窖獣

 神門とオリヴェイラは跫音あしおとを潜めて、洞穴の出口へと歩を進めている。アラカム翁が言うには、最近になって出口付近を荒獣が巣にし、閉じ込められているかたちになっているという。アラカム自身としてはそれ自体に関しては痛痒にも感じないらしいが、時折物々交換に応じてくれる行商の足が遠のいてしまい、調味料等といった生活必需品を手に入れるすべが無くなってしまった。苦々しい顔をしていたのはむしろ行商との物々交換の下りで、隠者となったとはいえ、生きるためには浮世に最低限とはいえ干渉せざるをえない、彼なりに皮肉を感じている部分であるようだ。


 今日のところは様子見だ。できれば見つからぬよう、そして、危ういとなれば即座に逃げ出せるよう、慎重に歩く。そもそも、二人とも無権能者の上MBもない。権能者のように強引に事を運べようはずもなく、せめてその出口に巣食う荒獣を見定めて対策を練ろうとしているのだ。


 洞穴のはだは自らほの明るい光を発する苔に似た植物が貼り付いており、充分な明るさとは言えないまでも視界は思っていたよりは良好だ。逆を言えば、それだけに見つかりやすいとも言える。忌光性の蟲の如くに岩陰に身を隠し、新たな陰を見つけては密やかに移りゆく。次第次第に植物が灯すそれよりも確かな明るさが輪郭を帯びてくる。同時に彼らが歩く洞穴に自然に作られた回廊も比例するように広さを増していく。出口ゴールは近い。


 ずむっ、ずむっと足元から断続的に震動が伝わってくる。くだんの荒獣の跫音だろう。息は薄く、脚は密やかに。警戒の糸を張り巡らせ、暗がりを足がかりにそろそろと伝い歩けば、そらの白光が瞳を感光した。出口に相違あるまい。

 だが、外の光との邂逅もつかの間、天岩戸の扉は巨大な陰に遮られた。


 ――お出ましらしい。


 神門がハンドサインで上を指し示すと、オリヴェイラは下を指し、続けて回り込むサインを送ってきた。彼らが交換し合ったサインは、神門が上から、オリヴェイラは引き続き下から岩影を渡りながら様子を伺うという意味だ。お互い頷き、情報の交換を確認しあうと、神門は石柱じみた岩をよじ登りだした。手がかり足がかりになる突起が多い岩柱は、予想以上に登りやすく、速やかに目をつけていた地点ポイントまで到達した。目をつけていた通り、突起が均衡を保つのにちょうどよい塩梅あんばいに間隔で存在しており、神門はそこから首だけ乗り出して震動の主を覗き見た。


 それは、すだれのように垂れた体毛に細長い顔がついたような荒獣だった。体高は約四メートル、体長は約五メートルほどか。荒獣としては小型の種だ。一目見れば、体毛のせいで体躯が非常に肥大しているように見え、鈍重な印象を受ける。だが、つぶさに観察すると、体毛から垣間見える四肢からは、それを裏切るようにしなやかかつ細くも力強い筋肉が息づいているのが分かった。アラカムによると、ドブルという荒獣だ。


 ――MB無しで戦うには厳しい相手だ。


 即座に彼我の戦力を冷徹に判断すると、神門はオリヴェイラに撤退のサインを出す。……オリヴェイラより了解のサインが戻ってきた。


 見つかれば厄介なことになりかねない。登った時よりも慎重に岩柱を降りていく。ここで焦って岩を踏み外しては悲惨だ。落下の憂き目を逃れたところで荒獣に見つかってしまう。薄氷を履むが如く、焦燥に逸る精神こころの手綱を締め、地に脚がついた頃には神門のこめかみには汗が光っていた。


 傍にオリヴェイラが近づいてきた。彼は彼で距離的に近い場所にいたからか、岩陰に這いずり回っていたらしく服の至るところが汚れていた。ひとまず、どのような荒獣かは確認した。頷き合うとそのまま彼らは姿勢を低くし、来た時と同じく陰へ陰へと移り渡り、仄暗い地の底へと戻っていった。

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