梟雄

 その、太古から聳える尖塔の麓――既にカリアティードの気配も絶えた街には、荒涼たる狂風が吹きすさぶ。怨念が籠もった怨嗟の声と聞き紛うような風の音は、或いは本当の意味での怨嗟が籠められているのやもしれぬ。主を押しのけて世界を奪った者達への、怨念が。であるならば、聳える摩天楼はこの者をどうみるのか。自らの主とみるのか、ただの異邦人とみるのか、新たな簒奪者とみるのか……。


 人――人像柱も絶えたのなれば、既に変装の用も無く、人影の一つは塵級機械雲ナノマシン・クラウドが運び、楼閣が撹拌して摩訶不思議に変化する濁流となった風を、自らの髪で受けていた。輝きの薄い金髪が靡く様はそれ自体が独立した触手性動物の如くであり、吹く風とはまた異なった異界の趣がある。石像を模したかのように端正な美貌は無機物ならではの無慈悲なほどに整っていたが、無機物とは一線を画していたのは歪んだ笑みだ。生々しい獰悪な笑顔は、その相貌が美麗であるからこそ却って醜悪であり、また燃える炯眼けいがんが一目視ただけで視たものの背筋を凍らせる。


 ジラ・ハドゥ。金髪の悪魔――殺戮を友とする、生来の殺戮者。この恐るべき被造子デザイナーズ・チャイルドが美貌に喜色を湛えることなど一つしかない。その証左と言わんばかりに、彼は汎用ライダースーツを着ており、その傍らには肉食昆虫じみた蒼いMBが佇立している。兇暴に肥大した右腕の爪牙クロウバイト、無機質さを意味しているかのような縦二眼に揃った複眼式カメラアイ、蒼い装甲に染みついてこびり着いた墨色の義血……。


 MBオドナータ。〝結社〟のフロント企業として存在していた太義タイシー義体公司――義体や義肢関連に於いてトップシェア争いをしていた企業である――が採算と操縦性を度外視して製造したフラッグシップモデルである。もはや尋常な人間の搭乗を想定していないこれは、しかし殺戮の才を存分に引き出されて誕生した被造子デザイナーズ・チャイルドにとっては、まさしく己の手脚の延長、肉を裂き血の滴る感覚までが生々しく感じ取れるほどに馴染む、第二の肉体と言えた。


「さて……今日は楽しませてもらうよ」


 手袋を馴染ませるように着け伸ばしながら、金髪の悪魔は己の乗機を見上げた。蒼い車体は物言わず佇むばかりだが、他ならぬジラにはわかっている。この、戦闘昆虫は何より血肉を欲している。ひとたび手綱を握れば、暴れ馬という言葉すらも生ぬるい勢いで、主さえも噛み殺さんとする激烈さを見せるのだ。そして、それを理解し、完璧に禦せるのはジラをおいて他にいない。


「一応言ってはおくが、神門卿を仕留めるのならば時間にだけは注意を払え」


 いつの間に姿を顕したのか、白い人狼――狼我ランウォが忠告じみた声をかける。


「僕が肝心なところで仕留め損なう間抜けだと思っているのかな?」

「お前もわかっているのだろう。そう簡単にゆかぬからこそ、憎悪しているのだと」


 そう、MBの操縦技術だけとっても、総てのステータスがジラの優秀さを示している。いわば、龍神神門はジラに何一つ――そう、何一つ敵わぬのだ。だが、その事実とは裏腹に〝結社〟での彼の重要度は神門に大きく劣っていた。〝相剋の儀〟を執り行えるのは、龍神神門と氷月虎狛の二人のみ。同じ時に生を受け、総てに於いて上をゆくジラを差し置いて、〝結社〟は取るに足らぬあの二人を最重要視しているのだ。


「簡単だよ……。どちらにせよ、龍神神門が死ねば〝相剋の儀〟を執り行う一柱は喪われる。そうなれば、自然、僕にその役目が回ってくる。森羅万象を統べる、神の座に坐るのは……僕だ」


 真綿で頸を締めるが如き、薄ら寒い気配の漂う独白。尽きぬ谿壑けいがくの超越慾とでも言うべき絶対的自負と驕慢は、確かに生まれついての強者のものだ。その何処までも溢れる慾望のてに待つ圧倒的な力を手に入れて、彼が何をするのか――ジラ自身が思いを馳せている節がないのは、彼にとっての目的こそが力そのものというシステムである故か、強者であるという矜持故か。


「では、その言葉が伊達ではないと、討ちたしてみろ。宿命を打破してみろ」


 人狼は先と同じ意の言葉を吐く。〝結社〟にとっては運命を超克できる者こそが正義、できてこその逸脱者である。抗いがたい世界そのものの規範ルールを超えることができるのか……それは、狼我ランウォとしても是が非でも視てみたい光景でもあった。


「見せてあげるよ。特等席でね」


 危なげなく蒼い車体を登り、操縦席に坐るジラ。前傾姿勢型の操縦席は長時間の操縦には適さないのだが、気を抜けば暴走しかねない肉食昆虫を禦するという意味では、これほど適した姿勢はないだろう。腿で車体を抑え込み、溢れ出る暴虐を意のままとする快感……。これに何度陶酔しただろうか。


 網膜投影式のヘッドギアを装着して、起動――。立ちどころに自己診断プログラムが走り、顕れたプログレスサークルが瞬く間に満たされ、黄から異常なしの緑の円形へと変化する。しかし、ジラにはそんな表示ものがなくても、愛機が戦の予感にいきり立っている様が理解できた。人工筋肉を循環する義血が乱暴に躍動する、その気負いを五感で――否、五感を超えた領域で確かめられる。与えられた設計思想に基づき、純粋にオドナータは殺戮の享楽への予感に打ち震えているのだ。


「ハハハハハハハッ!」


 哄笑も高らかに、ジラはオドナータの車体に収まった性能の限界まで加速した。隣にいた狼我ランウォの存在も顧みなく……。旋風さえ生じるというクワイエットハルディアンの魔の風を向こう取って、駈けるMBはまさしく獲物を狩らんとする狩猟昆虫であり、暴虐の化身。もう、振り返ったとしても、白い人狼の姿は無い。喩え、彼が無事であったとしても、この加速度では視界から消すのにそう長い時間は要しないだろう。


 ――まあ、どうでもいいけどね。


 どちらにせよ、人狼が吹き飛んだとは思えぬし、そうであったとしたらお笑い草だ。残酷な肉食昆虫が羽撃きに耐えられぬ有象無象を相手にする理由は無い。何処までも無情な線引き。不可視の境界線に横たわるのは強者と弱者、或いは勝者と敗者の単純に色分けされた世界だ。ジラは前者、いや彼の世界にとって中心であり、絶対の基準である。この基準にそぐわぬのならば、偉そうにしている人狼など滅してしまえばいい。


 高笑いとホバーブレイドの撒き散らす砂塵を置き去りに、残酷無慈悲の梟雄が戦場へと馳せる。しかし、悪魔は拘泥している相手が己の先の座標にいるという事態を想定しているのか――と白い人狼は思っていた。MBの加速程度で狼我ランウォが宙を舞うわけもなく、しかと二本の脚で大地を踏みしめている。はためく軍用マントが旗の如くに砂埃を孕んだ風に舞うも、如何なる左道の術か、人狼は蹈鞴を踏むどころか一切のゆらぎさえ見せない。


「お前の出番になるかな? 己としては、もう少し後……劇的な役を用意してやりたいが」


 カリアティードの眼、監視システム、あらゆる一切に補足されることなく上空から舞い降りた黎を纏った震狼フェンリルが背後に控えていた。そのコンテナには天君咲夜、と龍神神門が呼ぶ銀姿の少女が収まっている。振り返りながら、応える者のいない問いかけをする狼我ランウォの表情は鉄面皮に覆われて視えぬが、楽しげではあった。

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