章之肆

異界

 死んだように瞑目した少女が抱きかかえられた熱の存在に気づいてか、ゆっくりと瞳を開く。その様は固い蕾から花がほころび開いていく可憐さだった。


 角度により色合いを微妙に変える青紫色の複雑な虹彩は薔薇石に似て、または珪素仕立てシリコンメイドの義眼に似て――。天然にはありえぬ造形美は女性模倣絡繰人形ガイノイド容貌それだ。だが、神門の印象を彼女の軽さが否定する。


 発達した科学技術は軍事産業、次に性産業へ流れた。男性模倣絡繰人形アンドロイド女性模倣絡繰人形ガイノイドの性玩具化――性玩男性模倣絡繰人形セクサロイド性玩女性模倣絡繰人形セクサノイドである。

 特に後者セクサノイドの需要は高まり、義体技術やロボット技術を応用した様々なモデルが生み出された。


 だが、本物以上の美しさを持ち合わせ、与える快楽も生身以上でありながら、性玩絡繰人形には大きな課題が残った。


 従来の人体模倣絡繰人形マシンナリフィギュアは重量の問題が常につきまとっていたのだ。強度や性能を確保しつつ人間を模した設計つくりにすると、外皮を塵級機械細胞セル・ナノマシンや生体細胞、骨格も特殊セラミックスや無重力合金などの素材で構成する事となり、製造コストもさる事ながら、どうしても重量は人のものを超えてしまう。


 とはいえ、無理に軽量化すると、今度は耐久性や安全性、更には挙動すら覚束ない木偶に成り果てる。


 新素材の開発等により軽量化は進んでいるが、ここまで人間の重量に近づかせるとなれば、どこか不自然な部分が出てくるはずだ。

 だが、どうにも解せぬ。

 生物的な熱といい、まじまじと自分を見上げる瞳の動きといい、掌から伝わる鼓動といい、ここまでヒトを再現する事が女性模倣絡繰人形に可能なのだろうか。


 彼女は無機物な美しさと、どこか生々しさを伴ったえも言われぬ何か――若しくは魂魄と呼ばれるものであろうか――をもっていた。


 神門と少女の視線が虚空で結び合わされる。ふわりと長い髪が重力に引かれ、舞い落ちる。


 少女の薔薇石の瞳を見つめていると、神門の心の奥から水泡あぶくを一つ生み出した。それを契機に、神門の脳がフラッシュバックを起こした。




 * * *



 ――宙ぶらりぶらり。


 ――宙ぶらりぶらり。


 白日夢は吹雪色に霞んで亮然としない悪夢の続きだった。


 紋様拵えの爪より突き刺さる光線が、ヒトの存在そのものを侵し陵辱し、蠕動するコード群が蛍火を身体の内側へと送り込んでいる、正に最中さなかだった。


 激痛に声すら出せず、くぐもった呻吟の息が奥歯を震わせるのみだ。

 最早、互いの名を呼び合い、差し伸べ合っていた手もだらりと張力を失い、コードの蠕動に抵抗なく振り子となって揺られるばかりである。


 そして、爪から伸びた光線が彼らの丹田を突き刺すと、体内の蛍火が誘導されて集まってくる。蛍火は赤く光り、時折皮を透かし、筋肉や骨格を透視投射レントゲンのように照らし出す。

 やがて、光線と蛍火が合わさり蓄積し、丹田に輝く輝石が生まれた。


 神門はくがね虎狛こはくあい。人体を一つの細胞で例えるならば、輝石は細胞核のように見えなくもない。


「待ってくれ!」


 気絶することも許されぬ、身体を侵す痛みに晒された神門は漂白していく意識の中、養父の声を聞いた。


「何用かな、氷月教授プロフェッサーヒヅキ?」


 白い爪の怪人シザーハンズが処置を中断しつつ、闖入者に尋ねる。激痛より解放された神門と虎狛は擦り切れた神経の悲鳴で、息を切らし、どこか定まらぬ意識でその光景を見る。彼らの視点の下、三神官に詰め寄っているのは、虎狛の父にして神門の養父、氷月ひづき総一郎であった。


「と……父さん……」


 声は、神門のものか虎狛のものか。どちらにせよ、呻き程度の声量は見上げている四者の耳には届いていないだろう。


「約束が違う! 私は息子たちを儀式の生贄に捧げたつもりはない!」

氷月教授プロフェッサーヒヅキ、生贄とは何かね? この二人は次なる世界を創りあげる栄光の二柱なのだ」

「左様。胎盤で神の胎児は殺し合い、もう一方を糧に再誕する。慶びこそすれ、悲嘆する理由などありはしない」

二柱ふたり一柱ひとりになり完結する……生贄など面白い冗談ですわね、ほほほ」


 決定的な断絶とは、交わす言葉が同一言語であっても、その内容が横たわるクレバスのように分かれ、つながることがない事を言うのではなかろうか。

 言葉も出ないといった様子の氷月教授は、蒼白な表情の中に何らかの決意を滲ませていたが、人らざる三神官は気づく様子もなく、二人の少年を見上げると厳かに術式の再開を告げた。


「さて、では続けるとしよう……コオォゥワッ!」


 小男――三神官の中心が、再び幾何学的紋様の爪を伸ばした。レイザーを放つ電気手術刀メスの爪が再び少年たちを魂ごと蹂躙する。みっともないと思う余裕もなく、苦悶に顔を歪め、がくがくと癲癇のように震盪する自身の身体にすら自覚できない。


「くっ!」


 息子たちの痛ましい姿を見ていられなくなった教授は、爪の怪人シザーハンズへと掴みかかった。

 不意を突かれた小男の掴まれた爪が宙を掻くと、先から迸る怪光線が刃渡り数十メートルのナイフと化して辺りを切り刻む。


 掴み合いのさなか、踊った爪が描いた軌跡の延長線上には少年たちを拘束していた鈍色のコード群があった。


 結果、身体を宙で固定していた支えを失った二人は、白霧に包まれた床にしたたかに身体をぶつけながらも、必死に立ち上がろうとする。頭上で、鼓動の律動に合わせてのたうつコードから、火花が噴出されている。


「がっ! ……ぅぬ」


 小男の拳の衝撃が氷月教授の腹部に刺さり、彼は苦悶に身体をくの字に曲げて、こみ上げる反吐へどを飲み下す。


「ムッ!」


 碧い巌の如き偉丈夫が両手から波打つ光線を放つ。少年たちを捉えんとする光の毒蛇が絡み付こうとするが、彼らも身体がうまく動かぬながらも苦労しいしい、不気味な石灰華柱の影に隠れて避ける。


 続けて、その様子を見た屍蝋の美女の瞳に、瞬く閃光。呼応して、石灰華柱が二つの穿孔に身を陵辱され、重い音を立てて崩れる。だが、向こうに求める少年の姿はなかった。


 果たして、少年らは石灰華柱の陰に隠れると見せかけて、匍匐前進で破壊の洗礼から逃れていた。極端に姿勢を低くし白靄に紛れた少年たちを補足できなかったのも無理はあるまい。


「二人共、こっちだ!」


 いつの間にか広間の端の洞穴まで移動していた氷月教授の叫ぶ声に、二人の少年が足を引き摺りながらも必死に追従する。


「おのれ!」

「待て、メルトール。周りを見よ」


 小男に手で制された碧い偉丈夫の神官メルトールが辺りを見渡すと、そこには散々たる有様が広がっていた。

 再誕の間と呼ばれる伽藍は、至るところをレイザーの爪で切り裂かれ、不気味な石筍や石灰華柱は鏡面に似た鮮やかな切り口を見せ、壁や天井は氷の裂け目クレバスのような深い傷の陵辱を受けていた。裂かれた爪痕のから出血よろしく、赤い光子が漏れる。


 メルトールを制したのは、これ以上の施設への損傷は、儀式の再開に重大かつ致命的な遅延を齎すという、小男の神官の配慮だった。


 それをクールダウンしたメルトールは悟ったのだろう。元より外見通りに秀でた武でもって、組織の神官に登り詰めた者だ。故、時折神官らしかぬ激情を顕わにする事がこの男にはあった。

 だが、自制する器量もまたある事も事実。今にも破裂しかねない赫怒は、一先ず鳴りを潜めた。


「だが、グラウム。どうするつもりだ? 今は不完全とはいえ再誕の儀により、二柱は既に人の域にない。逃せば厄介な事にならんか?」

「胎盤をこれ以上傷つく事があってはならぬ。だが、逆を言えば、胎盤が傷つかぬところまで泳がせればよい。リシトル」


 小男の神官――グラウムがフードの影から笑みに歪んだ顔を見せると、妖艶な女性神官へと向き直る。リシトルと呼ばれた神官の左眼が白く発光する。彼女は左眼で特定範囲内の万物を見通す能力を秘めている。


「ええ――氷月教授プロフェッサーヒヅキは、どうやら子飼いの実験部隊に救援を要請していたようです。我々が動いた方が胎盤を傷つけられる心配はなくなるでしょう」

「神殿内を荒らす真似はしたくはなかったが……」

「致し方なかろう。我は往くぞ」


 血気盛んなメルトールは早速己の武を示そうと躍起になるが、今度はグラウムも止める理由もない。


「よし、往くぞ」


 グラウムを始めとする三神官は、重力のくびきを断ち切り宙空を浮遊しながら、ぽっかりと口を開けた、壮年の科学者と二人の少年が姿を消した横穴へと滑り込んでいった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る