちからじゃないか」


 直接肌膚を震わせる、暴威にも似た圧力にジラは笑みを浮かべていた。彼の求める、強き雄々しい宍叢ししむら……その期待を裏切らぬ予感に、悪魔の申し子は喜悦しているのだ。彼の駆け登るべき路の先にには、今のままではたどり着けぬ。目指す座標は高く、未だ山の中腹にさえ届いていないのやもしれぬ。


 生まれながらの殺戮の鬼才ウィザード・オブ・ウォーは神を超克しようと、天へ挑む。奇しくも、白い人狼と悪魔の申し子が目指す標高は似通っていた。


「楽しみだ。僕を満たしてくれる宍叢ししむらがいるのかどうか……」


 増大する自我と尽きぬ強さへの渇望……。ジラ・ハドゥの相貌は鬼の笑みに彩られていた。そう、彼の興味はただ一つ……この〝塔の惑星〟に棲息する存在が宍叢ししむらに――己のいしずえに足り得るのかどうか。

 両者の思惑はともかく、〝結社〟に属する二名は共に誕生した勇者の産声をことほいでいた。




 他方、〝眼馬ザルディロス〟を追跡していた神門は――。


「黒き君! ご無事ですか?」


 既視感を覚える光の柱に心奪われていた神門は、自ら――と思われる――を呼ぶ声にしきいを揺蕩っていた意識を浮上させた。


「……!」


 何を呆けていた……! 天地を結ぶ柱がほんの近くで聳え、荘厳な紫水晶を赫耀たらしめているのだ。この超常の異変に気づいたのならば、長閑に微睡んでなどいられぬ。むしろ、ここまでの事態にいたにも関わらず意識を喪失していたなど、度し難い怠慢だ。


 己に喝を入れつつ、少年は集束していく柱を見つめる。閃光の雄叫びを拡声する天壌あまつちを渡す柱は、今や小型の恒星へと変じようとしていた。膨大かつ莫大な力は、その光の内に神々しい存在を隠しているかのようで……何故か神門の心を騒がせる。


 そう、彼はこの感覚を憶えていた。いや、忘れるなどあろうことか。


 畸形なる闇の淵で出逢った、そして、飛海フェイハイ塞城の王が棲まう塔で再逢ふたあった少女。彼が名付けた――天の君に咲く夜――天君咲夜あまぎみさくや。その、黒から桃を経て櫻へと移りゆく練絹の髪を憶えていた。数理的なほどに整った肢体を憶えていた。楚々とした相貌に灯る赤紫の瞳を、薄く濡れた口唇の桜色の艶めかしさ、磨かれた白銀の如き肌膚を、そして――金屏風に広がる光景を憶えている。


 既視感の正体に思い当たった神門は、正体をなくしたように紫の恒星を眺めていた。先程、気絶していた己を恥じた者とは思えぬ呆然とした神門を護るように、眼鏡の青年が彼と宙空に浮かぶ太陽の間に立つ。


「黒き君よ。呆けている場合ではありません。あの、アニマを地へと流さず自己循環させているさま、まさしく勇者シメール!」


 やがて太陽は球の形を無くし、次第に人の翳を映し出していく。石像機に似た陰翳だが、細身で華奢な印象を受ける。悩ましい描線は――に性別があるとするならば、だが――男性のものとは思えず、女性的な艶美があった。


 紫に灯る箔が剥がれ、その正体が顕れる。漆黒を思わせ、その実、まだらに染まった黎と紫水晶アメジストの輝きの描線を身に宿した――勇者シメールの、姿が。




 アリアステラは翠緑色に輝く電算の沃野にいた。電光空間グリッドスペース。脳内チップを埋め込んだ者に許された楽園、莫大な演算力で構築された第二の世界だ。


「動き始めました。天地を結ぶ柱、或いは天壌から垂らされた蜘蛛の糸……」


 彼女の眼前には、惑星イラストリアス4の光景が映し出されていた。そう、迸る光の柱が世界に覇を刻む様が。


 いや、いつしかアリアステラの前には、存在感だけで燦然と輝く美丈夫の姿があった。背を向けている筈の太陽の如き金髪、雅趣馨る美事な長衫に踊る鳳凰、妖しく輝く紅の瞳。メルドリッサ・ウォードラン。結社の査察官にして、美貌の吸血鬼。


『さて、此度の演劇はどう動くのかな。神域へと到るきざはしはこの惑星の神話の序章になるのだが……歴史の楔がどう作用するのか、見ものだね』


 聳える紫光の柱を見つめる吸血鬼の瞳に映る感情は何か。


「私は如何しましょうか。必要なら降下を……」

『それには及ばないよ。ジラと狼我ランウォに任せよう』


 彼が口にしたのは二人の怪物の名。金髪を逆立てた悪魔の申し子と白き鉄仮面の男。しかし、アリアステラには一抹の不安がよぎる。狼我ランウォはともかく、ジラは己の力にしか興味を持たぬ手合いだ。敵味方の区別なく暴走する危険性すら孕んだ、人の皮を被った悪鬼に――そう、彼女を過去に所有物として扱った男に近い。


『不安そうだね?』

「ええ」


 王は、我知らず相貌に浮かぬ感情を貼り付けていたアリアステラに尋ねる。主に素直に吐露する少女だったが、それを咎めるどころかメルドリッサは微笑んでいた。


『大丈夫さ。君はそこにいて、趨勢を見守っていてくれるだけでいい』


 その笑みは秋の涼風の如くに爽やかで――とても、太陽に燃える性質を持つ亜人とは思えぬ。この微笑みを前にしては疑うことなどできよう筈もない。契約を持ちかける悪魔が彼と同じ貌を持っていたとするならば、案外、契約者は魂を売ることを理解した上で厭わなかったのやもしれぬ。


「わかりました。最後まで見届けさせていただきますわ」

『ああ、信頼しているよ』


 そう、ここからが始まりだ。〝柱の時代〟の終焉にして、〝結社〟の介在する新たな歴史が始まる――。曇天から放たれた一筋の稲妻が、予定調和の英雄譚の開幕のベルとなって鳴り響く。そう、運命という脚本ほんに著された演劇れきしが胎動しているのだ。だが、予定調和の定めだとしても、忘れてはならぬことが一つある。唯一にして最大の不確定要素が雑じり込んでいる事実を。


 歴史のくさび――。そう呼ばれる者が〝塔の惑星〟の大地を踏んでいる、その事実が神の著した脚本ほんに一刀を投じる時、一体如何なる化学反応を起こすのか、今は誰も知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る