砂塵

 雷撃の洗礼をなんとか躱し、砂塵渦巻く王都を遮二無二泳ぎ、二台の推力式浮遊車輛スラスターモービルは王宮空中庭園へと着地した。先立って降下したキルシュタインは推力式浮遊車輛スラスターモービルを捨て、ラミナス卿を伴って空中庭園の室内側へと移動していた。当然、これを追いかけない理由などない。オリヴェイラたちもまた、推力式浮遊車輛スラスターモービルから降りて、後を追う。

 硝子の天蓋ドームに覆われた空中庭園の内側に入ると、ちょうど室内の中心にラミナス卿が鞘に入ったルーペラを片手に携えて佇立していた。その向こうには階段と併設された昇降機が見える。


「――先に行け」


 一歩前に出たのはサダルだ。アタッシュケースに似た巨剣の鞘を床に落とし、彼が着ていたローブをおもむろに脱ぎだすと、示し合わせていたようにラミナス卿もローブを脱ぎ捨てた。サダルメリクがその下に着ていた、七分袖のジャケットのポケットからヘアゴムを取り出し、髪を後ろで結わえた。眼前には古風な胴着を晒したラミナス卿が祈るように、螺旋剣を鞘から抜いている。サダルメリクも巨剣を鞘ごと拾う。


「……任せた」

「任されよ」


 オリヴェイラに応えたサダルは持ち前の悪戯好きな笑みを浮かべた。それは平時の彼そのままの表情だったが、サダルメリクは努めて普段の態度のままを見せていたのかもしれぬ。何せ、実の父親と生命を担保に相対しているのだ。彼が、周りの為に自らの感情を隠す傾向がある事は、オリヴェイラも長い付き合いで理解している。それならば、意を汲んで気づかぬように振る舞うべきだろう。


 サダルメリクの脇、続いてラミナス卿の傍をすり抜けていくも、彼の視線は息子の挙動のみに注がれていた。




 オリヴェイラたちが乗ってきた推力式浮遊車輛スラスターモービルは彼らを下ろした後、直ちに再度浮遊を開始し、王宮の階層を外側から降下していった。推力式浮遊車輛スラスターモービルの運転席にはカウスではなく、神門が座っていた。


 やがて、王宮の地上層にまで到達した推力式浮遊車輛スラスターモービルから飛び降りて、神門は王宮内に侵入する。既に衛兵たちにはキルシュタインが階上から侵入した事は伝わっている。推力式浮遊車輛スラスターモービル内からオリヴェイラはMBを用意するよう指示をしていた。階上からオリヴェイラ班が階下から神門と、キルシュタインを挟み撃ちにする算段だ。


 正面玄関を抜けると、一人の衛兵が待ち構えていた。


御笠滝峰みかさたきみね殿ですね? こちらにMBを用意しております」


 迎えの衛兵に案内された先は格納庫だった。バラージではMBの普及率がそれほど高くないので、格納庫もお世辞にも規模が広いとは言えない。その庫内で、静寂に包まれて鉄の巨人が整然と佇立していた。外人部隊から衛兵となった者のために用意されているものだ。王宮仕様とあって、床面を刻み進む無限軌道は流石に躊躇われたのだろう。各車体の脚部には無限軌道ではなく、足に当たる部分の無い、標準装備のホバーブレイドが採用されていた。


 はたして、用意されたMBはオーデルクローネだった。MBの基本動作は共通規格化されているので、一度も搭乗した事もないオーデルクローネであっても、戦う事は充分に可能だ。神門自身が信頼性と慣れからサイクロップスを好んでいるだけで、バラージ王国外人部隊及びオリヴェイラが制式採用しているオーデルクローネが用意されていたのは当然と言えば当然だ。勿論、用意されているMBが不足と文句をつけるところもない。


 即座に乗り込み、始動キーである認識票ドッグタグを差し込む。網膜投影型スクリーン搭載のフェイスガード付きヘルメットをかぶると、環形のアクセスマークが円環を絶えず描いて、OSが起動中である事を表している。やがて、不備なく起動を完了したOSによって、カメラアイに映る外界が神門の網膜に再現される。続いて、各部チェック画面が右上部に表示され、車体状態のチェックと同時に認識票ドッグタグに登録されていた車体設定を反映させる。プログレスバーが左から右端へと達するごとに、車体各部の安全性の確認と車体自身が神門の特性に調整が完了していく。OS起動に二秒、車体精査と調整に一秒半。先の、廃品を寄せ集めた鉄の屍人であったオーデキュロープとは比べるまでもない、申し分ない仕上がりだ。


 装備はバラージ王国、それも王宮内仕様とあって、近接武装しか持ち合わせていない。元々、接近しての攻撃コンバットを得手とする神門から見れば、相手が射撃武器を使用しないのであれば、過不足ない装備といえる。


 外部スピーカーを入れON、外で見守っていた整備兵に警告する。


『起動完了。これより五秒後に追撃を開始する。各々、退避を勧告する』


 神門の電子的に増幅された声に、整備兵たちは王宮内部へ続く扉を開き、または進路の確保に身を引いていく。心の中で秒読みを開始カウントダウンする。


 王宮内地図マップを呼び出して、視界の左上に固定させる。(――四)王宮内に設けられた位置受信機のお陰で、砂嵐の影響を受ける事なく、現在の階層と現在位置が表示されている。(――三)


 今回の事はキルシュタインが――ラミナス卿を伴っていたとはいえ――単独とされる状態である以上、オリヴェイラとそのキングダムガードの四人で当たらねばならない。(――二)これは革命などではないが、それでもオリヴェイラが王位継承権を獲得するには、彼自身の力で王族のみそぎを行う必要がある。バラージ王国において、無権能者が王となるにはそこまでの実績でって、民の信任を持たねばならぬのだ。(――一)そう言ったアラカム翁の言葉は、おそらくは正しいのだろう。オリヴェイラは異を唱えることもなく、それを実現しようと今奔走している。


 ――〇。


 思考と分割して刻んでいた秒読みが〇に至った瞬間に、神門はそれまでの思考諸共、搭乗しているMBと同化した。ペダルを踏み込む足が、ホバーブレイドが重力を裏切って大気を踏む感触を捉える。それは錯覚でも妄想でもない。類稀なる搭乗兵器に対する才能が彼を感覚的に車体そのものとした証左だ。彼が網膜投影された画面表示を確かめるまでもなく感じ取っていた通りに、今、オーデルクローネは床面から五十センチメートルほど空中に浮かんでいる。


 はたして、神門は一気に宙空を滑走した。砂漠を大気を操作する事により浮遊していたカウスと見かけ上は同じだったが、対象が三メートル級のMBとなっては、その光景は圧巻だった。巨人が通った空白の空間に、空気が流れ込んで、格納庫内の大気が乱れ風が逆巻く。風が収まった頃には、整備兵の視界からオーデルクローネの姿は完全に消えていた。




 窓の向こうの塵風は勢いを少し弱めたらしく、揺れる窓枠も先ほどまでの身震いするような音を収めつつあった。


 先に王宮内に潜伏したキルシュタインを追って、オリヴィーとカウスメディアは上層から一部屋一部屋確認しつつ、下層へ降りていた。


「――なんか不気味だな」


 オリヴィーがごちる。確かに不気味だ。苛烈な性質をもつキルシュタインが襲いかかってきてもおかしくない――むしろ、それを警戒していたというのに、王宮内は外から吹雪く豪風に反して静寂を保っている。カウスメディアにしても、いつでも権能を扱えるよう心得ていたのだが、想定よりも長時間に及んだ探索に疲弊を感じていた。


「確かに、ね。けど、こういう時こそ、猛獣は襲いかかってくるって相場は決まってる」


 荒獣にしてもそうだ。だからこそ、緊張の糸を張り巡らせているわけなのだが……。


「これで王宮の外に出てたとかいう落ちは勘弁してもらいたいが……」

「下層からの神門もまだ発見できていないようだしね。けど――」砂塵が絶え間なく吹き荒ぶ窓の外を見つめる。「流石にそれはないよ」

「そうだな。叔父上――キルシュタインはかなりプライドが高いタイプだしな。王宮の外へ逃れるのは追い詰められている気がして嫌だろうからな」


 オリヴィーは手の中のアサルトライフルを持ち直した。そのアサルトライフルは外人部隊で使用されている物を無理言って譲ってもらったものだ。バラージで銃火器を都合するには、数少ない密輸品か外人部隊経由で入手するしかない。幸い、オリヴィーは引退した前外人部隊の部隊長と顔見知りだった。彼と渡りをつけ、ヴァレンタイン王の暗殺の真実を告げ、彼の伝手で銃火器を用意してもらったのだ。


 王宮の外壁のすぐ内側に当たる廊下の突き当りが見えてきた。外壁に沿った廊下はそこから右に曲がる構造となっている。相変わらず、窓は砂色に染まったままで、王都の摩天楼も今は蜃気楼だったように消えている。


「神門? こちらオリヴェイラ。まだ発見に至らず。そちらは――」


 突如耳朶を激しく殴打したけたたましい音に、彼の言葉は最後まで続かなかった。続いて、砂塵を孕んだ突風が髪をなぶった。咄嗟に、廊下に立ち並んでいる神々の石像へと身を潜める。カウスメディアは右、オリヴィーは左――ちょうど、廊下の外周側と内周側に別れた形だ。視界の端で、深紅の天鵞絨ベルベットの絨毯を砂色の粒子が蹂躙していく様が見えた。オリヴィーの方を見ると、とりあえずは無事とアイコンタクトしてきたので、軽く安堵する。


 先ほど、一瞬だけ視界に入った光景は、突き当り側の窓が内側に硝子をまき散らし――つまり、外側からヽヽヽヽ窓を破られたという事実を物語っていた。ただ単に、風に飛ばされた何某なにがしがぶつかったか、風圧に圧されて窓が限界を迎えたか……。そうかもしれない……だが、『それ以上』なのかもしれない。少なくとも、カウスメディアは物体が窓から飛び込んできた様子は捉えていないし、それまでに風圧が若干とはいえ勢力を弱めていたことを確認していた。


 祈る神々の石像から恐る恐る顔を出す。砂塵がひっきりなしに侵入してくる窓、窓に近い位置からグラデーションのように砂色から深紅へ色を変えている天鵞絨ベルベット、そして風塵に曝されてもなお祈りを続ける神々の似姿。それだけが視界を支配していた。


 ――気のせい……? まさか?


 だが、現実に何の姿も見えない以上、そう処理するしかない――と、そこまでカウスメディアが思考を移した時。


「~~~~~~~~~」


 轟々たる咆哮が声境しょうきょうに覇を唱えた。彼らは知っていた。辺りの大気を支配した、砂嵐の轟音すら敵わぬ吠え声を。不意の轟音は彼らに耳を押さえて身を縮こませるといった、至極生理的な当たり前の行動を強要させた。ひとしきり空間を揺るがした絶叫が途絶えると、散々に痛めつけられた鼓膜が甲高い耳鳴りを起こしていた。


「まさか、だろォ?」


 オリヴィーの唖然とした声も尤もだ。カウスメディアも悪い冗談だと思いたい。願うことなら、早く床について夢の出来事として自分を騙してしまいたい。だが、現実は悪い冗談が好みだったらしく、足元の天鵞絨ベルベットを侵略する砂塵のように、圧倒的な現実感リアリティで彼らの意識を蹂躙する。


「ラリオウス――ッ!」


 そう、咆哮と共に窓の向こうから顔を覗かせたものは、四人がかりで何とか倒した暴竜ラリオウスだった。外壁が悲鳴をあげる声が聞こえている。おそらく、その強靭な握力で王宮の外壁に取りついているのだろう。


「~~~~~~~~~~~」


 己に屈辱を与えた彼らを憶えていたらしく、こちらと眼を合わせた瞬間、より一層高く雄々しく吼えるラリオウス。その、苛烈な食物連鎖の頂点に立つ威風の前に、ちっぽけな人間風情――それも二人など病葉わくらばにも等しいだろう。


「絶望的だね~……」


 流石に、そんなありきたりな感想しか声にならなかった。




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