降臨
同時刻、
磨き上げられ、光沢も麗しい黒塗りのリムジン
灯台のように
そして――灯台元暗しとはよく言ったものだ。辺りの荒野でさえ
深淵へ潜るリムジン
「メルドリッサ様、本当に玄天街にお降りになられるのですか?」
「――ああ」
運転手の躊躇も已む無しだろう。後部座席に腰を下ろしているのは真の貴人。
美丈夫は頬杖をつきながら窓の向こう、眼下の暗黒を覗き見る。
「心配には及ばない。……だが、その心遣いは有難い。私はいい部下を持った」
「! ――いえ!」
涼やかな微笑みと共に、時に爽やかに、時に妖しい声が運転手を労う。魔性の
この方にこんなにお褒めの言葉を頂戴してよいのだろうか、それに足る自身であるのか。運転手は、後部座席で物憂げに頬杖をつく王に、感謝と気後れを感じた。
そのようなやり取りの中でさえ、運転手の腕は熟練の技法でリムジン
やがて、精密機械さながらのテクニックを駆使し、リムジン|は玄天街の入り口へと辿り着いた。余りに慎ましやかな慣性は、景色を眺めていなければいつ制動していたのか判らぬ程だ。
玄天街の入り口は寄り添いあった
車輛一台分の余白は外からの物資搬入のためだろう。あとは、仄暗い隘路が迷宮のように複雑怪奇に入り組んでいるのだ。
「では、行ってくる」
魔宮の入り口にいながら、まるで小春日和の散歩へ赴く気軽さで、メルドリッサは気負いもなくリムジン
そう、大仙楼に棲まう帝王は足元にじゃれつく玄天街に目線を合わせているだけのような――。
彼の王たる姿をつぶさに見届けた運転手は、自らの主に万が一など決してないと断言できるほど、本能的に理解した。
隘路の闇へと歩を進めるメルドリッサの姿が見えなくなるまでの間、運転席に座りながら、彼は無意識に
* * *
獣の息遣いが、暗闇を支配していた。瘴気立ち込める、ここは
獣の王は、アシミの必死の逃走劇の甲斐あって、砕かれた左の義眼以外には、義体の損傷は認められなかった。だが、彼の心はその限りではない。
自らの怨敵を前に手も足も出なかった事実、容易く弄ばれ、
使い物にならなくなった義眼を交換し、左の視界を取り戻したとはいえ、人の誇りは簡単に取り戻せる程、単純なものではない。
況してや、過去の一切においてボブ・ホークの立場は常に、あの夜のメルドリッサ側――つまり絶対的強者の側に居たのだ。それが、一夜にして自分が蔑み搾取してきた惨めな敗北者と成り果てた。
彼の苛立ちと屈辱の一切は、今、黒い
彼の膨大な容量を誇る本能は、紅い血と白い
彼の鬼気迫る表情は獲物を生きたまま喰らう肉食獣さながらで、対象となった栗色の髪もつ少女は自らに待ち受ける未来に、愛らしい両眼から滂沱と涙を流し、
「……ひぃっ!」
自らの肢体を抱きしめながら少女は獣の欲動から逃れようとするが、退路は既に断たれて、後退りする事しかできない。健気な生け贄の仕草になおも熱り立ったボブは、壮絶なる喜悦の笑みを浮かべ、彼女の肢体を貪――
ろうとしたのだが、冷水をかぶるように嗜虐の焔が失せてしまった。
「……っ?」
回避できない不幸な数秒先を拒むように瞳を固く閉じた少女も、一向にその気配が訪れない事を不思議に思い、瞼を開いた。
そこに居たのは、数瞬先まで荒ぶる本能に付き従っていた獣とは思えぬほど、茫洋としたボブ・ホークの姿だった。
彼の本能は今、判然としない何らかの警鐘を鳴らしていた。自らの本能の喚起に従い生きてきたボブにとって、それは絶対の基準であり行動原則でもある。
――来るッ!
強化された聴覚が心地良く響く靴音を、更にそれがボブの元へと近づいている事実を捉えた。
数を大幅に減らしたとはいえ、ここは
侵入者か、とも疑ったが、それにしては
やがて、扉を隔てた向こう側で靴音が止まった。
正体不明の相手を透かし見るように、扉を睨みつけるボブ・ホークの
ゆっくりと、かつては自動扉であった開き戸式の扉が開く。その様はまるで深海の底深くに沈んでいた
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます