地底湖

「――で、爺さん。ここ、一体どこよ?」


 天然の地下ドームとでも言うべきか、広い洞穴をアラカム翁を先頭に歩いていく。戸惑いなく歩く老人の姿は、彼がここの地形を把握している証左に他ならぬ。


「王子とは思えぬ発言よの? もう少し、礼節を学ぶべきじゃないのかね?」

「いや、そう思って丁寧に話したら『いまさら変に慇懃になっても気持ち悪いんじゃよ』とか言ってたの、爺さんじゃありませんでしたかね?」

「そうじゃったかな?」

「……早く帰りたい」


 よほど他人と話さなくなって久しいのか、隠者はらしくなくオリヴェイラとの会話を楽しんでいるようだ。神門一人でアラカム翁と出会っていれば、おそらく話は全く弾まなかったであろうことは目に見えている。オリヴェイラの社交性というべきか、人間的魅力というべきか、それがあったればこそ二人の会話は、出会ったばかりとは思えぬほどに気安く飾らないものとなっているのだろう。


「ままま。さ、ここを抜けるんじゃ」


 上機嫌にアラカムは杖の先端で横穴を指し示す。横穴と言っても、彼らがくぐる分には頭上の心配はいらぬ程度には大きい。


「ちょい暗くなるぞい」


 念のため、瞼をある程度落とし、瞳の感光率を調整しておいて正解だった。確かに、横穴は先ほどまでと比べて暗いのに加え、若干勾配がついていた。何の準備もなく入れば足元すらおぼつかなくなっただろう。


「うわっ、下り坂? 足元見えん! 怖っ!」


 ちょうど、今のオリヴェイラのように。


 横穴はそれほど長くなく、すぐに出口が見えてきた。前髪を揺らす風に紛れて、水音も聞こえてくる。


 天然の隧道トンネルを抜けると、砂漠とは思えぬ景色が瞳に飛び込んできた。

 地底湖だ。碧い輝きを帯びた地底湖は、秘教の礼拝堂もかくやといった伽藍の神聖さを湛えていた。湖からはテーブル状の岩盤がそこらかしこに生えている。長い年月を水で摩耗された結果、このような地形となったのだろう。水面から突き出たその岩々には橋を渡したかのように、人が通れるほどの幅の路ができていた。そして、湖水の水飛沫を受けてかその全てに苔がむし、亀裂の隙間から樹木を生やしている岩もある。


 深度のある碧色に輝く湖水はそれ自体が光を放っているのか、洞窟内だというのに不自由ないほどに明るい。静かに湛えられた湖の水底は見えず、かなりの深度を思わせる。


 湖水が跳ねた。どうやら、魚の類がいるらしい。いや、それだけではない。よくよく見やれば、岩の上には四足の鹿に似た動物や足の生えた両生哺乳類が苔をみ、その足元には齧歯げっし類らしき小動物が駆けている。


「……ここは?」

「いい環境じゃろ? 浮世に左右されずに研究するには最高の環境じゃよ」


 ごちた神門に、得意げに鼻を鳴らすと、アラカムは杖である岩盤を指し示した。どうやら、何かを杖で指し示すのは彼の癖らしい。


「ほれ。あそこが儂の棲家すみかよ」


 杖の延長線上には小屋が存在していた。それほど大きくはないが、老人一人が棲まうには充分過ぎる広さだ。アラカム翁の小屋は木製で、慎ましやかだが苔の侵蝕を受けて薄く緑がかっていた。まだ古さを感じさせない小屋だが、外壁に付着した苔が歲月を経ていくにつれ繁茂していくことだろう。小屋の周りには菜園があり、ある程度は自給自足の生活を行っていることが容易に伺える。


「さて、はよ行くぞ」

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