忌名
「最後に顕れた黎い奴……あいつ、いいねぇ」
ジラ・ハドゥは舌舐めずりしながら、粘着質な声を出した。〝穢れた
「あいつ程の
不覚……。ジラの心の奥底に巣食う、黎い太陽が如き存在。〝光却のサウゼンタイル〟へと〝裏返った〟ジラを鎧袖一触で墜落させた、神々しさと禍々しさを兼ね備えた〝機神〟。肉体、反射神経、技術、勘の良さ、手捌き……その総てにおいて、神門と隔絶しているジラが敗北を喫した唯一の戦い。否、あれは闘争とさえ言えぬ一幕だ。圧倒的にして莫大な存在力の前に、〝光却のサウゼンタイル〟が轢かれた事実は闘争とは到底呼べぬ。
神門を打倒し、その存在の総てと成り代わろうとするジラ・ハドゥにとって、歯呀にも駆けられなかったという現実は耐え難い屈辱であり、脳裏をよぎる毎に彼の自尊心は罅割れ、そこから強烈な憎悪のマグマが噴き出るのだ。そのマグマは熱を帯びながらも固着し、奇妙な汚濁となって更なる憎しみの源泉となる。やがて、嵩を増した汚濁は山となり、彼を高次へと導くのだろうか。
そう、
「ならば、試してみればいいだろう」
事もなげに告げる人狼の声に、金髪の
「たまにはいいことを言うじゃないか。そうだね、その通りだ。立つ舞台が同じなら、多少〝得物〟に劣っていても、僕が勝つに決まっているからねぇ」
いくら、〝機神〟が強力な存在であったとしても、ジラに劣る神門が駆るとなれば恐れる理由は無い。現に、MB戦でジラと相対した神門は、攻めてはいても必竟するに逃げの一手を図っていたに過ぎない。つまり、純粋な実力だけで語るならば、ジラに敗北の目は無いのだ。あくまで彼を仕留めきれなかったのは、偶然と優先順位に助けられてのことだ。
「そうさ。僕が負けるわけがない」
笑みを浮かべるジラに幽かに
灰色の荒野を吹く風は何処に往くのか。砂と塵埃を浚い、大海原へとその大地の欠片を撒くのか、天を覆う灰雲へと至り
白い人狼は、呵々大笑を始めた金髪の悪魔を眺めているが、鉄仮面は決して感情を映さない。いずれにせよ、ジラの勝敗は
とはいえ――。白い人狼は背後で膝をついた
だが――と、
――その勝敗についてはその限りではないが……な。
「…………」
少年が瓦礫の街に佇んでいた。無理に着せられた女性ものの服は既に脱ぎ捨て、ライダースジャケット型の軍服に戻った神門は、こちらに歩んでくる青年の翳を視た。
「黒き君……」
眼鏡をかけた青年が近づいてくる。彼もまた、纏っていた服装を変え、荒野を歩いていた時と――ペストマスク以外は同様の服装をしていた。
薄手のロングカーディガンは贅沢に皮革を使用して、
整った甘い顔立ちも相俟って、世の女性がため息をつきかねない風貌なのだが、この世界では彼は異端そのものだった。なるほど、美男は確かにカリアティードに似て、数理的に導き出されたような秀麗さを持っている。だが、女性のみで完結しているカリアティード以外の人類がいよう筈もないこの惑星で、外星系からの来訪者である神門やルード以外に男性が存在していること自体が異常だ。
加えて――レースシャツの内側で微かに明滅している、緑青の紋章。鼓動で押し出され循環する血流の如きそれはカリアティードが言う、咎人の烙印――ファサードである。
「お待たせいたしました。〝眼馬ザルディロス〟は滅しました」
「…………」
〝眼馬ザルディロス〟の消滅は神門が特段望んだことではない。無論、無関係と言い切ってもよいとはいえ、無駄な犠牲が出ることは避けたかった。それに対しての彼の答えが討滅であるのなら、神門の望み通りというわけにはなるのだが、カリアティードを己にとって悪しきモノと見做しているとみられる青年にとっては、あくまで神門に危害を与えたという点が総てなのだろう。
「一つ、聞いておきたい」
「はい!」
珍しく神門の方から話しかけられた青年は、相貌に少々喜色を浮かばせた。
「ザルディロス……といったか。俺が、或いは俺たちが接触したから、あの樋嘴は動き出したのか?」
「……五分はその通りです。〝眼馬ザルディロス〟は眠りについていたとはいえ、覚醒まで幾許もない状態でした。我々の接触により、眼を覚ましたのは事実です。しかし、どちらにせよ遠からず覚醒めていたのは変わりありません」
「そうか……」
彼の言が正しいとするのならば、神門にも責任の一端があるのやもしれぬ。少なくとも、あの瞬間に惨事が起こることは避けられた可能性は否定できない。
報復を誓う蒼く冷めた炎はまだ瞳の内に燃えども、それが冷徹を意味するものではない。冷酷と情愛が
「黒き君よ。お気に止む必要はありません。どちらにせよ、〝眼馬ザルディロス〟からアニマを汲み取っていた以上、彼女らは自ら滅びへの軌道に乗っていたのですから」
「どういうことだ?」
神門の問い。そもそも、神門はこの惑星の生態系――頂点に立つカリアティードとそれを討たんとする樋嘴についても、未だ不透明なままだ。
「アニマ……我々が天から授かるエネルギーのことですが、樋嘴はそれを
確かに、〝眼馬ザルディロス〟の周囲も青々しい緑がオアシスのように繁っていた。神門は頷き、先を促した。
「樋嘴はアニマを受け取り、大地へと運ぶ……しかし、人像柱は違います。彼女らは天から降り注ぐアニマを受け取る能力を持たず、眠っている樋嘴から横溢するアニマを掠め取って生きています」
青年は〝眼馬ザルディロス〟の眠っていた方角へと瞳を向ける。もう既に樋嘴の姿はなく、緑の残滓が過去を物語るもいずれは錆色と化して朽ちゆく定めを待つばかりだ。
「この街の中心に〝眼馬ザルディロス〟が据えられていたのは偶然ではありません。繁栄を齎すアニマの恵みに集ったのが街の
なるほど、ひとたび覚醒めたととなれば尋常ならざる被害を齎すであろう樋嘴に寄り添うように……否、それどころか、むしろ讃えているような街の配置の謎への回答としては納得できる部分はある。
「だからこそ、人像柱は――〝白騎士〟は樋嘴を斃す必要があったということか」
青年から聞いていた人像柱、そしてその中において樋嘴を殲滅すべく組織された〝白騎士〟の存在。樋嘴が実際に眠っているのならば、そこから遠ざかるかいっそ奇襲をかければいいと神門は考えていたのだが、樋嘴の傍でないとそもそもの生活基盤が確保できぬのならば、なるほど確かに覚醒までの
不透明な未来に楽観し目前の危険に眼を瞑る――ある意味では、青年が言うところの人像柱は
そして、いざ危険が表面化した際――恐らく、それは幾度となく繰り返されたのであろうが――に、
「その通りです。もっとも、今の〝白騎士〟はその使命を忘却してしまったようですが……」
神門は知らぬが、〝白騎士〟と呼ばれた樋嘴と戦いを演じるべき
「……あれは」
ふと、閾値下に触れた何らかの気配に、曇天を仰ぐと、流星の如くに尾を引く光が視え、神門はそれを訝しんだ。
――おかしい。
惑星イラストリアス4――ロバート・レクシマイティオが言うところの惑星ワクレマイオスは、曇天を構成する
「また、堕ちてきましたね。新たな人像柱が」
少年の視線の先を辿った青年がごちた。新たな人像柱、の意味するところは何か。
「人像柱は
私たちと同様に……とこぼす青年。
巨大な〝世界柱〟がそそり立つ大地、人類が絶えたはずの地に棲まう、建築物由来の名を持つ
青年の言が正しければ、彼らは性別を持たず、自ら次代を生み出すことができず、もっぱら天から降り注ぐ新たな存在を後継として次代を繋いでいる。そして、樋嘴はひとたび覚醒めればカリアティードを狩り、カリアティードは眠っている樋嘴から恩恵を受けている……。神門はこの二種の生命体が表裏一体の、同存在のように感じたが、それを眼前の青年にこぼすと眼を剥いて否定しただろう。彼の言動の端々には拭おうとも拭いきれぬ、カリアティードへの侮蔑の色が、幽かとはいえ確かに残っていた。
灰色の雲は決して晴れず、この世界に重い沈黙の澱となって、天を覆う。そして、そこから生まれる生命体……。生物の在り方に意味はないというのに、何故か少年にはそこに何らかの意図めいた感触を憶えた。それは、葡萄茶に染まる
気がつけば、秋津刀の鞘を力の限り握りしめていた。そうだ、漫然と坐していても奴らは姿を顕さぬ。
――いや。
しかし、神門はここで思い留まった。復讐は確かに遂げるべき目的であり、掌で
〝眼馬ザルディロス〟の暴走で、
「如何……致しました?」
少年の視線が己を捉えていることに気づいた眼鏡の青年が問いかける。未だ神門にとって謎の多い彼だが、寄る辺なくしてルードを救出できると信じられるほど、神門は自身を無欠の存在と思っていない。
「……今はあなただけが頼りだ」
朴訥な性質を持つ少年は言葉短に告げる。会話を苦手とし、また本心を表に出さない彼を知る者は、その一言を口にするのにどれほどの苦心しているかが解かるだろう。短い付き合いとはいえ、言葉少なな少年が出した言葉の意味が青年にも伝わったのだろう。
「ありがたき幸せです」
主従の宣誓を済ませた騎士の如く、青年は神門に跪いた。
「往くぞ」
「はっ」
忠実な
「――ゼクスルク」
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