流転
「シィッ!」
口蓋にかすらせた、独特の吐息の声を聞いた。同時に、オリヴェイラの顔面へと、ポケットに入っていたはずのキルシュタインの拳が奔る。元々、彼はサダルメリクほどではないが恵まれた肉体の援護として『王権・勅命』を使用していたらしい。ならば、まずこの場で最初に頼りにするのは自分の身体であるのは、容易に想像がつく。そして、予想がついていたからこそ、その拳はオリヴェイラの肌に触れることはなかった。
「チィッ!」
その拳を受け止めたのはサダルメリクだ。体格的に、四人の中でキルシュタインの拳を確実に止められるのはサダルメリクのみだ。そのサダルメリクが左の掌で拳を受け止めた瞬間、ラミナス卿が腰の剣を抜く。穿ち撃つ、とでも表現すればよいのだろうか。螺旋の動きを孕ませた一刺しはその刀身が届く範囲の総ての物を刺し穿たんと、大気さえも巻き込み刃でえぐり込んでいく――はずだった。
螺旋の刃を留めたのは、キルシュタインの額と胸部に合わされた銃口だった。螺旋剣の切っ先はオリヴェイラの喉元にまで伸びていたが、その肌にまでは到達する事なく、静止していた。主君の生命を握られていることを認めたラミナス卿は、その完成された剣技の軌道を権能で止めたのだ。
「オリヴェイラ王子――あなたは、」
彼が細目を瞠目させているのは、君主の生命がオリヴェイラの手中にあるという事実からだけではない。それ以上に、バラージ王国において禁忌とまでされる銃火器を構えているという眼の前の現実が、到底信じきれるものではないからだろう。キルシュタインとラミナス卿が動いた事で騒然とした本会議場の議員もまた、その事実に気づいたようで息を飲む声の後に、怒轟のような喧騒に包まれる。議長が
「オリヴェイラ、貴様……バラージの王族たる誇りも忘れたか!」
「誇り?」
オリヴェイラは不敵な笑みを浮かべて、首を傾げた。必死に抑えている震えた声から察するに、内心ではかなり無理をしている事だろう。
「誇りとはなんです? 先王を暗殺し、民にも真綿で首を絞めるような圧政を強いる事ですか?
私は無権能者ですよ? 身を守る為に銃を扱う必要の前では、権能者の誇りなど私たちには関係ありませんよ。グロリア様の言葉にも権能を持たぬ者も火器を扱うな、とはありませんしね」
「俺を王位から遠ざけてどうするつもりだ?」
「さて? まず、陛下が王として相応しいのかどうか、また信任投票をしなくてはなりませんね。ただ、国王暗殺は国家反逆罪で裁判なしの求刑になりますが……。――おっと、もう陛下ではありませんでしたか」
うまい。一度、陛下とわざわざ言っておいて後で否定する事で、現状を再認識させて挑発している。はたして、挑発の効果は覿面であったようだ。憤怒に染まった顔色が今にも噴火しそうな様子に、ラミナス卿の諫言の声が上がった。
「陛下! お気をお鎮めてください。ここでお怒りになられるのは、彼らの思う壺です」
「むっ……」
ラミナス卿の声に若干落ち着きを取り戻したキルシュタインは、観念したジェスチャーに両手を上げた。
「分かった。いいだろう。告白するよ。俺が、先王を殺したんだ」
国を揺るがす大スキャンダルに、本会議場は激動に揺れた。ざわめきが支配していく中、意外にもあっさりと事件への関与を認めたキルシュタインにオリヴェイラは驚きを禁じ得なかったようだ。そして、迂闊にも彼は、キルシュタインの反抗するのにも遠い手の位置から油断が生じていた。先王殺害の主犯はそこに付け込んだ。
もし、攻撃をしようとしたのならば、サダルメリクがいち早く反応していただろう。もし、オリヴェイラの銃を奪おうとしたのならば、先に彼が気付いて発砲していただろう。だが、ここでキルシュタインが取った行動は、彼の気性からは意外に過ぎるものだった。
「ラミナス!」
逃亡。完全に虚を突かれた形となったオリヴェイラは絶好の発砲の機会を失ってしまった。後に続いて、ラミナス卿が奔る。
「……逃すかッ」
一歩下がった位置だったからこそ反応し得た神門が後を追いかける。遅れて、オリヴェイラたち三人が続く。扉をくぐると、国会議事堂の廊下を奔る二人の影。かなり、速い。おそらくはラミナス卿の権能。後を遮二無二追いかけるも、次第次第に距離を開けられていく。幸運だったのは見失う距離を開けられる前に、国会議事堂の構造上の問題で直線の廊下が続く場所に出た事だ。いくら、距離を開けられたとしても、この直線距離では見逃す事はない。
「そうだ。正面玄関へ向かっている」
オリヴェイラが携帯端末に連絡している。警備兵に連絡しているのだろうか。
突き当りの玄関口。ここを抜けられたら逃げおおされる可能性が高い。だが、目算では扉を開けている
発破が炸裂したような爆音。離れていてもはっきりと分かるほど、木屑が辺りに撒き散らされていく。その向こうから、外の砂嵐が入り込む。
「むっ!」
口や眼の中にまで侵入しようとする砂の粒子に、瞼を薄く閉じる。その薄闇の中で黒塗りの
「……逃げ切りやがった」
「まだだ! 今の
オリヴェイラが再び携帯端末で指示を飛ばしていると、既に心得ていた兵が
「行くぞ、乗り込め!」
兵が運転席から出ると、既に幼なじみ内では運転手は決定しているようで、確認を取らずにカウスが運転席に滑りこむ。シートベルトもそこそこに、一気に法定速度も何処吹く風か、カウスが運転する
砂嵐を泳いでいた
「ッ――!」
轟々しい外気は砂の豪雨でまともな視界は望めそうにない。このような天候下で
砂の粒子の彼方で閃光が奔った。火山雷――砂嵐の粒子の摩擦は、まさに雷電を灯すほどの激しさにまで及んでいた。砂塵の激流に潜む鳴神は、それにあおられながら必死に泳ぐ
撹拌されるような乗り心地の
「あ、おぉ……! お、お、お、お、追い追い追い~~付けるのか?」
舌を噛み切りかねない状況の中では、まともに喋れている方だろう。
「さあね。な、ん、とか~。尻尾に付いていっ……てるけ――ゥブァッ」
律儀にも応えようとしたカウスメディアだったが、流石に運転手自身でも把握できない車体の挙動がもたらした浮き沈みに、語尾まで持たずに舌を噛んだ。それでも、ハンドル操作には全く影響が出ていないのは大したものだが。
「す、すま……。もう、何も言わなッ――!」
先ほどは噛まずにいられたオリヴェイラもとうとう同じ目に会ってしまった。後部座席で慣性の虜にされていた神門とサダルメリクは思わず目を合わし、肩をすくめた。
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