銀杙
王の断罪が、魔獣の爪が、蛇の呀が、三者三様の攻撃手段で以って喰らい合い、そして――。
彼らは至近距離で動きを止めていた。先程までと打って変わって、沈んでいく塵埃だけが音のない空間を唯一泳ぐ。
つ……と、ボブの口端から一筋の義血が垂れる。それを呼び水に喉を義血がせり上がった。一度喉を通過すると、あとは塞き止める暇もない。
「ガハッ」
自らの血に溺れそうになりながら、ボブは苦悶に身体を折る。
絶え間無く吐き出される義血が、砕かれた足元の床面にドリップペインティングを施す。食いしばった歯の間に間から黒い血液が滴っていくごとに身体を支える力が失われてゆくも、ボブは頑として地に伏せるをよしとせず、喘ぎ喘ぎ震える膝を叱咤しつづける。
接触の刹那、ボブの鉤爪の一薙を際どく避けながら、メルドリッサは掌底をボブの胸板に叩き込んでいた。一撃は、ボブの義体に波紋状に衝撃を伝え、耐衝撃機構を貫通して人工内腑を痛めつけたのだ。
無論、傷ついたのはボブばかりではない。
パイソンを乗せたノスフェラトゥはメルドリッサの大鎌の前に屈し、機能を停止していた。
MBは、頭部から胸部にかけての装甲をすっぱりと斬り込まれており、損傷のほどはコクピットにまで及んでいるのかもしれぬ。大鎌は加えて電装系を切り裂いたらしく、引き裂かれた機体の内部から青白く放電の光が木漏れ出る。
やがて、車体を支えていた張力を失ったと見え、ぐらりと斜めへ倒れこんでゆく。
コクピット後部が展開され、内部から躍り出た影が一つ。
巨体が倒れるよりも速く床面に到達すると、全身に衝撃を分散させて着地した。PKロールと呼ばれる受け身だ。
一瞬遅れて、横倒しに巨体が倒れ、衝撃で落ち着きかけた室内の埃が再び舞い広がる。塵芥の
そして、
身じろぎすらせず、彼は僅かに顔を伏せてその表情はつかめない。
彼の足元に積もっていく灰は、降り積もる雪に似ていた。精緻な細工を施された長衫は今やえぐられた跡があり、裂かれた布片がかつての幽玄たる雅を悼むように灰の上にはらりと落ちた。
ボブの鉤爪を躱したものの、パイソンの
顔を上げたメルドリッサの顔色はいつにも増して蒼白で、すでにして屍人の色濃いものとなっている。
だが、王たる者の威厳か、最期にパイソンに微笑みながら賛辞を告げた。顔色はともかく、平時の彼と変わらぬ涼やかさで。
「流石、パイソン……。こうして――私が殺されたのは、二度目か」
さらさらと灰が床に落ちていくのは、吸血鬼特有の強烈な銀アレルギーで身体が蝕まれていっている証左だ。彼を焼く銀の毒は加速度的に全身へと燃え広がって、親密なものに見せる笑みを浮かべたまま、メルドリッサは瞬く間に一塊の灰燼と化した。
メルドリッサだった灰が自分が吐き出した義血を吸って黒いオイルじみていくのを、ボブは耐え難い怒りと共に見つめていた。
「こいつ――俺のモンを奪ったまま……ッ!」
死にやがった。しかも、俺の手にかからずに。と、ボブの激情はメルドリッサを斃した生身の人間へと矛先を向けた。
舞い踊る塵埃も溜飲を下げたか、彼らを包み込んでいた紗幕は既に引いていた。
MBから飛び降りたパイソンは、錦蛇が声無く呀を鳴らして威嚇する姿を刺繍したスカジャンと迷彩のカーゴパンツを着て、その下にはマッスルスーツを着込んでいた。
マッスルスーツ。樹脂製の人工筋肉繊維を編み上げた、生身の身体能力を底上げするパワーアシスト装備だ。
「お前……こいつは俺が殺す予定だったんだ。こいつには俺の
「知るか」
むべもない。いつの間にかパイソンは煙草に火を付けて、紫煙を宙へ吐き出していた。
彼の様子がボブの癇に障ったのは言うまでもないだろう。
満身創痍の義体に鞭打って、ボブはパイソンへ襲いかかった。
大量の義血を吐き出し、まさしく身を擦り減らす戦いを経た今、義体の動きはボブ本人が焦れるほどに精彩を欠いていた。一挙手一投足がままならず、遅く、力弱い。
当然、何の義体処理を行なっていない生身の人間には過ぎた殺傷力なのだが、意識に追いつかぬ
自らが祭壇に供された哀れな生贄である事を理解しているのか、いないのか。
パイソンは不敵な笑みを浮かべながら、カウンターの要領で拳を振るった。
型が良いとは言えない
ボブの鋼化頭蓋は生身の拳では、殴った方が砕けてしまう。
だが、マッスルスーツの篭手がもつ人工筋肉のもつ衝撃減退効果で、その硬い衝撃を和らげたのでパイソンの拳は自滅を免れていた。
――
燃えそうなほどに熱のこもった荒い呼吸にあえぎながら、ボブは心中で吐き捨てる。義体を駆動させる義血を先ほど大量に失った彼に平時の力強さは望めない。
吐き出した義血が回収できればいいのだが、かつてメルドリッサだった灰と混じり合ってしまった今では、取り込んだ方が義体に影響するだろう。
かといって、倒れたMBの義血を奪うには、MBを背負う位置にあるパイソンが邪魔だ。ならば先に
所詮は生身の人間風情。いくら機能の幾らかが鈍化もしくは麻痺しているとはいえ、ボブに勝てる道理もあるまい。
幸運にも当たった先ほどの一撃に気を良くしているのか、余裕たっぷりに紫煙を味わいながら、パイソンはボブを睨みつけてきた。愚鈍な男だ。憐憫の情すら湧いてくるが、結局のところ、彼の態度はそれ以上の怒りの感情をあおっただけだった。
「メルドリッサを殺せなかった八つ当たりかァ?」
「次はそれみてぇにズタズタに裂いて、ダルマにしてやろォォかァァ!?」
「……それ?」
ボブが指さしたパイソンの胸元あたり――鉤爪で裂かれていたらしく、スカジャンが無惨に千切れていた。
「ハァァァーーッ!? 俺の……一張羅のヴィンテージスカジャンがー! ……ってめえ。生身の部分と義体部分を選り分けて、肉屋とスクラップ屋に売っ
顔を伏せて、ふつふつと怒りを篭らせて、パイソンは吸っていた煙草を人差し指で弾くように捨てて――それが合図となった。
「ぶっ殺してやるぜェェ! プレストォォォン!!」
「来いやァァッ!!」
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