剣鋩

 MBのカメラアイに搭載されている熱分布図機能サーモグラフィを駆使し、神門は破竹の勢いで下層から上層へと駆け登っていた。巡航速度はほぼ固定、カメラアイで人の有無を確認し、反応のない部屋には目もくれない。上層から降りてきているであろうオリヴェイラたちと比較すると、その探索速度は語るまでもなく圧倒的だ。


 マップによると突き当たりを右へ行くと階段がある。網膜投影された視界の右上部、四角に切り抜かれたナビゲーションマップを横目で見やりつつ、突き当たりまで敵影がない事を確認。


 焦りすぎても事を仕損じるが、かといっていつまでも時間を浪費していい理由にはならない。時間が経てば、キルシュタインに冷静に考える隙を与えてしまう。


 いささか過剰な速度で角に突っ込み、直前でブレーキステークを打ち込む。だが、速度を出しすぎたか、制動のタイミングが遅かったのか、またはその両方か。速度を殺しきる事ができず、むなしく火花を散らせながら、サイクロップスは床面を天鵞絨ベルベット絨毯ごとえぐりながら流されていく。あわや激突寸前かと思われたその時。


 前傾姿勢はそのままに、片脚を支点として機体頭部を内側に旋回しつつ、もう片方のホバーブレイドを角の内側へと加速させる。致命的なオーバースピードで激突するかと思われたそれは、寸前、脚部と床面の摩擦で火花を散らせつつも、内側へと向かう推力で強引に曲がりきり、狭い直角カーブを脱出した。その床面には脚部との摩擦熱で生じた二条の黒く焦げ付いたラインがくっきりと刻まれている。


 王宮の床面の被害を抑えるためのホバーブレイドだが、激しい操作の前には浮き沈みが発生する。残念ながら今の神門には、深紅の天鵞絨ベルベットとその下の床面の抗議の断末魔を斟酌しんしゃくしてやる余裕は、ない。せいぜい、この後でオリヴェイラに頑張ってもらうことにしよう。


 総てが片付いた後のオリヴェイラにツケをして、神門は王宮の廊下を自殺未遂の綱渡りにも等しい速度で奔る。到底人には不可能な速度域での登高は、実にオリヴェイラとカウスメディアがいる階層より五階下にまで迫っていた。この階層で今登っている階段は終わりだ。


 ナビゲーションマップによると、王宮内のちょうど反対側に次の階層へのかけはしが待っている。階段を上り詰めると、この階層に続く眼前の鉄扉を蹴破り、一層の殆どを占める舞踏場へと脚を踏み入れた。ひん曲がって蝶番を破壊された鉄扉が飛び、深紅の絨毯の上を滑った。


 ――照明が灯っている?


 砂漠の民は水資源の確保と節約を骨身に沁みるほど理解している。普段、利用しない照明は例え王宮だろうと完全に消灯されている。現にここしばらくの階層は人一人いなかった事もあり、照明が消されていた。熱分布図機能サーモグラフィ暗視鏡機能ナイトビジョンを併用していた神門は、ちょうど後者を使用していた事もあり、増光された視界に惑った。急ぎ、通常視界に切り替える。


 目の前に現れた光景は、それでも目も眩む景色だった。質実剛健な作りをよしとしている王宮は、豪奢に見えてその実かなり洗練された落ち着きを払っている。だが、舞踏場に至っては、客人を招き入れる理由もあってか、かなり華美な装飾を施されている。装飾柱には、王宮の殆どの面積に渡って敷き詰められた天鵞絨ベルベットと同じ深紅の飾り布や旗が飾られ、きらびやかなシャンデリアからは複雑に反射された光が金剛石の如き虹色に変光している。だが、最も瞳に眩しく映るのは、金箔を貼られた絢爛たる内装だろう。深紅の布飾りも、シャンデリアも、この黄金の輝きに色を添える脇役にすぎない。


 ふと舞踏場の中心に二人の男女の姿が見えた。一人は長い栗色の髪も美しい、緋色の瞳をした少女。そして、もう一人は――流れる金髪に紅色の瞳が妖しく光る美丈夫。黒字に紅で複雑な刺繍を誂えた長杉を見事に着こなしている。ともすれば、滑稽に見えるほどに華美な装いであるというのに、男にはひどく映えていた。


「やあ、久しぶりだな。――龍神神門」

『メルドリッサ――ウォードラン……』


 脊髄反射でバナイブスを抜き、切っ先を美丈夫へと向けた。この切っ先が無限に伸びれば、美丈夫の喉元を正確に貫いているに違いない。無意識の行動とはいえ、そう確信できるほどにバナイブスは美丈夫――メルドリッサ・ウォードランを制するように、ひたり……とゆらぎ無く構えられていた。




 陰にも映らぬとはこの事か。目にも留まらぬとはこの事か。手元から一直線に急所を突く螺旋剣を巨剣でいなすサダルメリクの瞳を、螺旋を描く刃の照り返しがちらりちらりと射る。半ば予測というより予知、研ぎ澄まされた勘でサダルメリクは銃火器の弾丸もかくやといった剣速に、かろうじて対応していた。


 父の権能は身体機能の速度向上だ。基本的に自らを加速させる能力だが、上げ幅は大幅に減らされるが他人と加速を共有する事もできる。現在、単独使用している父の剣速は眼で追いつく領域レベルではない。荒獣の速度が野生のあるがままの膂力任せであるならば、こちらは権能に裏打ちされた無駄を極力減らした体技の速度だ。


 危ういながら、その迅速な剣尖を浴びてもなお、サダルメリクがその身の陵辱を許していないのは、ひとえに卓越した剣士としての勘とそれに逐一反応し切れる身体能力あったればこそだ。ルーペラに合わせた父は、刺突という点に関しては他の追随を許さない身体能力をもち、権能なくしても充分に高速だ。その高速に高速を重ねた刺突は既に人の反射神経に留まる速さにない。放ったが最後、結果だけが残る――そういった類の必殺剣だ。しかし、眼に映らぬ速度域より飛来する刺突とあれば、そうと心得ていればよい。元より、速度においては対応しきれぬのは自覚している。色境に捉えられぬのならば、それが超音速の銃弾であろうと光速のレイザーだとて全く変わらない。


 そうして、サダルメリクは、剣尖から覗く刀身の長さで角度を測り、持ち前の勘働きで軌道と機を予測して、刹那の刺突を捌いていたのだ。確かに、刺突は狙い能わず命中すれば、文字通りに必殺だ。そこに反駁の余地はないが、反面、どこまで言っても対手側から見た場合は二次元的な点の攻撃にすぎない。狙いを外せば防御を貫く必性はあれど、急所を刺し穿つ必殺性は損なわれる。それに加え、直線を辿る軌道だからこそ、ベクトルの変化には極めて脆い。


 螺旋剣の勁力けいりょくを収束された刺突は、いくら肉厚だとて巨剣ですら盾の用をなさずに貫通される。元より、刃圏内の尽くを刺し貫くルーペラは、防御という概念を突破するために編み出されたと言って良い。その刀身の届く範囲においては、たとえMBの装甲ですら穿孔せしめる螺旋剣に相対するには、攻撃を最大の防御と心得ての特攻か、刺突を巨剣で滑らせて軌道をそらすか、先々の先を読み取って機先おこりよりも先んじる勢いで躱しきるか。だが、このラミナス家当主――父に限って言えば先々の先を読み取ったところで避けきる事はできず……。そして――。


「ぐっ」


 刃金と刃金が擦り合い、互いを削る耳障りな音がした。今のは際どかった。今まで角度を付けて螺旋剣を巨剣で滑らせて捌いていたのだが、角度が浅すぎた。なんとか、奪命の剣尖をそらす事には成功したものの、あと一度でも浅ければ巨剣ごと貫かれていたに違いない。ただ、必殺を確信していた刺突は、父の無意識領域で技にいらぬ力を与えていたらしい。父の荷重が、そらされたルーペラと共に僅かに流れる。分毫ふんごうとはいえ身体が流れた父の隙を見逃すサダルメリクではない。そのまま、強引に巨剣と接触している螺旋剣を圧す。


 親子とは思えぬほどサダルメリクと身長差のあるラミナス家当主では、迫る巨剣の圧力に単純な力比べで抗しうる事はできない。畢竟ひっきょう、体格で劣る父は潔く後退するしかなく、サダルメリクの間合いの埒外へと退避した。


 ケモノオロシの刀身を見れば、先ほど滑らせた螺旋剣の軌道を、その特徴的な刃が幾重にも斜めに刻んだ痕が轍のように残されている。かくも恐ろしき傷痕は、これがベクトルを多少狂わせられても、穿孔力を保持しているという明らかな証だ。


 そして――父に限って言えば、防御を捨てて攻撃に変じるなど愚の骨頂、度し難い悪手だ。一瞬にて煌めく螺旋剣に対して、立ち回りの大味なケモノオロシなど、一撃浴びせるまでに幾度殺されるのか分からない。切るという一点において殺ぎ澄まされたケモノオロシは剣尖が存在しない。突きという対手との最短距離を、そして最も長距離まで届く剣技を封殺されたケモノオロシの振りかぶって振り下ろすといった一定のモーメントが、螺旋剣の前ではあまりにも遠い。ならば千日手を覚悟して、明確な隙を見切り勝負に出る。


 だが、サダルメリクは焦っていた。ここで、父を留めておくだけならばそれでもいい。しかし、階下へと降りていったオリヴィー。カウスと二人とはいえ、無権能者が生身でキルシュタインと相対するという事実は、サダルメリクを焦燥にかるには充分だった。冷静を心がけてなんとか耐え忍んではいるが、それでも焦りが剣に出そうになる。確実に父を倒す手立ては千日手――だが、そこまで時間はかけられぬ。


「サダルメリク……。お前はオリヴェイラ王子が王の器として相応しいと思うのか?」


 ゆるゆると、ルーペラという矢を番えた弓を引き絞るような構えを取り、父が――いや、ラミナスが問うた。


「? 相応しい?」

「左様。権能を扱えぬ王子が、はたしてバラージにおいて王たる資格があるのか、と問うておるのだ」

「…………」


 言われて初めて気づいたが、幼き頃にサダルメリクはオリヴィーがいずれ王となると聞かされて育っていたため、王たる資格とやらを考えたことすらなかった。だが――。


「さて? はたして王たる資格に権能がありきという考えは如何なものか、とは思いますが。


 そもそも、絶大な権能をもっていようと、そこに王たる自負と責務を心に留めていない者が王を名乗っている現状こそどうなのですかね?」


「ほう。キルシュタイン陛下こそ王に相応しくないと? ……残念だよ、サダルメリク。馬鹿な子ほどかわいいとはいうが、息子とはいえ陛下に対する不遜は断じて看過する事はできぬ。

 我、バラージ王の盾にして刃たるラミナスが執行する。我が誅滅の刃を身に受けて、犯した罪にけ。受ける罰になげけ。偉大なる王の名とラミナスの名を心に刻みつけ、冥府に落ちよ」


 過去、ラミナス家が王の護衛と死刑執行を兼任していた時代の、宣誓式を略式ながら厳かに告げる。彼が宣言したのは、言うまでもなく、サダルメリクの処刑だ。


 大気が帯電したような気配。砂嵐の轟々たる聲響こえは、羅刹国より吹く豪風か。修羅の攻防の中の凪は、却ってその後の峻烈な戦いの気配を否が応でも予感させる。


 砂嵐のものとは違う、生物の咆哮めいたこえが耳に届いた。或いは、風が縦横無尽に吹き荒ぶ、嵐の産声だったのかもしれない。


 肌がざわめく。無機質な殺気が波濤の勢いで押し寄せる。その殺気を正確に辿って螺旋剣がひた奔る。いなす――ザリザリと刃金同士が覇を競う、鬨の声が耳を苛む。ここは、砂嵐が見守る羅刹国。豪風貫く雷光流転の剣と、暴風を断ち切る荒獣殺しの豪剣が交差し、旋風に身を任せた砂塵だけがそれを見守る。

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