巣穴
玄天街六番街に、コンクリートで構成された立方体のオブジェがある。今は廃棄されて久しい地下鉄駅の入り口である。
本来ならば、入り口に階段があるはずなのだが、地下へ通ずる階段はその中途で自動扉に遮られ、先を窺い知ることができない。
この場所こそ、
スラムの住民も、ここへ近づこうともしない。当然だろう。身を縛る法なき六番街だが、身を守る法は存在する。――曰く、ボブ・ホークには近づくな。
誰も、地獄への大穴を好き好んで覗こうとはしない。覗けば最後、奈落の底へと引きずり込まれるだけだ。
その地獄門に、今宵、三人の影が訪れた。
「ここか? 窖暮らしのケダモノちゃんの巣は?」
嘲弄する剽げた声はパイソン・プレストンのものである。
「あんた……神門くんが帰ってきたから、お役御免なのになんで付いてきたの?」
妙に意気込んでいるパイソンにローツの冷ややかな視線が刺さる。
「あ? そりゃあ、正式なご依頼を頂いて? しかも、キャンセルも聞いていないとあっちゃあ、こっちは仕事として付き合いますよ?」
「へぇ? ただ、楽にお金が入りそうだから、無理にでも付いてきて、金せしめようとしてるだけにしか見えないけどね?」
「言っておくが、もうここまで来たらキャンセルは受け付けねーからな!」
「はいはい」
もはや面倒だといった様子で手をひらひらとさせながら、ローツは頑丈そうな自動扉の前に立った。だが、本来ならば、即座に開くはずの扉が今日に限って、露ほどの反応も示さず固く閉ざされたままだ。
「あら?」
ボブには既にアポイントメントをとっており、歓迎しない客とはいえ約束の刻限通りにやってきた来訪者を拒む事など……と、訝しんだローツは扉に手をかけると、自動扉の動力が完全に落ちている事に気づいた。
「……どういう事?」
先ほどまでと打って変わった真剣なローツの声色に、神門の双眼とパイソンの隻眼が戦場の気配を察したか、鋭く冷厳な光を灯す。
殆ど抵抗をなくした扉は、頑丈そうな見た目と裏腹に、想像以上の軽さで開かれた。扉の向こうで、地続きになった階段が口を開けて、彼らを招き入れてる。さしずめ、地獄への階段といったところか。
何らかの異常を感じた三人は、無言のまま、靴音をなるべく抑えつつ階段を降りる。地下鉄駅構内を改修したアジト内部は古い発電機を備えていた。殆どの照明は死んでいるものの、生き残りが光を発しているお陰で階段を踏み外すといった心配はない。
やがて、階段の終着へ辿り着くと、目の前にはそれなりの広さの空間が横たわっていた。だが、動く者は何一つとしてない。眠りについたように沈殿した静けさが、水底に沈んだ都を想起させる。
ふと、見やれば、目の前の左側に位置する柱に誰か蹲っているような影が見える。
「…………」
先んじて階段を降りていたパイソンの目配せに、後続の二人は警戒の色を強くする。
パイソンは懐から
音も無く、あたかも獲物へと迫る蛇の如く、パイソンは柱に近づくと蹲っている影の正体見たりと覗きこむ。
――こいつぁ……。
二人を手招きして呼び寄せる。
「これは……!」
慄然とした様子でローツが口を抑える。
「…………」
対して、神門は何の感慨もないといった様子で、冷淡に事実を受け止めている。元より、彼にとっては馴染みのない者だっただけに致し方なかろう。
「どうやってやったかは分からんが、こいつはなかなかできる事じゃねーな。ここまでゴリゴリに
はたして、影の正体は
命の灯火が潰える最期に見た絶望のほどを表してか、義眼を見開いた表情は恐怖の形に固まったまま。義体内部の人工臓腑が破裂したのだろう、開かれたままの口からは黒い義血が滴り、また
しかし、解せぬ。殺される理由が――では勿論、ない。
だが、そんな因果応報を撥ね退けていたのは
ボブ・ホーク以外に敗れた事がないと生前豪語していた程、彼はこの弱肉強食の六番街で勝者たりえる実力の持ち主だった。にも関わらず……。
周囲の警戒を神門に任せ、アシミの遺体を検分しながらパイソンは考える。
――こいつを殺すとなると、総身義体レベルの
アシミの肌に触れると、仄かな温かみの残滓が指から伝わる。
義体のそこらかしこに刻まれた、筋肉の筋を模した溝は排熱用のスリットだ。常人とて運動をすると体温が上昇し、気化熱で抑えるために汗をかく。同様に、義体の駆動による熱を逃がすための様々な種類の排熱処理が存在している。
パイソンの見立てによれば、アシミの義体に施された排熱用の溝は、内部の熱量が一定以上になると
排熱機構が動作し、外気に晒されてもなお熱が失せていない。――となると、下手人はまだ近くにいるのやもしれぬ。
周りを注意深く見渡すと、パイソンは更に黙考した。MBは搭乗兵器としては小型の部類で市街戦に適しているとはいえ、この
そもそも、玄天街において一部の機化ならまだしも、初期費用にもメンテにも金がかかる総身義体化に踏み切ろうという輩がそう何人もいるとも考えられぬ。
よしんば、下手人が
「ローツ、
いずれにせよ、こうなると身を守るすべのないローツは邪魔でしかない。
「あんたは?」
「
隻眼を向けると、神門が首肯した。
彼にとっては当然だろう。
元より、神門は
そういう意味では、ボブの生死すら……少女の開放にとってはむしろ死んでいてくれる方が都合がいいと、頭の隅から冷徹な意思が告げているほどだ。
「分かった。けど、無理はしない事。いいわね?」
「当然だろ。パイソンさんは無理無駄無謀は借金よりも嫌いだぜ」
ともすれば、重く沈みそうな空気を茶化しながら、パイソンはにやりと笑みを浮かべた。
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