魔王

 よく声を響かせる〝宮殿〟は豪奢であるものの、どこかうら淋しい雰囲気がある。かつて榮えた名残りを随所の疵に残し、今は人が絶えた伽藍の響きだ。


「そうだ。私は……」


 久遠が震える声でごち、それが周囲に乱反射しつつ拡散していく。一つ思い出せば途端に記憶が連鎖的に蘇り、自身が石像機と化す現実あくむに身が凍えたのだ。如何なる魔術によるものか、この身は〝魔の時代〟に世界を我が物と闊歩していた悪鬼と同存在へと転化されていた。忌むべき事実は自身の存在を揺るがす程の衝撃だったのだろう。久遠は持ち前の不遜さを忘れて、ただ否定に頸を振るも、その身は小刻みに震えていた。


「思い出したようだな」


 玉座の女が一目瞭然の事実を冷厳な響きで言い放った。或いは、それは久遠に純然たる事実を突き立てるための言霊だったのやもしれぬ。


「ルード、君は知ってたの……?」


 寄る辺を亡くした瞳で惑星潜りサルベージャーの少年を見つめる彼女はいつになく繊弱で、平素とは異なる美麗さがあった。そう、獰猛な感情を呼び覚まさせるような、被虐的な美が……。


「……ああ、俺はあの……石像機――つまり、久遠の〝中〟にいたんだ」




 そう、ルードはあの時――天地を渡す光柱の迸りの中心にいた。そして、彼は眩む視界の中で視た。久遠の肢体がほどけて、しかし紋章光ファサードが渡る回廊だけは手を伸ばし――同時に周囲に躯体フレームが形成されていく様を。烙印ファサードとして、それはルードを巻き込んだまま、次第に流麗な線で描き出されていく。そして、紡がれた光線は手脚、身体、頭蓋から指先までを紋章光ファサード色に浮かび上がらせ、次第に判然たる姿へと昇華する。あたかも、光の絲で神経と筋繊維を編み込むが如く、像を成す。或いは、蛹の内にいるモノ――幼虫とも成虫ともつかぬモノは、こういって成虫さきへと到るのではないか……と、何故かそんな益体もないことをルードは思っていた。


 したたかに感光されていた視界が瞭然と像を結ぶようになったのは、いつからだったか。視界が正常さを取り戻したことに、しばらく気がつかなかったのは、普段ならば浮かぶこともない考えに耽溺してしまったからか。


「……ここは」


 眼下には瓦礫、横を見やれば建築物、しかし、狂った寸尺が頼りなく感じるのは何故か。そして正面には――石像機〝眼馬ザルディロス〟の魁夷なる姿。


「うわぁ!」


 驚き、腕を振ったルードの動きに合わせて視界がれて、人馬騎士の後ろ姿とおぼしい翳が視える。下半身を馬の身体へと置き換えた石像機は、その身体を伴った馬脚も相俟って、遠くヽヽ感じた。


 黎い人馬騎士は視ずとも惑星潜りサルベージャーの気配を察したとみえ、振り返ると同時に、青白く光を放つ諸刃剣を薙いだ。その一切の呵責無い一刀は正確に少年の頸を断つ軌跡を描き――。


「グッ⁉」


 肉体が意思に先んじて、人馬騎士を押し戻すように手を伸ばした。当然、そんなことが叶う筈がないことはルード自身が理解している。生命危機に感応した肉体がみせる、単なる反射――本能的な、無為を悟る意識の介在しない行動にすぎない。


 ――斬られる!


 蒼い戦慄の刃が触れ、斬られ飛んだ己の頸さえ夢想した惑星潜りサルベージャーだったが、予想に反して彼は一撃から生還せしめた。


 人馬騎士の姿が遠くなっている……。先程より小さくなった石像機の姿に、彼我を隔てる距離が空いたことに彼は気づいた。押し戻したのではない、むしろ自分の視界が後退したという事実は、周囲の瓦礫の山々が証明してくれた。しかも石像機との目線から鑑みるに、先程よりも彼の標高ヽヽが上がっている。


 そして、それに比例してか、人馬騎士は――不可思議なことにその威圧感を減少させていた。まるで、今までの畏怖の大部分を占めていた理由が霧消したかの如くに……。否、触れただけで卒倒しかねぬ圧倒的な存在感は、確かに摩っている。擦り切れた気配で却って冷静さを取り戻したルードは、その意味に気づき始めていた。


「ここは……操縦席?」


 周囲は切り取られた実世界が映し込まれ、彼自身は椅子に似た器官に座っていた。何らかの操縦席を思わせるが、操縦桿らしきものもなく、機動兵器の操縦席にしては計器類――実機か虚構エアウィンドウかは別にして――も存在せず、簡素シンプルにすぎた。ただ、宙空に――まるで脳内チップが浮かび上がらせる情報ウィンドウの如く――様々な紋様が浮かび上がっている。


 そういえば、先程手を伸ばした時に、浮遊した光る紋様サインに触れた気がした……。もしや、間合いが離れたのは――自分の視界が後退したのは――あれが原因やもしれぬ。


 浮かぶ紋様の数々……。仔細に見やれば、それぞれ形が異なり、視覚記号ピクトグラムとなっているようだ。半透明で浮遊するそれらの向こうには、こちらを睨む馬脚の石像機の姿。


「なんだよ、これ」


 当然ながら、彼に機動兵器に乗った記憶もなければ、乗った経験もない。ルード自身、後ほど知ることになる事実だが、このような形状の操縦システムは銀河人類史に存在しない。


 燃ゆる炎から生じる火の粉の如く、紫の燐光が浮遊し、散らばって大気と同化する。視界がにわかに動き、自らの五指を見つめる構図となる。漆黒のに包まれた繊指の左薬指には指輪が黄金に輝いていた。


 にわかに叩きつけられた気配にルードが顔を上げれば、視界も連動し――瞳に突き刺さるのは剣を斬り下ろそうとする〝眼馬ザルディロス〟の威容。そこから繰り出されるのは、馬脚の跳躍の勢いを加算した呵責など皆無の一撃だ。揺らめき光放つ一ツ眼の、その一切の感情を視せぬ炎の色は酷薄そのもの。極低音の冷気が見せる、氷点下で燃える白い炎にも似て――。


「ッ!」


 不意の出来事……惑星潜りサルベージャーは反射こそできたものの、操縦法を熟知しておらず――しかし、予想に反して、青白い割断の咒いを籠められた諸刃剣は宙を断つだけに留まり、ルードの身に触れることはなかった。むしろ、少年が乗っている正体不明の機動兵器は彼の意思が介在しない挙動をみせ、迸った剣閃を袖にし、脅威の外へと躍り出た。更には、身を退くと同時にいつしか握っていた機関短銃で人馬騎士を連ね撃つ。


 瞬時に、〝眼馬ザルディロス〟が構えた巨大楯に銃弾は遮られたものの、肉厚な楯に明らかな焼痕を残し、またその衝撃は四脚の石像機に蹈鞴を踏ませる程に強烈だったらしい。


 生物ならば誇りを傷つけられる屈辱に相当するのだろうか、石像機は豪剣を風車の如くに振り回す。諸刃剣の剣筋は刃の檻となるも、その隙間を縫う速度域の住民ならば、脅威には値しない。いくら触れれば断たれる咒いが存在しようとも、一定の軌跡モーメントを要求される刃となれば、間隙へと滑り込む時間軸を持つ存在からみれば、刃の檻は檻足り得ぬ一条の線に他ならぬ。


 ルードの意思を鑑みず、機体が一人でに傾城の踊り子の如き身のこなしで剣戟を躱し続ける。巨剣の残像が煌めく青白い雫となって撒き散らされるも、その一切が漆黒の肢体を飾るのみに終始した。しかし、それが一つの策、一つの目的の元に誘導されていたものだとしたら……。


 刹那の時を縫って蒼く輝くするどい一閃が奔った。刀身を滑走路とした刺突は、横薙ぎの軌道を相手にはまさに刹那の出来事――速度、軌道、その総てが最速最短の一手である。


 しかし。


 重ね蠢く蒼い残光は、光の芸術となって曇天と漆黒を浮かび上がらせるも、決してそれ以上の効果を齎すものではなかった。ルードの視界に映ったのは、槍の長さの柄をもつ傘だ。その螺旋を描いて束ねられた布地が稲光を発しながら、石像機の巨剣を阻んでいた。無論、少年が意図しての行動ではない。彼が知らずの内に搭乗していた、この機動兵器の自律行動だ。


 傘槍と巨剣が交錯し、そして固着していた両者の時間が動き出す。その流れは、先程からの進退劇により、残酷なまでに格差として顕れていた。〝眼馬ザルディロス〟が剣を退くまでのいとま、楯を構えるまでのいとま、いずれにせよ最終ついの一手にそれ程の時間は要しない。


 操縦席に坐したルード不在の一手――傘槍が溢れる残光を撒きながら翻り、一点を刺し貫かんと高速領域まで加速し……。


 一突きは素人目にも必殺、会心の一撃と言えるものだったのだが、その無謬性は当の機体が突如起こした癲癇てんかんによって喪われた。


「おいおい、どうなってんだよ!」


 視界には幾つもの雑像ノイズに阻まれ、とても良好とは言えない。更には、かろうじて映し出されている映像もところどころ欠損し、または。誰に対する福音か、取り落とした傘槍が鐘の響く音色のようにこだました。


「ッ!」


 息を呑む暇もあらばこそ、迫る人馬騎士が――。




「そう、お前を殺そうとした石像機〝眼馬ザルディロス〟は畸嵬像きかいぞう〝穢れた白鵶はくあのゼクスルク〟に滅せられた」


 先の〝眼馬ザルディロス〟との戦いを語る玉座に坐した美女の声。女が呼ぶ〝穢れた白鵶はくあのゼクスルク〟が消えた後、ルードが乗っていた機体はほどけて塵級機械ナノマシン混じりの大気へと溶化していった。その、潰えていく躯体の中から気を失った久遠が顕れたことから、ルードを体内で守ってくれた機動兵器――正確にそう呼べるかどうかは疑問が残るが――の正体が彼女と知ったのだ。


「〝穢れた白鵶はくあのゼクスルク〟? 畸嵬像きかいぞうだって?」

「そうだ。畸嵬像きかいぞう――グロテスクとも呼ばれる石像機の、〝魔の時代〟の王。……所謂いわゆる〝魔王〟、だよ」

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