旅立

 整然としているが無味乾燥な〝宮殿〟から一行は、沈鬱な匂いが立ち込める石室に戻った。やはり、石室に戻る際に、奇妙な感触がルードの身体をくすぐってくる。往きとかえりに撫でてくる、この感触の正体は何か。


「……久遠」


 ふと久遠が気になったルードが彼女を見やれば、節を折った者が見せる口惜しさの苦味を噛み締めている表情を浮かべていた。虜囚とされ、石像機との戦いを強制され、更に虐げられていた久遠を今度は勇者として担ぎ上げる……。委細を知らぬルードから見れば、虫酸が走る話だ。


「外に出ましょう。そろそろ依頼していた物資が届いている頃よ」


 事務的に告げ、凝然と立ち尽くす久遠を尻目に歩き出す白金。それを追う〝白騎士〟たち。感情を排した様子はかつて友誼を深めた仲とは思えぬ、いっそ冷徹とさえ言えるものなのだが……。


 しかし、惑星潜りサルベージャーの眼には、痛ましく映る久遠に自分が優しげに語りかけるのは逆効果と弁えて、努めている態度にも視えた。


「久遠、行こう」


 まるで置き去りにされた子どものような彼女の肩に――まともに女性に触れたことの無いルードだったが――、自然と手を置いて促す。久遠は俯いたままだったが、幽かに首肯した。淡く軌跡を顕わにする塵埃が燐光か蛍火の如くに泳ぐ様は、時が緩やかに流れる深海遺跡を連想させる。その、深海に置き去りにされた石室で、なおも孤独に立つ彼女は聲を喪いた姫君か。枯竭こけつした海の底を歩き、ルードと久遠は鈍い恒星の昼光が照らす水面みなもへと浮上した。


 退廃の塵埃が混じった、荒野独特の大気の臭いが何故か懐かしい。そういえば、先程の〝宮殿〟では比喩以外の臭いを一切感じなかったことを、ルードは今更ながらに気がついた。


「なんだ、あれ……」


 人の身長に迫る程のヴァイオリン――いや、コントラヴァス・ケースが殺伐とした荒野に鎮座している。……白金が隣立っていることに気づけば、ケースが彼女の背丈を超える規模を誇っていることが理解できた。


 周りに〝白騎士〟の姿はいない。荒野に立っているのは、コントラヴァス・ケースと白い錦繍きんしゅうを纏ったカリアティードと宇宙服を着崩した少年と、薄汚れた囚人服の勇者シメールだけだ。


「……さあ、久遠。これに着替えて。もうそんな服を着る必要もないわ」


 白金が蓋を開くとケースはプリザーブドドレスとなっていたらしく、そこには彼女の衣裳にも負けぬ婀娜あだなブラック・ドレスが収まっていた。


「これは……」


 久遠の眼が見開かれる。このドレスの持つ、華美な気配と纏い手を選別する暴れ馬の如き天衣無縫な在り方にだろうか。


 リトル・ブラック・ドレスの流れから派生し、先祖返りしたかのように装飾を施し、更にはローブ・モンタントを取り入れた珠玉の逸品だ。前衛的な装飾と大胆なカットを兼ね備えたClaudius5クラウディウスの最高傑作、ヤミ。華美な衣裳は、しかし当時のモード界では否定され、Claudius5クラウディウスを凋落させる原因となった。デザイナーが失意の内にこの世を去った後に、評価された不遇の作品であり、現在の秋津モードデザインに未だ影響を与えるブラック・ドレス。


「こんなドレス着せていいのか? 堕ちた烙印を焼き入れられた戦奴シメールに」


 どうやら、石室を出るまでに気分を入れ替えたとみえて、すっかりと平素の様子に戻った久遠が若干挑発的な笑みを浮かべる。対して、白いカリアティードは薄くだが満足げなため息をついた。


「貴方は戦奴じゃあないわ。貴方は勇者――これから。……いえ、これからも、今までも」


 後半は囁く頼り無さで零れて、塵埃と風に塗れて千々に散る。その、散る寸前の開花を聞き届けたのはルードだけだった。


「まあ、いいわ。私好みのデザインだし」


 この、人を喰らう意匠を前に怖気づかぬのは、我を顧みぬ愚者か、己の美に対する絶対の自信を持つ者、どちらかしか存在しない。そして、じっとしていると、その無謬の数理的整美さから、不気味の谷に由来するのであろう怖気を伴う程の――自然にありえぬ美しさを持つ久遠は言わずもがな、後者以外にありえない。


「ねえ、なにボーっとこっちを視てるのよ」

「え?」


 呆然と眺めていた惑星潜りサルベージャーの少年に、ドレスを前にした美女が柳眉を逆立ている。無謬性に支えられた美貌を飾る表情は、彼女を不気味の谷から押し上げて、親近の感情を湧かせる。


「え?……じゃないわよ! 今から着替えるって言ってるでしょ! エッチ! 馬鹿ッ!」

「あ……悪い!」


 完全に呆けていたルードは彼女の言ったその意味に全く気がついていなかった。慌てて、周囲を見渡し――あっと声を漏らすと、元来た石室へと脱兎の勢いで走り去る。その様子を、仁王立ちした久遠は如何にも憤慨しているといった表情で見送った。


「全く。男の子って、みんなあんなエッチなのかしら……」

「フフ……」


 くすくすと大気を仄かに揺らす含み笑いの主は誰かと問うまでもない。笑いの吐息を漏らした白金を睨めつけるが、その頬の紅みが迫力を減衰している。


「……何よ?」

「いえ、ね……。貴方、可愛くなったわね」


 口に指を当てて笑う白金の微笑みは、いつになく嬉しげだ。まるで願ってもなかった夢が叶った少女にも似て……。


「はあ? 喧嘩でも売ってるのか?」

「そう思ったのならごめんなさい。そんなつもりはなかったのよ」


 ――口調もかなり戻ってきたわね。


 かつての、まだ烙印ファサードおとされる前のくつわを並べた頃の記憶が白金の脳裏に蘇る。〝白騎士〟として戦場を駆け、共に戦塵に塗れた間柄……。この灰色の空の下で、幾多もの石像機を討っただろうか。瞳を閉じれば瞼の裏に焼き付いている情景は、苛烈さの中に輝きを秘めていた。その頃の久遠は粗暴な口調や態度を努める必要もなく、むしろ――。


 ――流石に、あの頃の自分は思い出したくないわね。


 思惟が自分自身へと風向きを変えたところで、彼女は過去への遡行を打ち切った。懐かしい、そして痛みを伴う、そんな過去への追想は憧景と呼ばれる感傷だ。


「……ふん」


 腕組みをしてそっぽを向く久遠に、過去を映した瞳で見つめる久遠。両者の路は違えたが、また交わる。白金は、この咒いの紋章ファサードを見つめるたびに浮かぶ複雑な感情を禁じ得ない。彼女らの厳しくも輝かしい日々を奪ったのも戦奴の烙印ファサードならば、それを取り戻したのもまた勇者の紋章ファサードなのだ。


「早く着替えなさい。〝彼〟も困るでしょう」


 結局、益体もない脳の亡霊に見切りをつけて、白金は感情を差し込ませぬ口調で告げる。


「〝彼〟……ね。あんたの鉄面皮が剥がれ落ちたのは痛快だったわね」


 カリアティードにはあり得ぬ〝男性〟……。石像機か――全く異なる世界からの来訪者でなければ成立しない不可能解に白い美女が驚きを顕わにした瞬間を、久遠は見逃さなかったとみえる。


「貴方が一番驚いていたように視えたけどね?」

「は?」


 軽口には軽口で応じる。予想通りに久遠は怒りの表情を貼りつかせる。こういった単純なことを見過ごせずに激越ムキになる気質が彼女にはあった。久遠自身が自覚的かはその部分はやはり変えようがないようだ。


「いいえ、なんでも」

「なんでもなかったらわざわざ口にしないでしょ! いいから言いなさい」

「わかったわよ。謝るわ。ごめんなさい。でも、お色直しに手間取っていると、本当に彼が可哀想じゃない?」


 白いカリアティードの言に一理ありと認めたのか、鼻を慣らすと久遠は追求を打ち切り、プリザーブドドレス仕立てのコントラヴァス・ケースへと向き直る。


 黎い衣裳に袖を通すと、なめらかな生地が肌を撫でる。これだけで、このドレスがどれほどの手間暇を惜しまずに制作されたのかわかろうというものだ。艶めかしい描線は久遠自身の陰翳とドレスの像がつづれ織る、絶美の一つの姿。


「ルード! もういいわよ!」


 石室の翳で待つ少年に叫んだ勇者は、続いて紫髪を梳かす。くしけずるごとに艶が滴り、流麗な髪の流れが蘇る。ルードが戻る頃には、すっかり囚人の皮を裂いて麗人へと化した久遠が――漆黒に赫奕する戦乙女がそこに姿を顕していた。


「ふふん、どうよ。久遠さんの美しさは?」


 得意げなシメールが茶化してきたが、惑星潜りサルベージャーの少年は微動だにしない。魂を抜かれたような様子に怪訝な気配を感じて、久遠が彼の貌を覗き込む。


「も、もしもし~?」

「…………綺麗だ」

「なはっ⁉」


 卒然とルードが口にした一言には何も飾り気が無い――だからこそ、単純ストレートなそれに久遠は面喰らった。頬を染めた彼女には幻想的な絶美が薄れ、代わりに生きる者だけが持ち得る現実的な美が顕在化している。


 実際、敝衣蓬髪へいいほうはつの有様であっても、久遠の持つ美は残留していたのだが、瀟洒なドレスに引き立てられた今の彼女は、匂い立つ気配だけで人を誘引する悩ましさの馨りが確かに漂っていた。


 袖なしノースリーブの立て襟のドレスは、胸から腹部にかけての婀娜な白さを切り取るように開けられており、紫の瀧が如く落ちる髪から覗ける様は令嬢の深窓にも似ていた。斜めにカットされたスカート部分には、長短を調整されたスリットが幾つも入り、透き通る白皙はくせきと脚線美を兼ね備えた細く長い脚を、時に隠し時に曝け出させる。繊手を包むオペラ・グローブは、ドレススカートとは逆説的に描線の流麗さを発露させて、どこまでも続くなだらかな山々の起伏の優麗を表現していた。


 されど、これだけでは尖鋭と謳われたドレスデザインとは言えぬ。ドレスの装飾は細やかなレースと金属細工、更には久遠の烙印ファサードと同じ紫の光が施されていた。円形や幾何学模様をあしらった光の芸術は、いっそ外連という言葉すら当てはまらぬような、華美繚乱に彼女を彩る。


「え、いやだ……嘘……」


 瞳を泳がせる様は、外見も含めて少年よりも少し歳上の少女にしか思えぬ。無論、自然には発生し得ぬ造形美に支えられているという前提はあるのだが。


「……ま、まあ、私が綺麗なのは、と、当然だから?」


 横目で少々意地の悪い微笑みを浮かべていた白金を睨みつつ、少女は言い放つが、紅染めのその顔が本心を雄弁に物語っていた。


 ――素直じゃないわね。


 傍目からは透けている本心を隠そうとする久遠の天の邪鬼な性質は、白金もよくよく知るところだ。人一倍素直ではないというのに、本心は誰よりも素直である。それが、久遠に対する白金の印象だ。


 戦奴として、石像機との戦いに駆り出される時も不承不承とした態度を取っていたかと思えば、実際は犠牲を少なくするために最前線で戦う……。先の〝眼馬ザルディロス〟との戦いがその顕著な例と言える。


 牢から開放されたというのに、久遠は大方の予想を裏切り――無論、白金はそれは無いと断言できたが――逃亡せず、誰に強制されることなく修羅場に馳せ参じ、自ら石像機と戦っていた。打ちのめされ、虐げられ、反骨心に燃えながらも、誰よりも〝白騎士〟としての誇りを持ち、恐らくは誰よりも優しいシメール。


 ――だから、貴方が憎めないのよ。


 心中の独白は誰も聞くわけがないというのに、白金は胸の内で小さく囁いた。彼女の瞳に映るのは、異星から来たという異性たる〝惑星の底へ沈む者〟と、カリアティードとして誕生しながらも烙印ファサードによって〝裏返った〟――〝白き隕石いしの勇者〟叉拏しゃなに代わる今代の勇者シメールのじゃれ合っているとしか思えぬ姿。その様子は彼女からは実に微笑ましく映る。


「そろそろ、いいかしら?」


 もう少し視ていたい心の欲求に踏ん切りをつけて、軽く手を挙げて、久遠らを制する白金。当然、突如として声をかけられた二人の視線を独占する形となる。


『何?』


 まさに異口同音の問いかけに、白いカリアティードは努めて表情を無として、語りかける。


「あまりイチャイチャしてもらっても困るのよ。説明したいこともあるし、もう夜になるわ」

「誰がイチャイ……ッ!」


 脊髄反射的に久遠が言い返そうとしたのを、少年が止める。どうやら、彼も久遠の御し方を弁えてきたようだ。


「久遠、確かに白金……さん?――の言うとおりだ。俺だって、いきなりこんなよくわからんことになって困惑しているのは事実だからな」

「むぅ……」


 承服しかねるといった表情を浮かべる勇者シメールだったが、確かにルードの言については一応納得したとみえ、口を閉ざした。


「納得してもらえて何よりだわ。ありがとう、ルードくん」

「ルードで、呼び捨てでいいよ」

「では、ルードで。さて、久遠。貴方が着ているドレスだけど、CFCが埋め込まれている。CFCについては?」


 無言で首を横に振る漆黒のドレスの勇者。


コンフォーマルCフューエルFクリスタルC――CFC。通常時はいざ知らず、今の貴方の戦闘時におけるアニマの消費量は尋常じゃないわ。そのために、アニマを一時貯蔵できるCFCで補おうというわけよ」


 白金が指差したのは、久遠のドレスに施された紫に灯る装飾。自ら発光する装飾は確かに他のカリアティードにはみられぬ装いだ。


「貴方は基本的に石像機化しなければ、天からのアニマは受け取れない。となると、今のままではアニマに乾いて簡単に枯れ落ちる」

「……それで、こんな派手な物が付いてるのね」


 自らが纏うドレスを矯めつ眇めつ、久遠は落ち着きのない犬のように身体中を見回す。ドレスの生地そのものが紫に灯っている部分は、生地にそのCFCを織り込んでいるのだろうか。当然ながらオリジナルにはないCFCの仕立ては、贅沢と呼ぶのも憚れる程の逸品であり、仕立ての複雑さと手の込みようはオリジナルを超えているとみて間違いなかろう。


「そうよ。あの、叉拏しゃなも着ていたと言われているわ」


 叉拏しゃな――。原初のカリアティード。〝白き隕石いしの勇者〟。〝柱の時代の開拓者〟。彼女を装飾する名は数あれど、まさか彼女が烙印持ちシメールだとは、久遠は想像すらしていなかった。


「まさか、〝白き隕石いしの勇者〟も私と同じ……」

「ええ。石像機へと〝裏返っていた〟と言われているわ」


 なんという皮肉か。まさか原初のカリアティードが、今では囚えられ虐げられているシメールだったとは。その、カリアティードならば誰もが知っている叉拏しゃなが石像機となって、〝柱の時代〟から生きてきた石像機を斃していたなど、まるで悪い冗談だ。


「意味がわからないわね。〝白き隕石いしの勇者〟がシメールだったとしたら、シメールに対する仕打ちは何よ」

「恐らくだけど、当時、あるカリアティードは自らの支配的地位を築き上げるために、叉拏しゃなを利用していた。石像機を討滅した叉拏しゃなのように頭角を現さないように、シメールは忌むべき存在として彼女の真実を包み隠しんたんでしょうね」


 ――なるほど、ありそうな話だ。


 当の本人には受け入れがたい話だろうが、惑星潜りサルベージャーの少年は納得していた。確かに支配階級が英雄を寓話化して、不都合な事実を霞の向こうへ追いやって曖昧模糊とした嘘へと変える。てに待つものは……。


「……ふざけた話ね」


 勇者とされたシメールが吐き捨てるのも当然の話か。彼女の人生を狂わせた烙印ファサード。従容とは言えぬまでも受け入れた戦奴の日々。栄光から転落し、屈辱と恥辱に汚れた人生を強要させられた彼女の心中は穏やかならざることは想像に難くない。


「そうね。けど、貴方は数々のシメールには不可能だった、石像機への〝裏返り〟へと到ったわ。叉拏しゃなと同じ権能に」


 そう言いながら、白いカリアティードは両端に幾何学的な陰翳を持つ棒を差し出した。それは、短いながらも槍のように視えた。


叉拏しゃなが扱っていたとされる槍よ。銘は彼女の異名と同じ、〝白き隕石いしの勇者〟」


 久遠が握るとその柄が伸長し、更に穂先が肥大化し、突撃槍ランスもかくやといった大槍へと変化した。幾何学的な陰翳が開放され、久遠に染められたアルマが紫の光刃となって大気の塵埃を塵々ちりちりと燃やす。複雑にして数理的な幾何学槍は、どこか流麗な弦楽器に似ており、殺戮のために生み出された武具とは思えぬ美しさがあった。


「今の貴方は勇者。自らの路を自ら切り拓くことのできる立場にいるわ。戦いなさい。石像機と、そして何より自分の運命から。カリアティードとシメールを救い出そうとするならば、そうするしかないわ」

「……あんたの言う通りにするのはしゃくね。せいぜい、私が魔王と相打ちになるよう祈っておくことね」


 宣誓のように槍を高く掲げると、アニマ光が翻る旗が如くに変化する。〝白き隕石いしの勇者〟が、運命に抗おうとする主に応えてのものか。運命よ、我が旗の元に集え。叉拏しゃなの再来は曇天に靡く旗を突き刺した。美しくはためく紫の旗は、誰も穢せぬ聖なる意思。石像機の王を斃すため、ここより旅は始まるのだ。灰色の大地に勇者、立つ。

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