勇者

「魔王……〝穢れた白鵶はくあのゼクスルク〟……。〝魔の時代〟の王って?」

「そうだ。まさしく〝魔王〟。群雄割拠する〝魔の時代〟を制したとされる石像機。あの、人馬騎士――〝眼馬ザルディロス〟など脚元にも及ばぬ、最強の石像機だ」


 先の人馬騎士よりも高い次元にある存在……。ファサードという烙印の権能ちからを遺憾なく発揮して、なお及ばなかったあの人馬騎士――〝眼馬ザルディロス〟と言ったか――を超える〝王〟など悪い冗談だ。


「そんな怪物をどうしろって? まさか、私に討伐に向かえって?」


 一度でも触れたが最後、瞬時に破滅へと転落する、薄氷を踏むどころか針の山を踏むような思いが蘇る。そもそも規模が違う、膂力が違う、質量おもさが違う、生物としての格が違う。劣悪な彼我戦力の差を辛うじて支えていたのが、カリアティードの軽量さ由来の速度と瞬発力だったのだが、それすら一撃はおろか一触で総てが潰えるとなれば話は別だ。


 鉄砲玉と呼べばまだ響きはいいが、待ち受けるのは犬死以外の何物でも、ない。


「話が早くて助かる」


 玉座の女のにべもない返答は、いっそ温かみが無い氷点下の極低音というよりも乾燥した砂漠を思わせた。いや、彼女は久遠に死刑を宣告するが如き一言だと気づいてすらないようで……。


「巫山戯るな! お前たちは、自分たちがしてきたことを理解しているのか!」

「そうしなければ、カリアティードは死に絶える。もっとも、その前にお前の仲間のシメールがそうなるだろうな」


 冷徹な女の示唆するところを理解した久遠は、瞳に紅の炎を宿す。瞋恚の炎に燃える彼女の脚元の床面に一斉に蜘蛛の巣状の罅割れが奔り――。


「……ッ!」


 止める暇もあらばこそ。ファサードの烙印により、本来のそれより拡張された脚力が一足飛びで玉座へと迫る。瞬きの間に間の強襲は〝所長〟を始めとする〝白騎士〟が応じたとしても、遥かに位置にある。もはや、反応から初動までに要する僅かな時間では殺しきれぬ程に……。


 白い鴉が翻る瞬時の出来事に目をみはることもできず、玉座に座る美女に烙印を打たれた人像柱シメールの魔手が――。


「!」


 突如、過重力を与えられたかのように、久遠が地を舐める。先程までの膂力の総てを……まるで、脳と肢体を切り離されたかの如く、彼女は指一つ動かすこともできずに玉座の美女の靴を見上げている。


「……ぅぐっ……」

「控えろ」


 冷厳な玲瓏さを持つ美女がファサードのカリアティードの頭上から声を降らせた。絶対者の標高から久遠を俯瞰する美女の視線には、倦怠にも似た無機質さの成分が含有されている。そこには、おおよそ情というものの存在が測れない。


「〝宮殿ここ〟にいる以上、私に危害を与えることはできぬのは知っているだろう? それでも、お前が私に手をかけられると思っているのなら、度し難い愚者と言わざるを得ないな」

「うるっ……さいッ!」


 乱れた前髪から垣間見えるのは、それだけで射殺しかねない視線の鏃だ。頂点に居続ける者と、虐げられた者。二人の立場は何処までも平行線だ。


「! やめろ!」


 ルードの叫び。


 どうやら嗜虐心を催したとみえ、玉座に坐す女はピンヒールの靴底を久遠の頭へと――その瞳に宿る光に初めて感情の色が視え/瞳には残酷な喜悦を生々しく潤ませて/あわや、久遠が尖った踵に踏みにじられる寸前……。


「〝女王〟。お戯れはそこまでにした方がよろしいのではと愚考いたします。この場を設けられたのは、戯れのためではないはず……」


 〝所長〟が――白金しろがねが――玉座の女を諌める。〝女王〟と呼ばれた女は興が削がれたとばかりに、生々しく輝かせていた瞳をまた冷淡な色に塗り替えていた。


「では、白金よ。お前から説明しろ。私は面倒になってきた」


 〝女王〟が〝所長〟に名を下したその一言をきっかけに、久遠の金縛りが解けたとみえ、彼女は立ち上がった。立つ久遠と玉座に座る〝女王〟……両者の標高は入れ違いとなり、いまや虐げられた者シメール頂点に居続ける者〝女王〟を見下ろす構図だ。睨めつける久遠に対し、それに気づいてさえいないような〝女王〟。


「…………フン」


 久遠が背を向けて、玉座から離れてルード達の標高へと降りてくる。絶対的な決別を意味する儀式を思わせるその光景は、或いは遠くない未来の姿なのかもしれない。


 ゆっくりと階段を降りきった久遠に、〝所長〟――白金が話しかける。


「無茶をするわね。こうなることはわかっていたでしょう?」

「わかっていても、身体が動いたんだから仕方ないでしょ」

「…………」


 久遠の返答が余程意外だったのか、白金が目を見開く。


「なによ?」


 その様子が気にかかった久遠が半目になって問うと、白金は微笑みながら応える。ルードにはそれが郷愁に似た色に染められている気がした。


「いえ、なんでもないわ」


 そう言うと、表情を引き締めた白金が口を開く。凛然とした姿は、確かに所長然としている。


魔王グロテスク、〝穢れた白鵶はくあのゼクスルク〟は未だ完全な状態じゃない。が他の石像機と決定的に異なるのは、彼はアニマをしない点……」

「アニマを吐き出さない? つまり?」

「理由はわからないけど、彼は自己完結している……と言えばいいのかしら。わかる? それ自体が強靭な石像機でさえアニマをかけ流しているようなものだというのに、彼は体内で循環させている……。木漏れ出るアニマもあるでしょうけど、それも全体から見ればほんの僅かなもの。天から降るアニマを受け取って、そのほぼ総量を扱える石像機……まさしく魔王ね」


 魔王。畸嵬像きかいぞう。グロテスク。まさしく〝魔の時代〟の覇者、王たるに相応しい能力の持ち主だ。


「そして、彼は同じ石像機の上位種――貴方が戦った〝眼馬ザルディロス〟と同格の存在から〝ウィータ〟を獲得して完全体へと到る」

「何? ウィータ?」


 久遠も初めて耳にする単語だったらしく、聞き直す。


「私たちもウィータが何を意味するのかはわからない。ただ、〝女王〟の持つ〝叡智〟にはそう記載されていた」


 女王の〝叡智〟――恐らく、〝女王〟が秘匿している何らかの情報だろう。単なる伝承なのか、確実性の高い予知に近いものか……。銀河人類であるルードには眉唾ものの代物だろうが、久遠や白金の表情から覗ける深刻の色味から彼女らカリアティードにとっては違うとみえる。


「その、魔王様とやらが完全体になればどうなる?」

「記述には、〝旧き時代に駆逐されて、新しき時代への扉は潰える〟とあるそうよ。……少なくとも、〝柱の時代〟は終わるでしょうね。つまり、がなんとかしない限り、カリアティードが滅びるかもしれないってことね」

「待て、って……まさか」

「ご明察の通り。私も魔王討伐に同行するって意味よ」


 微笑みながら、久遠の肩に手を置くと、親愛の籠もった声で白金がつぶやく。


「また、共に並べるわね」

「……最悪だわ」


 吐き捨てる久遠だが、戦奴である彼女を解放したとなれば、何処へと逃亡するのは眼に見える。となれば、この措置は当然とも言えるのだが……久遠自身の感情がそれを良しとしないのだろう。眉根を顰めたままの久遠を余所に、〝所長〟は話を続ける。


「私たちの使命は、魔王よりもウィータを多く獲得して、〝世界柱〟を昇ること。そして、同じく〝世界柱〟を目指している魔王を斃すこと。現在、ウィータを持つ石像機と魔王グロテスクの座標は調査中よ。目下のところは判明しているウィータ持ちを討伐する、というところね」

「待て。石像機を斃すということは……」

「当然、その街は枯れてる……。大事の前の小事、必要な犠牲という奴ね」

「わざわざ眠った石像機を起こして、街を枯れさせるだと? そこに住むカリアティードはどうする?」


 白金の語る帰結に、久遠が激昂するのは眼に視えていた。予想通りの久遠の反応に、声を荒げたのは意外にも白金だった。


「じゃあ、どうすればいいの⁉ みすみす、魔王グロテスクを……〝穢れた白鵶はくあのゼクスルク〟を完全体になるまで見過ごす? 必ず勝てるのならともかく、今の貴方は〝眼馬ザルディロス〟にさえ遅れを取っているのよ!」

「…………!」


 白金の言葉は久遠の胸を刺した。彼女の言葉は間違ってはいない。被害を最小限にするのであれば、彼女の言う通り、先んじて対象となる石像機を討滅すべきである。カリアティードが絶滅させられる危惧がある以上、賢明かつ冷静な判断であることは疑いの余地はない。


「あいにく、私は賢くないのよ……」


 久遠が絞り出した一言が空間に充満し、そして消えてゆく。場に静けさが戻り、幽かな音が浮き彫りになって響く、薄ら寂しい伽藍堂の静寂。


「……とにかく、貴方がカリアティードを救いたいのなら……いえ、貴方が動かなければカリアティードが滅びる」

「あんた達の命令なんかで動くと思うのか?」


 嘆息した白金は瞳の奥に冷然とした蒼い雫を灯す。


「では、貴方は遠からず死ぬことになるわ」

「……え?」


 不吉を告げる声は決して大きくはないというのに、伽藍堂に響き渡り、等間隔に並んだ柱と……他ならぬ久遠へと沁み入った。


「貴方も石像機――いえ、どちらかというと魔王に近い存在よ。石像機へと〝裏返る〟カリアティード……その胸に烙印ファサードを捺された、シメール。天から降るアニマを石像機と同じく受け取れるカリアティード……。石像機の権能を付随させられたその身体は、ウィータが無ければ遠からず崩壊する」

「随分詳しいじゃないか」


 強がる久遠を一瞥しつつ、白金は言葉を連ねる。


原初げんしょのカリアティード、叉拏しゃなの――〝白き隕石いしの勇者〟の正体がそれよ。勇者――シメール。やり方が適切ではなかったとは個人的には思うけれど、私たちは魔王グロテスクと戦える勇者シメールを求めて、シメールたちを探し囚えてきた」

「……何が適切ではなかった、だ。よく言えたものね」


 久遠が白金へと刺々しい声を刺す。流石の白金も自責の念はあるとみえ、瞑目して甘んじて受け止めている様子だ。白金自身も望まずとして行っていたのではないか、とはルードの印象だが、両者の間に横たわる過去や関係を由縁としているのであれば、突然湧いて出た彼がこの場でいらぬ言葉を吐くべきではない――と沈黙を選んだ。


 ――むしろ、それを命令したのは……。……?


 ふと視線を感じ、惑星潜りサルベージャーは〝女王〟へと向き直った。座標の高低差から仰ぐ形になり、彼女の視線は絶対者の視点からで――瞳の在り処は判然としなかったが、感触として己がその的になっていたことをルードは確信を持っていた。


「〝惑星の底へ沈む者〟よ……」


 背筋に冷たい鳥肌が通り抜けた。如何なる左道の業かは知らぬが、久遠にしか告げていなかった惑星潜りサルベージャーという正体を看破した〝女王〟。嗜虐性を剥き出しにした以外は、いっそ透徹したとさえ言えるような彼女の乾燥した瞳からは何も読み取れない。


「それは……ひょっとして俺のことかな?」

「そう聞くことが自分自身のことを指されていると認識している何よりの証左と言えないか?」


 問いに対して問いで応える……。しかし、その明快な回答こそが〝女王〟の応えだった。


 ――確かに、ね。


 不気味さを覚えるも、ここで反抗しても――強靭な膂力を持つ久遠ですら為す術無く地に伏せられたのだ――ルードの身体能力だけで何ができるとも思えぬ以上、是非もない。この場は従うのが最善かと思われた。


「〝惑星の底へ沈む者〟? 〝女王〟、〝惑星の底へ沈む者〟とは――は一体?」


 そして、どうやらルードを惑星潜りサルベージャーと認識しているのは、〝女王〟のみらしい。そもそも、〝惑星の底へ沈む者〟が指す意味も理解していないとみえ、白金の〝女王〟への問いかけにあわせて、周囲の〝白騎士〟もささやかながらもざわめいた。さざなみが如き雑音を手で制した玉座の美女は、泰然とした態度はそのままに下々へと叡智を授ける。


「白金。というのは誰を意味している? そこな者――〝惑星の底へ沈む者〟を指しているのならば、そもそも大きな間違いだ」

「……間違い、ですか」


 ちらりとルードへと瞳を寄せるも、白金しろがねはすぐさま〝女王〟へと視線を固定した。


「そうだ。その者はカリアティードにあり得ぬ性の者――男性オトコだ」

「なっ!」


 今度こそ、はっきりと彼女は惑星潜りサルベージャーへと向き直る。涼やかな眼は今、驚愕の色彩いろどりに瞠られていた。


 そう、ルードも奇妙に感じていた。カリアティードたちが――〝ルード〟という名を知っている久遠は例外だったが――己を指していたであろう代名詞を、何故か女性を意味するそれで呼んでいたことに……。


「え、ルード。貴方、男の子だった……の?」


 いや、久遠もまた驚きに目を見開いていた。ルードを指差す人差し指が幽かに揺れているのが、彼女に襲いかかった衝撃の程をよく顕していた。


「久遠まで何言ってるんだよ。そりゃ、ないかもだけど、一目瞭然じゃんか」

「そ、そう……。……道理で……。やだ……ということは……」


 頬を染めた久遠はそっぽを向くと、頬に手を添えていやいやと頸を左右に振り振り、独り言を咀嚼する。彼女なりの反抗の露出なのか、偽悪的ならぬ偽的な態度を取る久遠とは思えない仕草だが、おそらくはこちらが彼女の本質なのだろう。


「では、……いえ、は突然変異体……」

「それも違う。そもそも、其奴はカリアティードではない」

「ま、まさか! 石像機⁉」


 〝白騎士〟の一人が放った言葉をきっかけに、〝白騎士〟達がルードを取り囲む。繊細な透かし模様レースに秘め隠されていようとも、その瞳に宿る感情は容易に察せられた。疑惑と憎悪、瞋恚、殺意、烈情、冷酷……。無機質な目隠しを覆った瞳の底から噴出するそれらの気配は、今までそよとも感情を見せていなかっただけに、更に濃厚に感じられる。


「鎮まれ。私の言葉をおとなしく聞ける者はいないのか」


 ため息混じりに上から注がれた声に、〝白騎士〟達は〝女王〟へと片膝をつく。


「此奴は石像機ではない。そもそも、この場にいる以上、誰も我々へ手は出せんよ。此奴は、銀河人類――ホモ・ギャラクシアンHomo Galaxian。サルベージを生業とする者だ」

「サルベージ、ですか?」


 牢の中でルードと言葉を交わした久遠はいざ知らず、白金をはじめとする〝白騎士〟には聞き及んだことのない単語なのだろう。〝白騎士〟の一人の鸚鵡返しに〝女王〟は鬱陶しげな表情を浮かべた。


「些か面倒だ。そこは〝惑星の底へ沈む者〟に後ほど聞くがよい。さて、〝惑星の底へ沈む者〟よ。お前が久遠の〝オーナー〟だ」

「オー……ナー?」

「オーナーは石像機と化した勇者シメールを操作する権能を持つ者だ。それは、〝眼馬ザルディロス〟との戦いで理解しただろう?」

「なんで、俺なんだ? 言っちゃあ悪いが、俺はちょっとした護身術程度しか身に付けていない、ただの惑星潜りサルベージャーだぞ?」


 神門のように機動兵器の操縦に長けているわけでもない、実戦的な武術を修めたわけでもない。


「お前との接触ランゲージ契機きっかけに、久遠の烙印ファサードが活性化した……。かつて、〝白き隕石いしの勇者〟は〝白き隕石いし〟がオーナーとなったとされている」


 隕石がオーナーとなる……。石像機化した久遠の内側を体験したルードには、違和感を憶えざるを得なかった。〝白き隕石いしの勇者〟という叉拏しゃなが、久遠と同じ操作系だとするならば……少なくとも人類に近しい存在を対象としている筈なのだが……。


「それもあんたが持っている〝叡智〟の賜物ってわけね」

「そうだ。……もういいだろう。詳細は白金に任せた。〝勇者シメール〟久遠、並びに〝惑星の底へ沈む者〟ルード、そして白金よ。お前たちには〝穢れた白鵶はくあのゼクスルク〟の討滅と〝世界柱〟の確保を命ずる」


 久遠の一言に短い返答を返した〝女王〟は話は終わりと、言葉を結んだ。


「俺が従う理由なんて無い筈なんだけど、な」

 面倒事を押し付けられそうになったルードはせめてもの反抗に口を開いたが、〝女王〟は取り合わなかった。

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