再会
エレベーターに乗り込んだ神門が咄嗟に押したボタンは六〇階だった。一息つくと、途端に緊張感の糸と共に切れた脚の張力に、壁にもたれたまま座り込んでしまった。
ようやく訪れた瞬きの休息。かごが登っていく間、彼はヘルメットを外すと息を整える。
酸素を身体中に浸透させるイメージで深呼吸をすると、エレベーターを降りた後に備え軍刀を抜いた。
軍刀の拵え、機能美を備えた特徴的な反りのある片刃の刀身から、秋津刀に他ならなかった。
片刃の刀ではあるが、切先から数寸は諸刃となっている珍しい造りは、切先両刃造りと呼ばるものだ。更に、峰はまさに漆黒、漆を塗っているかのような黒、美しく磨き上げられている。
かくも美事な仕事は刀匠の粋と魂の賜物、血腥い器械でありながらも、対極に位置する芸術の域にまで高められた逸品の証である。
拵えと鞘が蒼然さを感じさせるのに対し、刀そのものは刃紋に至るまで艶かしさをもっている。刀そのものの手入れは欠かさず、しかし、拵えと鞘はあくまで消耗品と割り切っているのだろうか。
いぶし銀の拵えと、艶めいた
先ほどの戦闘から、エリナの応答が取れない。おそらく、何らかの妨害策が講じられているのだろう。
一難去ってまた一難、悠長に一息付ける暇もない。神門は事前に脳内に刻み込んだ情報と現在の状況を改めて整理する。
今乗っているエレベーターの昇降可能階は六五階まで。確か、五〇階から更に上階へ向かうエレベーターがあるはず。
七三階に
そうと決めると、かご上部の点検口へと身を隠す。扉が開いた途端、銃弾の槍衾とされてはたまらない。
念のための用心としての行動だったが、結局のところは徒労に終わった。
六〇階へと到達したエレベーターが鉄扉を開くも、予想していた銃声のファンファーレもなく、深々とした静寂だけが出迎えだった。
自らを襲う脅威のなき事を訝しく思いながら、神門は改めてかご内へ戻り、鉄扉をくぐった。
元は豪奢であったろうフロアは今や屍山血河が築かれ、廃墟と化した大伽藍の静けさが支配していた。
住人は死人のみ、
飛散した赤黒い血糊と墨色の義血がところどころ混じり合い、天鵞絨のカーペットに染みていく。揺蕩う埃が唯一生命あるものの如く動き、この
――共倒れ、か?
どうにも腑に落ちないが、立っている者がいない以上、神門はそう結論づけるしかなかった。自分を狙う殺気の類なども感じない。
どんな事態にも即座に対応できるよう、神経を針のように張り巡らせ、油断ない姿勢で彼は目の前の階段を登る。
このタイミングでナビゲーターのエリナとの通信が途絶えたのも、何かの運命であったのかもしれない。
目指す七三階へ通じるエレベーターの所在を把握していないからこそ、神門は何かに導かれるようにメルドリッサの
此処こそ、
人影を感知したセンサーが扉を左右に開き、神門は磔刑の責めを受けた少女の姿を見る。
張り詰めた弓弦だった神経が緩み、不覚にも彼は放心忘我の最中にいた。今、警備兵が踏み込んで来ようものなら、反撃はおろか、彼らの姿を目に収める事もなく、即座に撃ち殺されていただろう。
それほどまでに、決定的かつ危険な瞬間。
この現場を抑えた者が敢えて見逃していたのは、神門にとって望外の僥倖だっただろう。もっとも、彼はその存在に気づいてさえいなかったが――。
強化
黒銀の無骨な機械の桎梏に縛られた白銀の少女はあまりに美しく、だが、だからといって敵中にあって、我を失うほどの不覚を取るのだろうか。
――さくや……?
どこか遠い世界の出来事のよう。神門は差し伸ばした自分の指が、銀花の少女の頬の曲面を割れ物を扱う手つきで撫でるのを見送る。
途端、変異が訪れた。
突如、神門が触れた頬より、銀色の鎖がほつれる。ほどける糸玉よろしく、少女の銀の肌膚を紡いでいた鎖が離れてゆき、少女のは瑞々しい肌色へと変化していく。やがて鎖は絡まり螺旋を描き、それぞれ天地で光の環を作る。
少女を戒めていた桎梏もやがて少女を神門に託すようにほどけると、天地に浮かぶ環光へと消えていった。
呆気にとられていた神門が意識を取り戻すと、引力の手引きに従って墜落しようとする彼女を抱き止めていた自分に気がついた。
今や、少女は人のそれと同じ色の柔肌を一糸纏わぬ姿で、神門の腕の中にいた。
銀糸の長い髪も、今は過去。艶めいた濡烏から下腹部辺りから桜色へ、更に毛先へ向かうほどに桃色へと色階調を変化させた髪は、練絹の煌きが眩しく映る。
均整な造形美は、神の
銀光の環は雲散し、今や辺りに浮遊する
少年と少女の
この場で知る者はメルドリッサ・ウォードラン、ただ一人である。
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