枯渇

 荒野を歩く翳二つ。言わずもがな、神門とそして〝ゼクスルク〟と樋嘴の王の名で呼ばれた青年だ。神門はというと、MB小烏丸の胸部ハッチを開いた状態で歩行をさせ、ゼクスルクは徒歩。三~四メートル級のMBと人の歩幅とは明らかな隔たりがあるというのに、ゼクスルクは不思議と小烏丸と歩調を合わせている。それも、当然のことのように。この光景だけでも、彼が尋常の者ではない証左と言えた。


「…………」


 眼鏡とフードで隠されたゼクスルクの表情は窺い知ることができぬが、それはMBをはじめとする機動兵器に対応した汎用ヘルメットを被った神門も同じだ。お互い、相貌を見せぬ二人の旅人の姿は余人が見かけたとなると、奇異の視線を注がれるだろうが、見渡す限り灰色の荒野には何者の翳も無い。


 肩を並べて――と言うには、MBとゼクスルクのそれらは高低差がありすぎたが――歩く樋嘴の青年を横目で見やりながら、神門は彼と出会った瞬間を心中で反芻する。


 茂る葉叢を冠に、孤独な王が擱座していたあの時。脳内に響いた〝聲〟の正体は未だに判明していない。


 ――黒き君よ。あなたのアニマを畸嵬像きかいぞう兦軀なきがらに注いでください。 


 謎の〝聲〟に半ば導かれて、〝穢れた白鵶はくあのゼクスルク〟のかつて白かったであろう甲冑に触れた途端、孤独な王の時間が再び動き始めたのだ。


 アニマ――天より降る、樋嘴を駆動させるエネルギーと聞いている。しかし、神門は義体処置者サイボーグではないどころか、脳内チップ処置すら行っていないまっさらな生身ニュートラルボディだ。一〇を超えるメートルの体高を持つ機械が駆動できる程のエネルギーなど持ち合わせてはない上に、それを畸嵬像きかいぞうに〝注ぐ〟ことなどできよう筈もない。そもそも、アニマが如何なるエネルギーであり、それがどのような機巧からくりで樋嘴を動かしているのか見当すらついていないのだ。


 緑の玉座から立ち上がった〝穢れた白鵶はくあのゼクスルク〟は、瞬く間に虹色の燐光を拡散させると、燐光の放出に応じて存在を透けさせていき……最後に青年の姿だけを残して消えた。


「黒き君よ。貴方に忠誠を誓います……」


 跪いて自ら宣誓を行った青年は、今、MBの歩行に合わせて歩を進めているというのに、汗をかくどころか些かも息を切らせていない青年だ。


 やはり、尋常な存在ではないと思われたが、神門も常軌を逸脱いっした存在には多少憶えがある。三つの白い影法師、黄金の輝き持つ吸血鬼、魔性と憎悪で駆動する総身義体者パーフェクトサイボーグ、驕慢と狂気を糧として化生と化す被造子デザイナーズチャイルド、蒼い宝石で同化した巨大猛獣へと変ずる暴君、神のからだを喚ぶ銀姿の少女。そして――畸嵬像きかいぞうから人の姿へ〝転換〟した青年も、この世の理を歪めた逸脱者だ。逃れられぬ悪夢は未だ継続している。恐らくは、悪夢に取り込まれてその一部へと成りてるか、彼の瞳に巣食う復讐の蒼い熾火が消えるまでは……。


 今向かっている先は、ゼクスルクが感知しているという〝特別な樋嘴〟の座標である。彼が求めるウィータと呼ばれる特性を持つ樋嘴。それに神門が付き合う義理はないのだが……。


 ――来たか。


 灰色の荒野に濛々たる土煙が舞い上がる。戦闘服とは思えぬ瀟洒な白いドレスを纏ったカリアティード――〝白騎士〟の姿がそこにあった。〝白騎士〟は五人。判を押したように同じスレッジハンマーを手にしている。華奢な女性の手に巨大なスレッジハンマーが握られた様は異様に思えるが、しかし相手は銀河人類の身体能力を遥かに超越する存在だ。外見から判断するのは愚考。斃すべき敵と判じるべし。


 ハッチを閉ざせば、そこは隙間から溢れる一条以外には光なき胎内。ヘルメットにHMDヘッドマウントディスプレイを装着し、操縦士は機械のはらから実世界うつつを覗えば、顕れたのは迫るカリアティードの姿。


 網膜に映った光景を瞬時に理解し、神門は操縦桿で〝脱力〟の入力。叢雲重工製MB特有の機巧の一つ、〝脱力〟。古代武術にある脱力と緊張の振り幅――それが顕著であればあるほどに、瞬時に生じる膂力が向上する。筋肉で可動する人類も人工筋肉を採用されているMBもことわりは変わらぬ。されど、この〝脱力〟が及ぼす利点はそれだけに留まらない。〝脱力〟による筋力を介さぬ荷重移動がその一つである。


 膝をはじめとする脚力を〝脱力〟させれば、筋力からくる遅延なしで屈むことが可能だ。小烏丸の頭部に擦過音が響くのは、際どいながらもスレッジハンマーの一撃を回避した証左他ならぬ。もし、〝脱力〟ではなく筋肉駆動による行動だったのであれば、命令コマンドを受理し、実際に身を屈ませるまでの稼動分の分毫ふんごうの間――その、僅かな差が命運を別った。


 続けて、緩和させていた人工筋肉を緊張させ、立ち上がりをはかる。小烏丸のカメラアイが映す光景に合わせて、視界が流れていく。さなか、時間差で遅い来る白い翳と視線が合った。なるほど、一手目が回避されたとしても、後ろに控えていた別のカリアティードの二手目で仕留めようという腹か。


 瞬時に理解した神門は、立ち上がりの操作と同時に進めていた武装ウィンドウから爆斬鉈ばくざんしゃを選択した。他に防禦向けの武装はないわけではないが、〝白騎士〟の二手目からは遥かに〝遠い〟。〝近く〟にある武装ではこれが最善手であることを、神門は半ば無意識で理解していた。


 ――一手を見極めよ。疾すぎても遅すぎても事を仕損じる。迫る鉄塊の軌道と速度を理解し、その通りに動くだけでいい。


 幸いながら、見極められぬ速度ではない。質量武装の宿命。質量が生み出す破壊力とは裏腹の、それに束縛された軌道と鈍化した速度は、素早いとはいえ見切れぬ程ではない。乱暴な扱いでは曲がる可能性があるが、爆斬鉈ばくざんしゃの腹でうまく反らせば充分に打撃だ。そう判断したライダーをカリアティードは裏切る。


「ッ!」


 息を呑む暇もあらばこそ。突如としてスレッジハンマーは翳をも映さぬ領域へと足を踏み入れた。眼にも留まらぬ瞬きの間、尋常な反応なぞ望むべくもない。ならば、そんな摂理を捩じ伏せたのは、生存本能に支えられた動物的勘か肉体に刻みつけられた手練か。意識という時間差ラグを差し込ませぬ反応は俊敏にして迅速、本人の意思さえも置き去りにして銃爪を引く。


 途端、棚引く爆焔が剣鉈を。爆発的に跳ねた刀身はスレッジハンマーを叩く。術者の手に依らずに剣鉈が暴れた原因は、直前に引いた爆斬鉈ばくざんしゃの銃爪に由来する。


 なんとか致命に到る一撃をぎょした神門だったが、当然、彼自身が意図しての回避劇ではなかった。その証拠に、慄然とした思いに応じて背中から冷たい汗がひた流れる。


 されど、意に介しているいとまは無い。胸中とは切り離された思考が、先の一手の不可解な加速の正体を看破し、もう一つ彼にとって不愉快な現実を知らしめた。


 ――曲がったか……。


 爆斬鉈ばくざんしゃの刀身が曲がっている。折れていないだけでも重畳とするべきか、一手の攻防で武器を不全にした己を恥じるべきか。甲型爆斬鉈ばくざんしゃは火薬の指向性炸裂で瞬時の加速加圧を得て、文字通り爆発的な勢いで対手を斬る得物だ。MB本体の姿勢制御や損壊を防ぎ、爆発的加圧を十全に活かすため、重量の均衡性は非常に重要な要素ファクターとなる。つまり、曲がった爆斬鉈ばくざんしゃは崩れた均衡が原因となって、MB本体に爆発力の代償を支払わせる諸刃の刃と化したのだ。


 しかし、それは相手も同じ話だが……。


 爆斬鉈ばくざんしゃに打たれたスレッジハンマーは宙を舞い、重力に従って灰色の荒野を打ち据えた。その後部には噴射口の如き大穴が覗いている。質量兵器に大穴を開けるなど、せっかくの質量をぐ愚行である。取り回しを考えるのであれば、鎚の形状の必要すらない。それでも、行うのであれば相当の理由が無ければ成立しない。


 つまり……。


 ――爆斬鉈ばくざんしゃと同じ、噴射加速武器。


 であるならば、突如の加速も説明がつく。


 だが、術理は推理できたとしても、見切れるか否かについては別問題だ。ただでさえ、超重量兵装を振り回せる膂力を有した人類サイズの相手の一撃が、更に瞬間加速するとなれば……。


 ――噴射加速するのならば、一手の内に加速の是非を見極めるべし……。厄介な話だ。


 しかも、相手は五名。言うならば、軽量級MBに相当する膂力を持つ総身義体者パーフェクトサイボーグを五体相手取っているようなものだ。


 状況は芳しくない。ゼクスルクの様子を窺っている余裕さえ残されていないのだ。


 左右挟み撃ちにする形で二体が動く。左、大上段に振りかぶっているところを視ると、打ち下ろしの打撃。右、腰の撚りから横打ちで打ち据える一撃。どちらも打ちどころが悪ければ、決して装甲が厚くないMBのこと、操縦席にまで通ずる威力は有しているだろう。


 爆斬鉈ばくざんしゃを寝かせて腰だめに構えると同時、ホバーブレイドに火を入れた。刀身に狂いの生じている今、特に突きや斬り下ろしなどは狙いが定まらぬどころか、無理に爆発加速の加護を得ようとすれば人工筋肉を痛める悪手となりかねない。神門が選択したのは横薙ぎの一刀。


 ――うまく武器だけを飛ばしてやる余裕はない。


 手加減などしていては自分がられかねぬ、危険な舞踏会。殺戮のステップを踏む舞い手を見据えて、銃爪を絞り込む時機を測る。


 左のカリアティードが跳躍――そちらを正面に構え直す。当然、重力のくびきから逃れられない以上は、跳躍力による上昇を経て、引力に導かれて下降する運命。そして、大上段から振りかぶられた打撃武器の行き着くところは、膂力に質量と重力を足し……。


 ――ッ!


 息を詰め、爆斬鉈ばくざんしゃの銃爪を弾く。指向性を与えられた弾薬の炸裂が、刀身に迦具土かぐつちの祝福が刀身に満ちる。先程とは異なり、体操作によって精妙に制御された爆斬鉈ばくざんしゃの一太刀は、同時に加速したスレッジハンマーを両断し、更にホバーブレイドによる旋回運動によって背後へと


 横打ちの体勢に入っていた〝白騎士〟の映像が、網膜に投影される。


「……!」


 もう遅い。旋回運動による勁力を叩きつけるように、片脚に跳躍入力。小烏丸の跳ね上がった膝装甲が鐘の如き音色を上げ、スレッジハンマーと衝突した。


 MBでは高等技術に当たる蹴り技。片脚という均衡性のハンデを代償にした奇襲技であり、神門にとっては防禦にも使用できる十八番の技術でもある。


 無骨な打撃武器ごと吹き飛ぶ美女の姿。残り三体。


 車体を立て直した神門が卒然と脳裏を駆け巡った第六感の稲妻に振り向けば、そこにはスレッジハンマーを抱くように廻転跳躍している〝白騎士〟の姿があった。


 威力を増すため廻転力と重力加速度を味方につけようとしただろうが、この条件ならば充分に対応できる。いくら瞬時の加速が可能な質量打撃であろうとも、間合いだけはどうにもならぬ。つまり、スレッジハンマーの及ぼす範囲を心得ていれば、自ずと時機は掴める。


 車体の姿勢制御と同時に、武装メニューから旋棍トンファーを選択していた神門は、押し出すような一撃で驚異の質量を遠ざけた。吹き飛ぶ白いカリアティード。


 ここに来てようやくゼクスルクに気を回す猶予ができた神門は、そちらへと眼をやった。


 幾何学的な剣を携えたゼクスルクは、カリアティードと丁々発止の剣舞を演じている。剣から迸る光刃がスレッジハンマーをバターのように斬り裂く。メイサーの煌々たる輝きは伊達ではないようだ。武器を喪ったカリアティードの見せる一瞬の戸惑いに乗じて、巧みな体捌きで背後へ囘り拳で気絶へと追いやる手練は、熟練の武道家にしか成しえないだろう。


 危なげなく一人を征圧したゼクスルクは続けて、最後の一体へと迫る。抵抗にスレッジハンマーが空を切るも、青年の速度に比べれば鈍重に過ぎた。柄を斬られた鎚が宙空を廻転し、それが灰色の大地に横たわるまでの間に勝負は決していた。


 光刃を目前で突きつけられた〝白騎士〟。MBから降りた神門にゼクスルクが静かに問いかける。


「……殺しますか?」


 戦士として、襲撃者にとどめを刺すのは間違いではない。しかし、穏やかな口調で殺害を仄めかす青年には、人像柱に対する底知れぬ嫌悪があることを神門は知っている。


「……必要ない」


 後顧の憂いを断つという意味では神門の回答は褒められたものではない。しかし、ゼクスルクが人像柱と呼ぶ存在は人類に似すぎており、とどめを刺すことは躊躇われた。今でも目を閉じれば思い出す、人籠ひとかごに飼われた少女がこちらを視る、哀れな瞳。救えなかった少女の存在が、戦士に必須である非情さの脚を引く。


 もちろん、生命のやり取りのさなかに感傷に囚われているいとまなぞない。だが、ひとたび戦いが終われば、無用な殺生は――いや、それが無用でなくとも――躊躇われるのだ。


「追ってくるのならば迎え撃つしかない。無駄な襲撃ことはやめるんだな」


 ――無駄なことか。どちらが無駄なことなんだろうな。


 少年は己の内に巣食う感傷を持て余し、自問したが答えは心中からは得られなかった。


「去れ」


 ゼクスルクの声に、はじめは躊躇いがちに……しかし、数歩後には全力で〝白騎士〟は走り去っていった。その翳を見つめるゼクスルクの視線は、侮蔑の色に染まっている。彼から視れば不倶戴天の敵である以上、致し方ないのだが。


 伏した人像柱はぴくりとも動かず、灰色の荒野に身を横たえている。渇いた土砂に白絹の衣裳が汚れるも、嘆く者はいない。後に残った、倒れ伏した四人のカリアティードと黎いMB、そして勝者の二人だけが灰色の風を受けていた。

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