黄泉路
走る。息が乱れ、もつれそうな足に鞭打って、三つの影が走る。
先頭を走るは氷月教授。追って神門と虎狛。
前を走る氷月教授はともかく後ろの少年二人はともすれば倒れ伏して立ちあげれなくなりそうな程、全身を支える力は失われている。
三怪人から受けた地獄の責め苦が体力を根こそぎ奪い尽くしたのだ。それを気力だけが何とか少ない膂力をかき集めて、足を動かしている。
相も変わらず、足元にじゃれつく靄を踏み荒らしながら、逃亡者たちは神殿の回廊を進む。
先程まで地獄の責め苦を味わわされた、再誕の間とも胎盤とも呼ばれる場所と同じく、洞穴に似ていながらも細部はグロテスクな有機的フォルムで構成された回廊は、今にも脈打ちそうな生物の管内を思わせた。
前を走る氷月教授が
「その端末の座標を追跡して迎えが来る。お前たちは彼と共に逃げるんだ」
「父さんは?」
息子の問いかけに氷月教授は答えず、足を止めた。
仄暗い洞穴のようでも、グロテスクな生物の体内のようでもある神殿の回廊は、やがて吊り橋へと辿り着いていた。
吊り橋は一際巨大な脊柱が橋桁となっており、橋台は直接神殿の壁に打ち込まれ、そこからメインケーブルが複数の管が絡みつく
蔓の一つ一つがハンガーロープであったとみえ、ある程度の間隔を置いて垂れ下がり、桁を支えている。吊り橋には灯りらしい灯りがなく、対岸から見えるぼんやりとした明るみが桁を照らすのみ。
下を覗いても、満足な光源のない中では暗闇としか見えず、底の深さは窺い知れない。
壮年の研究者の眼は、橋桁の上より少し外れたところにあった。
視線の先にある虚空より、不意に浮かぶ幽鬼の如き白い影。重力の見えざる手の抱擁を撥ね除けて、三次元的に先回りをしたグラウムの姿だった。
視覚を感光する炯眼が
更に逃亡者を中心に三点を囲むようにメルトールとリシトルが現れ、王手に手をかける。
――進退極まれり。
メルトールが右手を
ぞくり……、神門の無意識が警鐘を鳴らした。虎狛も同様だった様子で、両者は生存本能の命ずるままに疾駆する。いや、前のめりに倒れこみながら足を動かした、と言った方が適切か。
やや遅れて、息子たちの手に引かれ、追従して駆け出した氷月教授の一歩前の位置があたかも竜巻の如き捻られた大気に橋桁を包まれた。
耳障りな甲高い悲鳴が響き渡り、竜巻が収まるとそこにはずたずたになるまで絞られた
己の身体を陵辱され、切り離された吊り橋が、苦悶にのたうつように左右に揺れる。とても立ってはいられない揺れ幅に、三人の親子は足を踏ん張り耐える事しかできない。
如何なる
そして、均衡を欠いた橋の捩りは、神門の身体を橋桁と宙の境界線の更に先、大口を開いた奈落へと誘った。絶対的悪寒を伴った落下感が全身に絡みつき、離れない。
「なっ!」
狼狽の声を上げたのは、果たして氷月教授だったのか、三神官だったのか。アドレナリンの過剰供給によるものなのか、コマ送りに分割しスロウモーションで流れる景色。
桁の上で氷月教授と虎狛が眼を見開き、何かを叫んでいる。三神官はそろって、奈落へと沈もうとしている自分に振り向こうとしている。そして、視界は段々と天へ流れてゆく。
やがて、視線は橋桁に立つ者が見えなくなるほど沈み込み、
橋桁の底が急速に遠ざかっていく。自由落下の風圧は、生身の神門の肉体には苛烈に過ぎた。彼は意識が黒く塗りつぶされるのを、どこか他人事のように感じていた。
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