灰雪

「なによ、こいつ⁉」


 天井に頭蓋を擦るか擦らぬかの際どさで石畳を奔るMBは、久遠にとっても初めて眼にするものだったらしい。床面をブレーキステークスで摩減させ、蒼い機械昆虫はルードと久遠の棲家の前で停止した。甲高いホバーブレイドの駆動音が耳に蹲る残響となって、神経を貫く。


 見たことのないMBだ。神門ならば見知っているのやもしれぬが、この蒼いMB、惑星潜りサルベージャーの知見の範囲に無い。ただ、艶に磨き上げられた装甲ボディの洗練された形状から、所謂高級車――フラッグシップモデルやその改造車なのかもしれぬ――であることは容易に察せられた。


 爪牙クロウバイトが燐光を帯び、妖しく瞳を感光したと思えば――


「!」


 棚引いた妖光は頑丈な鉄格子を容易く喰い破ったのだ。その恐るべき咬筋力は鉄の骨組みを噛み砕き、魔的なゆらめきを視界に残す。光学技術を応用した武装であるようだ。


「……何が目的だ」


 正体不明のMBに久遠が剣呑な気配を放つ。この惑星には存在しないはずの機動兵器――それが何故、今ここにあり、そして惑星潜りサルベージャーとシメールを囚えていた牢を破ったのか。


『…………』


 蒼いMBのライダーは黙したまま。ただ、カメラアイが無感情な低い駆動音を奏で、惑星潜りサルベージャーとシメールを睥睨している。正体定かならぬ鉄機兵に対し、久遠は警戒の色を薄めはしない。むしろ、状況が変化した場合、即座に行動できるようたいを沈めている。彼女の油断ない様子は、くだんの石像機との戦いの中で、一瞬の行動の可否が生死を別つ分水嶺となることを心得ているからに他ならぬ。


「何か言えっ!」


 更に体を沈める久遠の様は、しなやかな肉体を持つ猫科猛獣を思わせる。地響きと共に、天井に配置された石天井の間に間から塵埃がはらはらと降り注ぐ。無言の視線の交錯はどれほどの時間だったのか。再度の揺れが惑星潜りサルベージャーとカリアティードとMBを襲った。


『…………』


 それを契機と見たか、MBは蒼い車体を翻し、元来た道を速やかに引き返した。甲高いホバーブレイドの音色と擦過音の二重奏を道連れに。


「…………」

「…………」


 後に残された者の間に横たわっている感情の大部分は、困惑だった。不可解にも彼らを救おうとしたのか、牢と外を隔てる鉄格子を噛み砕いたMBは一言も発せず立ち去ったのだ。まるで、これが仕事だと無用な感情を差し込む余地すら見いだせぬほどに、だ。


「……なんだったのよ、あいつ」

「さあ……」


 重く足元を揺るがす轟音がまた一つ。遠雷に似た轟は今や先程よりも近く、生々しいと言えるまでに迫っていた。


「ルード、行くぞ」

「行くって……石像機と戦うのか?」


 何処からか取り出した紐で、銀の飛沫散る藤色の髪を縛る久遠の眼には、決意の色が滲み出ていた。深い紫水晶色の瞳に浮かび上がる紅の光が、彼女がルードや神門――銀河人類とは異なる〝人種〟であることを誇張させる。


「当然!」


 壮烈な戦いへの意思を宿した久遠は、ぞっと背筋を冷たく奔る美しさを見せていた。先程まで眠りに溺れていた者と同人物とは思えぬほどに。


「……石像機に脅えて狩られるなんて、カリアティードの死に方じゃないわ」


 そう、だからこそ、彼女は白騎士にまで昇り詰めたのだ。石像機を屠るカリアティード――白き隕石いしの勇者、叉拏しゃなに従った者に連なる白騎士にまで。その想いはファサードを刻され、蔑まれ卑下され戦奴にまで身を窶しても、なお尽きぬ泉が如く湧き溢れ出している。


「だから、行く!」


 美しき戦奴は散る生命を見捨てられず、自ら戦場へと赴く。その先に待ち受けるものを知る者はいない――或いは、原初のカリアティードたる叉拏しゃなのみぞ知るのやもしれぬ。


 石像機が吼える。戦場と化した街が燃える。曇天は地上の一切を静観するのみ。灰色の空と火の粉に扇がれて灰が舞う。炎に枯れた灰は舞い降る雪のように。

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