忌名

「最後に顕れた黎い奴……あいつ、いいねぇ」


 ジラ・ハドゥは舌舐めずりしながら、粘着質な声を出した。〝穢れた白鵶はくあのゼクスルク〟。樋嘴でありながら樋嘴でない、畸嵬像きかいぞうたる魔王グロテスク。その存在力は、ジラや狼我ランウォという強い存在力を持つ二人――しかも、それなりに離れた位置から――にも感じ取れる程に濃厚かつ強烈だった。


「あいつ程の宍叢ししむらがあれば……あの時のような不覚は取らない」


 不覚……。ジラの心の奥底に巣食う、黎い太陽が如き存在。〝光却のサウゼンタイル〟へと〝裏返った〟ジラを鎧袖一触で墜落させた、神々しさと禍々しさを兼ね備えた〝機神〟。肉体、反射神経、技術、勘の良さ、手捌き……その総てにおいて、神門と隔絶しているジラが敗北を喫した唯一の戦い。否、あれは闘争とさえ言えぬ一幕だ。圧倒的にして莫大な存在力の前に、〝光却のサウゼンタイル〟が轢かれた事実は闘争とは到底呼べぬ。


 神門を打倒し、その存在の総てと成り代わろうとするジラ・ハドゥにとって、歯呀にも駆けられなかったという現実は耐え難い屈辱であり、脳裏をよぎる毎に彼の自尊心は罅割れ、そこから強烈な憎悪のマグマが噴き出るのだ。そのマグマは熱を帯びながらも固着し、奇妙な汚濁となって更なる憎しみの源泉となる。やがて、嵩を増した汚濁は山となり、彼を高次へと導くのだろうか。


 そう、狼我ランウォが言う通りに、悪魔の申し子は確かに龍神神門を強烈に意識していた。


「ならば、試してみればいいだろう」


 事もなげに告げる人狼の声に、金髪の被造子デザイナーズチャイルドは振り返る。その爛々と不気味に輝く双眸には漆黒さえも生ぬるい、光を反射せぬ闇黒の氷塊が鎮座していた。光を映さぬというのに、ぬるりとした粘着性を想起させるそれは、敏感な者が覗き込んだなら卒倒か気を触れかねぬ非人間的な闇だ。


「たまにはいいことを言うじゃないか。そうだね、その通りだ。立つ舞台が同じなら、多少〝得物〟に劣っていても、僕が勝つに決まっているからねぇ」


 いくら、〝機神〟が強力な存在であったとしても、ジラに劣る神門が駆るとなれば恐れる理由は無い。現に、MB戦でジラと相対した神門は、攻めてはいても必竟するに逃げの一手を図っていたに過ぎない。つまり、純粋な実力だけで語るならば、ジラに敗北の目は無いのだ。あくまで彼を仕留めきれなかったのは、偶然と優先順位に助けられてのことだ。


「そうさ。僕が負けるわけがない」


 笑みを浮かべるジラに幽かに塵級機械ナノマシンの混じった風が吹く。逆立つ金髪が奇妙に蠢き、それ自身が意思を持っておどろに乱れているようにも視える。憎悪を糧として、次なる舞台ステージへと上がろうとする悪魔の申し子。しかし、彼は知っているのだろうか。龍神神門は確かに、純粋な実力では未だジラ・ハドゥの後塵を拝してはいるが、それでも生還せしめているのは、ジラの言う〝偶然〟に支えられていることを。そして、その〝偶然〟こそが宿命が命運を運ぶ〝歴史の楔〟と呼ばれる由縁だということを。


 灰色の荒野を吹く風は何処に往くのか。砂と塵埃を浚い、大海原へとその大地の欠片を撒くのか、天を覆う灰雲へと至り塵級機械ナノマシンの養分となるのか……。この風の行方と被造子デザイナーズチャイルドの行方。たして、輪環の輪の内で存在を継続するのか、違う何かの糧となり消え失せるのか……誰も知らない。


 白い人狼は、呵々大笑を始めた金髪の悪魔を眺めているが、鉄仮面は決して感情を映さない。いずれにせよ、ジラの勝敗は狼我ランウォに何も齎さない。


 とはいえ――。白い人狼は背後で膝をついた震狼フェンリルに振り返る。そのコンテナに積まれた銀姿の少女……彼女と龍神神門が再び接触した時、ジラの望み――龍神神門との戦い――は達せられるだろう。


 だが――と、狼我ランウォは鉄面皮に感情を包みながら、心中で嘯いた。

 ――その勝敗についてはその限りではないが……な。




「…………」


 少年が瓦礫の街に佇んでいた。無理に着せられた女性ものの服は既に脱ぎ捨て、ライダースジャケット型の軍服に戻った神門は、こちらに歩んでくる青年の翳を視た。


「黒き君……」


 眼鏡をかけた青年が近づいてくる。彼もまた、纏っていた服装を変え、荒野を歩いていた時と――ペストマスク以外は同様の服装をしていた。


 薄手のロングカーディガンは贅沢に皮革を使用して、ドレープを成した逸品である。銀面をあえてまだらに削った皮革生地は、漆黒の艶めきと冥闇の黎さを兼ね備えていた。Claudius5クラウディウス得意のレザーワークが遺憾なく発揮された芸術品だ。レザーカーディガンの下に着込んだ粗めに編まれたレースシャツが、細身だが逞しい上半身を微かに通すヽヽ。パンツはカーキのジーンズだが、これも計算された刺繍で適度な皺がよりヽヽ、脚元へと向かうほどに折り重なるよう設計されている。


 整った甘い顔立ちも相俟って、世の女性がため息をつきかねない風貌なのだが、この世界では彼は異端そのものだった。なるほど、美男は確かにカリアティードに似て、数理的に導き出されたような秀麗さを持っている。だが、女性のみで完結しているカリアティード以外の人類がいよう筈もないこの惑星で、外星系からの来訪者である神門やルード以外に男性が存在していること自体が異常だ。


 加えて――レースシャツの内側で微かに明滅している、緑青の紋章。鼓動で押し出され循環する血流の如きそれはカリアティードが言う、咎人の烙印――ファサードである。


「お待たせいたしました。〝眼馬ザルディロス〟は滅しました」


 呪われし徴ファサードを刻印された、在るべからざる青年は相も変わらず神門にかしずいている。


「…………」


 〝眼馬ザルディロス〟の消滅は神門が特段望んだことではない。無論、無関係と言い切ってもよいとはいえ、無駄な犠牲が出ることは避けたかった。それに対しての彼の答えが討滅であるのなら、神門の望み通りというわけにはなるのだが、カリアティードを己にとって悪しきモノと見做しているとみられる青年にとっては、あくまで神門に危害を与えたという点が総てなのだろう。


「一つ、聞いておきたい」

「はい!」


 珍しく神門の方から話しかけられた青年は、相貌に少々喜色を浮かばせた。


「ザルディロス……といったか。俺が、或いは俺たちが接触したから、あの樋嘴は動き出したのか?」

「……五分はその通りです。〝眼馬ザルディロス〟は眠りについていたとはいえ、覚醒まで幾許もない状態でした。我々の接触により、眼を覚ましたのは事実です。しかし、どちらにせよ遠からず覚醒めていたのは変わりありません」

「そうか……」


 彼の言が正しいとするのならば、神門にも責任の一端があるのやもしれぬ。少なくとも、あの瞬間に惨事が起こることは避けられた可能性は否定できない。


 報復を誓う蒼く冷めた炎はまだ瞳の内に燃えども、それが冷徹を意味するものではない。冷酷と情愛がまだらと混ざるマーベル模様――それこそが人類ひと人類ひとたる由縁だ。


「黒き君よ。お気に止む必要はありません。どちらにせよ、〝眼馬ザルディロス〟からアニマを汲み取っていた以上、彼女らは自ら滅びへの軌道に乗っていたのですから」

「どういうことだ?」


 神門の問い。そもそも、神門はこの惑星の生態系――頂点に立つカリアティードとそれを討たんとする樋嘴についても、未だ不透明なままだ。


「アニマ……我々が天から授かるエネルギーのことですが、樋嘴はそれを吐水ヽヽ――つまり、周囲へと拡散します。このアニマは大地を肥沃にし、そして同時にカリアティードの動力源にもなっています。樋嘴の周囲に植物が繁茂しているのは、溢れたアニマに依るものです」


 確かに、〝眼馬ザルディロス〟の周囲も青々しい緑がオアシスのように繁っていた。神門は頷き、先を促した。


「樋嘴はアニマを受け取り、大地へと運ぶ……しかし、人像柱は違います。彼女らは天から降り注ぐアニマを受け取る能力を持たず、眠っている樋嘴から横溢するアニマを掠め取って生きています」


 青年は〝眼馬ザルディロス〟の眠っていた方角へと瞳を向ける。もう既に樋嘴の姿はなく、緑の残滓が過去を物語るもいずれは錆色と化して朽ちゆく定めを待つばかりだ。


「この街の中心に〝眼馬ザルディロス〟が据えられていたのは偶然ではありません。繁栄を齎すアニマの恵みに集ったのが街の起源おこり……つまり、樋嘴あっての街だったからこそ、です」


 なるほど、ひとたび覚醒めたととなれば尋常ならざる被害を齎すであろう樋嘴に寄り添うように……否、それどころか、むしろ讃えているような街の配置の謎への回答としては納得できる部分はある。


「だからこそ、人像柱は――〝白騎士〟は樋嘴を斃す必要があったということか」


 青年から聞いていた人像柱、そしてその中において樋嘴を殲滅すべく組織された〝白騎士〟の存在。樋嘴が実際に眠っているのならば、そこから遠ざかるかいっそ奇襲をかければいいと神門は考えていたのだが、樋嘴の傍でないとそもそもの生活基盤が確保できぬのならば、なるほど確かに覚醒までのいとまを平穏な日々で塗りつぶすのもわからぬ話ではない。


 不透明な未来に楽観し目前の危険に眼を瞑る――ある意味では、青年が言うところの人像柱は人間らしいヽヽヽヽヽのやもしれぬ。


 そして、いざ危険が表面化した際――恐らく、それは幾度となく繰り返されたのであろうが――に、処理ヽヽを行う者として〝白騎士〟という組織があるということだろう。


「その通りです。もっとも、今の〝白騎士〟はその使命を忘却してしまったようですが……」


 神門は知らぬが、〝白騎士〟と呼ばれた樋嘴と戦いを演じるべき劇団ヽヽ脚本しめいを忘れ、即興劇に勤しんでいる。ファサードの徴を受けた同胞を狩る……同胞狩りの狩猟者へと成りてたのだ。


「……あれは」


 ふと、閾値下に触れた何らかの気配に、曇天を仰ぐと、流星の如くに尾を引く光が視え、神門はそれを訝しんだ。


 ――おかしい。


 惑星イラストリアス4――ロバート・レクシマイティオが言うところの惑星ワクレマイオスは、曇天を構成する塵級機械雲ナノマシン・クラウドによって、惑星害から降る隕石等の飛来物は分解捕喰される筈である。惑星降下前にもそうしつこい程に言い含められていた。そうでない限り――依頼人までは聞き及んでいないが――惑星潜りサルベージャーをわざわざ依頼する理由は存在しない。


「また、堕ちてきましたね。新たな人像柱が」


 少年の視線の先を辿った青年がごちた。新たな人像柱、の意味するところは何か。面貌おもてに出していたつもりはないが、神門の疑問を悟ってか、青年は言葉を連ねる。


「人像柱はさやに包まれて堕ちてきます。あの雲が人像柱の身体を造り上げ、そして地上へと出産ヽヽするのです」


 私たちと同様に……とこぼす青年。


 巨大な〝世界柱〟がそそり立つ大地、人類が絶えたはずの地に棲まう、建築物由来の名を持つ機械性人類カリアティード樋嘴ガーゴイル。道中見かけた生物はいずれも銀河人類と――そして、かつて存在したとされる人類と――同様の蛋白質で構成された生物だったが、カリアティードと樋嘴という二種の生命体はその限りではない。


 青年の言が正しければ、彼らは性別を持たず、自ら次代を生み出すことができず、もっぱら天から降り注ぐ新たな存在を後継として次代を繋いでいる。そして、樋嘴はひとたび覚醒めればカリアティードを狩り、カリアティードは眠っている樋嘴から恩恵を受けている……。神門はこの二種の生命体が表裏一体の、同存在のように感じたが、それを眼前の青年にこぼすと眼を剥いて否定しただろう。彼の言動の端々には拭おうとも拭いきれぬ、カリアティードへの侮蔑の色が、幽かとはいえ確かに残っていた。


 灰色の雲は決して晴れず、この世界に重い沈黙の澱となって、天を覆う。そして、そこから生まれる生命体……。生物の在り方に意味はないというのに、何故か少年にはそこに何らかの意図めいた感触を憶えた。それは、葡萄茶に染まる奇怪グロテスクな世界の姿。存在が〝裏返る〟苦痛と共に、復讐を誓った常闇。冥闇に浮かぶ、三つの白い逸脱者の影法師が神門の感情を逆撫でる。


 気がつけば、秋津刀の鞘を力の限り握りしめていた。そうだ、漫然と坐していても奴らは姿を顕さぬ。飛海フェイハイ塞城の闇を抜け、バラージ王国の砂を踏み、今はイラストリアスの塵幕の下……。たとえ、今が見当違いの方向を目指していても、目指している以上はいつか脚元へと辿り着く。


 ――いや。


 しかし、神門はここで思い留まった。復讐は確かに遂げるべき目的であり、掌でいらうものではない。だが、今は何処いずこかに拉致されたルードを救出こそ最優先だ。護るべきものを、助けるべきものを捨て去って遂げる復讐は単なる手段に成り下がる。


 〝眼馬ザルディロス〟の暴走で、人気ひとけが絶えたこの街での情報収集はもはや絶望的だ。次の街へと向かうべきだ。そして、この惑星自体に不案内な神門にとっては、眼前にいる眉目秀麗な青年の他に頼る者はいない。


「如何……致しました?」


 少年の視線が己を捉えていることに気づいた眼鏡の青年が問いかける。未だ神門にとって謎の多い彼だが、寄る辺なくしてルードを救出できると信じられるほど、神門は自身を無欠の存在と思っていない。


「……今はあなただけが頼りだ」


 朴訥な性質を持つ少年は言葉短に告げる。会話を苦手とし、また本心を表に出さない彼を知る者は、その一言を口にするのにどれほどの苦心しているかが解かるだろう。短い付き合いとはいえ、言葉少なな少年が出した言葉の意味が青年にも伝わったのだろう。


「ありがたき幸せです」


 主従の宣誓を済ませた騎士の如く、青年は神門に跪いた。かしずかれることに慣れていない少年は判断に魔酔った末、振り返った。街に背を向けた彼の視界に映るは空漠たるを含んだ荒野。そう、もうここには用は無い。


「往くぞ」

「はっ」


 忠実な下僕しもべのように付き従う青年の名を、神門は初めて呼んだ。彼は知らない。それが、カリアティードにとっての忌み名の一つであることを。


「――ゼクスルク」

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